公職選挙法改正案が衆院で可決され、今月中に参院でも成立の見込みとなった。次の参院選ではインターネット選挙が可能になった。次からSNS選挙になるだろうと報道各社は伝えている。それが一体どんなものなのか想像がつかないが、個人的には悪い予感がする。
4、5年前メル友の紹介でFacebookに加入したのが、私のSNS体験の始まりだった。どんなきっかけで知り合ったか忘れたが、彼女はニューヨーク州シラキュースに住む同年配のベテラン看護婦で鉄板の民主党支持者だった。大統領選がきっかけだったかもしれない。メールのやり取りの代わりと言われ何も考えず了解した。結果として、当時最先端のSNSのメンバーになった。
最初は面白がってメール交換したが、そのうち私達のやり取りを彼女を取り巻く家族・友人なども見ていることが分かった。個人的なやり取りが彼女のネットワークに公開されたからだ。勿論、私も彼女の子供や知り合いのメールや写真が目に入ってきた。彼女の離婚の理由とか、彼女の子供が私に興味を持ち、彼女が新しい男友達と知り合い、やがて二人で住むようになる様子が実況放送を見るように分かった。このオープンな関係に私には違和感が生まれた。
他にフィリピン政府職員しか私のサークルにはいなかったが私は両者を紹介する積りは無かった。暫くして日本でも普及して「おせっかい機能」で同窓生が友人になったが、投稿された写真にコメントする程度で受け身のSNSメンバーだった。ある時、SNSとは関係のない私のブログ記事で誰かの考えを引用したことを、Facebookが断りもなくサークルの皆に伝えていることに気が付いた。それを見て私は監視されているようでとても嫌な気分になった。
更に暫くして今度は会社勤め時代の同僚の紹介でLinkedInのメンバーになった。懇意にしてもらっていた同僚の紹介を断る理由はない。それ以降、あなたはこの人を知っているはずだから友人になりなさい、友人の誰かが他の誰かと繋がっています、みたいなメールが毎日のように来ることになった。初めは古い友人たちの登場を懐かしいと思ったが、毎日同じようなメールを受けると引退した私には必要ない情報で煩わしいと感じ始めた。迷惑メールではないが「余計なお世話、おせっかいな機能」だと思うようになった。
だが、SNSの余計なお世話機能は今ではビジネスで活用され効果を上げているらしい。大統領選とか中東の春など政治の世界では重要な役割を果たしたという。日本でも自民党が政権を取り戻し安倍首相がFacebookを使って情報発信するようになったが、新聞・テレビの報道に比べ発信内容は限られている。わざわざ読むほどのものでもない。参院選では誰かの政治主張を「いいね」というと世間に伝わり、或いは「いいね」を強要されるとか、いい加減な返事するとばれるとか、知らない人からやたらメールが来るとか、何だか悪い予感がする。■