かぶれの世界(新)

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09総選挙の隠された争点

2009-08-18 21:23:36 | 国際・政治

先月21日に解散された衆院の総選挙が今日公示され、各党は公認候補を立て8月30日の投開票に向け一斉に選挙運動を開始した。解散から40日後に次の政権が決定するという異例の長さと報じられた。しかし、私が予想したとおりマニフェスト(政権公約)を巡り、これまでにない政策議論の深まりで争点が明確になってきた。もっと時間をかけても良いと思う。

さて、報道によれば最大の争点は、選挙民の最大の関心は予想通り年金と医療関係の社会保障だった。一方、自民党は成長戦略に、民主党は生活支援に、重点を置いた政策を打ち出した。議論が交わされていく過程で政策が修正され似てきたが、これが「40日」のお陰だ。

修正されようが、ブレようが、それが国民に対する約束で良くなるなら何ら問題ない。その意味では、次回から何らかの形で40日をもっと長くすることを真剣に考えて欲しい。米国大統領選は予備選の準備まで含めると、2年にわたる長期戦で延々とやる。3ヶ月位やれないだろうか。

私は、最大の争点は個々の政策もさることながら、民主党が提唱した政策決定プロセスが極めて重要であると考える。これを官僚主導の政治からの脱却と矮小化するより、我が国を良くして行く為の官僚を含む政策決定プロセスの改革と捉えて、更に磨きをかけていくような議論がされるべきだと考える。残念ながら、HOWよりWHATにばかり議論が集中しているのが現状だ。

実は、ここまで議論しておきながら、今回の最大の争点は別のところにある。選挙の勝ち負けという観点では、自民党政治に対する信頼感の欠如だ。マニフェストは両党とも似かよった内容になった。他党のマニフェストと比較すると、みんなの党が最も良いとの評判もある。

誰も言わないが、勝負を左右する争点は「信頼できるか否か」の様に感じる。

麻生首相がどんな良い政策を唱えても、鳩山代表が「自民党にXXを言われたくない」、続けて「これだけ財政赤字を出しておいて」とか、「今まで何年もほったらかしにしておいて」といって、政策で答えなくとも酷く説得力がある。そういう雰囲気が出来あがっている。これを風というべきか。後20日で信頼感を取り戻すのは絶望的だと思うが。■

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坂の下の人々

2009-08-15 15:54:06 | 日記・エッセイ・コラム

「やっぱりそう思うか」と私は思わず相打ちを打った。海外で育ち日本で高等教育を受け今は松山に住む友人が、地元の人達との会話を通して最初感じた微妙な違和感を語った時、私も同じような印象を持っていたからだ。私だけじゃなかったという気持ちだ。

その友人によると、当地に来て戸惑ったのは問いかけに対し「いいよ」という返事が、NOの婉曲な表現だということがわからず、後から嘘をつかれたと感じて嫌な思いをしたという。実際のところ、イントネーションでYESにもNOにもなる使い分けをしているのだが、外から来た人には真に厄介な言い方だったようだ。

同じ言葉が反対の意味になるのは別に松山だけではない。米国に暮らしてみて、例えばYESにも文字通りの意味と、条件付のYESを言い方で使い分けていた。彼らだっていつでもYESNOをはっきりさせる訳ではない、相手を思いやる気配を何度も感じたものだ。答えを保留する場合もある。だがその使い分けは全国共通に誰にでも理解できる言い方だったような気がする。

「いいよ」には誰もが顔見知りの狭い共同体の中で、何事もはっきりさせない、ある時は対立を避け、又ある時は自分の責任を曖昧にする便利な言葉として使われている。そう思って聞いて欲しいと別の知人が説明してくれた時、妙に納得した。時々イライラするけど、理解できる感覚だった。

「いいよ」は、そのような土地の気質を凝縮して表現する言葉のような気がする。というのは、私も松山から少し南に下った大洲に育ち、その後は全く文化の違う東京と米国のビジネスの世界で生きて来た。冒頭の友人とは逆コースを辿ったものの考えを同じくしていたからだ。

最近、NHKが司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマ化を進めており話題になっている。作者は明治の英雄となった3人の主人公が育った松山を特別な町とは描いていない。幕末から明治にかけて城下町が辿った普通の町として描いているように感じる。作者は気付かなかったはずはないが、小説の本筋には関係がないと判断したのだろう。

漱石の「坊ちゃん」に描かれた松山の人達は徹底的に揶揄され、主人公を際立たせる必須の背景だ。だが、司馬遼太郎は「坂の下に住んでいた普通の人々」の気質と、その中から英雄が生まれた事を関係付ける特徴的なものが見当たらなかったと想像する。むしろ明治という時代が生んだ英雄という捉え方のようだ。

松山と大洲の人々の気質は、私が経験した主にビジネスの世界の人々と比べれば、違うところより似ているところのほうが圧倒的に多いのは当然だ。ほぼ相似形だ。その大洲については童門冬二氏が小説「中江藤樹」の中で、大洲藩士を醜悪で矮小に描いている。

「坊ちゃん」では揶揄しながらも土地の人々への愛情を感じたが、「中江藤樹」にはそれを感じない。その差が何なのかは分からない。だが、結果として松山の人々は何時までも漱石を愛し、あちこちに「坊ちゃん」や「マドンナ」の冠を付けさせている。「中江藤樹」がベストセラーになれば話は別だったかも知れないが、今のところこちらでは存在感がないように思う。

2003年に仕事を辞め、東京と田舎を行き来する生活を始める前に、先行きの不安感を「大洲人気質」と題して投稿した。母が嫁入りして来た時進取の気概を感ぜず、八幡浜から来て働くタクシー運転手が当地の人について表面は馬鹿丁寧だが、内心は何時までも根に持つ陰湿な性格との批評を引用した。

その中で同じ盆地の米沢の人々と共通する気質が大洲にはあると続けた。だが、童門冬二氏が「上杉鷹山」に書いたように、同じ盆地でも米沢の過酷な気候と政治風土と、大洲の飢餓など起こらない温暖な気候が作り出す気質は、共通するより異なる部分の方が多い。松山は盆地ではないが大洲と共通する「気候が温暖で住み易い」があるからだろうか。

ここまで書いて、いつものように大げさに言い過ぎたかも知れないという気持ちがある。全く違う文化から見れば、どれもこれも同じに見えるのは当然かもしれない。

私がビジネスの世界の論理に首まで浸かっていた頃は、それを疑いもなく家庭に持ち込んだ。耐えかねた家内が「ここは会社じゃないのよ」と怒りの声を上げた事がある。その頃はろくに反省もしなかった(蛇足だが、同年代の友人に同じ経験を聞くから私だけではない)。だが、今、坂の下の人々の気持ちも理解できなくもない気がする。しかも、時にはそれが心地よいから厄介だ。■

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「老いて行く日本」の暑い夏

2009-08-12 16:42:06 | 社会・経済

西

日本を襲った連日の豪雨の被害を伝えるニュースで、死者となると多くの被害者の中でも殆どは老人だった。今回、自治体の危機管理システムが機能しなかったというような犯人探しが無いのは救われる。多分そういう問題もあるのだろうが、魔女狩りのような報道はうんざりする。人は事態を直視し冷静に受け入れ始めたのかもしれない。

何か災害がある度に、老人の被害者が殆どというのは最早当たり前になった。もしそうでなければ何かおかしいと怪しむのが昨今だ。一方、昨日起こった東海地方の地震はあれだけ揺れて人的被害が殆どないというのは凄い。こういう時誰も感謝しないが、日本はたいしたものだと思う。もちろん直接被害に会われた方は大変だし、早急な復旧が必要だが。

先日、松山市近郊の高速道路を逆走した老人が、実家のある市内の近くに住む68歳の高齢者だったというニュースは心穏やかに聞けなかった。驚いたトラックや乗用車が避け切れず破損したという。困ったものだと思いながら、私もその年齢に近づきつつあることに気が付いたからだ。他人はそういう目で見るだろう。

今朝ラジオのローカルニュースを聞いていると、放送局が関連して高速道路会社に問い合わせたところ四国管内の同種の事故が11件あり、そのうち8割以上の9件が高齢者の起こした事故だったという。冗談では済ませられない、放置出来ない状況になっている。

対策として教育を充実させるというのは私にはピントがずれているように感じる。このブログでは時折高齢化社会の悩みを取り上げてきたが、当の老人が自ら引き起こす社会的問題に無関心なところに深刻さがあるように感じる。今回の衆院選で報じられるアジェンダをみても、私は老人が余程しっかりしないとこの国の未来は悲観的になる。

人的には良いニュースもあった。今月から米国の退職年金を頂くことになった。20年払い続けないと年金を貰えない日本と異なり、わずか数年でも支払った分に応じて小額の年金を貰える。もちろん生活を支えるような金額ではないが、額が幾らだろうと嬉しいものだ。

日米にまたがり面倒と思ったが、社会保険番号があるので手続きはスムーズだった。私は、元々金額は期待してなかったが、日米の年金システムがどういうものか実体験する為と思い手続きしてみた。日本で何故社会保険番号を導入しないのか。旧社会党系の反対党は「消えた年金」問題の根本解決策として考え直して欲しい、特に納税者番号とリンクさせて。

個人的に嬉しいニュースをもう一つ。昨秋、恥ずかしながら振り込め詐欺に引っ掛かった。風邪を引いたという犯人の声を息子と聞き違えるという、定番の騙しにまんまと引っ掛かった。相手の要求金額を振り込み、その後息子にそんな覚えは無いと言われ口座凍結したが手遅れだった。

お陰で地元の警察署で担当刑事から調書を取られる貴重(?)な体験をした。調書作成用の専用ワープロを不器用に使い、一々プリントアウトして確認するので効率が悪かった記憶がある。上司に見せて字句の修正を指示される辺りは民間の会社と同じ風景だった。しかし、何といっても印象に残ったのは、刑事が携帯していた黒光りする銃を間直に見てドキッとしたことだ。

今回は凍結された口座の残高と被害者が確定し、残金を被害者間で分配することが決定したということのようだ。諦めていただけに、少しでも戻ってくるだけで儲かったような嬉しい気分になった。こうやって私も老人の一人として社会のお世話になった、余り偉そうな事言えない。■

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私的・省エネ運転

2009-08-08 21:45:57 | 日記・エッセイ・コラム

データ測定マニア

田舎で母の介護と自分の生活の為に昨年中古車を買った。折からの原油価格高騰と健康を考えて、買い物など近場の移動はなるべく車を使わないようにしている。これが最も効果的な省エネだ。しかし、週1回程度のペースで松山の古本屋巡りや外食をする時は車を使う。

松山まで往復約100kmの距離で、山道が最短だが最高点は300m弱で信号が少ない。どういう走り方をすれば燃費が良くなるか、給油ごとに走行距離を記録してきた。90年代に米国に赴任するまでペーパードライバーで車オンチだった。車のことは何も知らなかった。が、万が一車の調子が悪くなればデータが異変を知らせてくれると思い、その時から記録する習慣ができた。

車はデミオ1500スポーツ、田舎で私だけが乗るだけなのでコンパクトカーにした。走る楽しみも欲しいと考えスポーツタイプにした。製造6年の中古車で5万km弱のマイレージだった。分析すると平均してリッター12km前後しか走らず、中古車だとしても意外に燃費が悪いと思った。

マニュアルよりオートマの燃費が良い?

この車はオートマとマニュアルを切り替えて利用できるが、燃費効率を考えてなるべくマニュアルのトップギア(M4)で運転した。だが、暫くして走行中注意して計器を見ると平均してオートマの方がエンジンの回転数が低い事に気付いた。

それではと、今年の夏は全てオートマで走ってみた。6月から3度給油した。ばらつきはあるが平均すると燃費はリッターあたり14kmに改善された。10%以上の改善で、内心その改善度合いが大きいのに驚いた。オートマはマニュアルより燃費が悪いというのが私の常識だった。

私のドライビング・テクニック

そのほかに運転で気をつけていることは、急発進や急加速でエンジンの回転数を上げない、通常運転でも2000rpm以上ならないようにしている。前方の車とその先にある信号をみて速度調整し、ブレーキを極力踏まないように、言い換えると無駄なアクセルをふかさない様にしている。

例外は、流れに乗ってない車が前方にいる場合とか、特に登坂等の追い越し車線がある場合に限り急加速してスペースを確保するようにしている。こんな時、スポーツタイプは加速性能が良く便利だ。車が好きな人たちの間では、デミオのスポーツ性能は普通車に毛が生えた程度というが、家内の軽や米国で買ったカムリ、色んな機種のレンタカーに比べれば、加速性は良い気がする。

女性ドライバーはアンチ省エネ?

バドミントン仲間にプロのドライバーがいるので、車種ごとの燃費について聞きいてみた。そのうち奥さんの運転は燃費効率が悪いという話題になった。車間が空いているとスピードを上げて間隔を詰め、直後にブレーキを踏むという無駄な運転をすると。周りの男性諸君が口を揃えてそうだ、そうだと声を上げた。なのに、注意すると機嫌が悪くなって言うことを聞かない。どこも同じだと思った。

前の車の速度やその先の信号などを無視して目先の事だけ考えてアクセルを踏み、直ぐブレークを踏む。我々男性ドライバーは全体の状況を見て運転し、極力ブレーキを踏まない運転をすると。女性が運転すると余計なCO2が出るのではないかと。男性だけだと、こういう意見は直ぐ纏まる。

もう一つ省エネと関係無いが、ついでだから当地の女性ドライバーについて。センターラインが無いような細い田舎道を走る対向車が、速度を落とさず脇に寄りもせずセンターラインギリギリですれ違う。多分通りなれた道だからだろうが、最初凄く怖かった。大抵は女性ドライバーだ。未だに慣れない。数年前の映画で、キャメロン・ディアスが休暇で米国から英国の郊外に行き、路肩もセンターラインもない田舎道を高速ですれ違う車に出会い、悲鳴を上げるシーンを思い出す。■

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自民党マニフェスト考

2009-08-04 22:53:58 | 国際・政治

民主党に続き、自民党のマニフェストが発表された。両党並びに地方政界、経済団体、労働者側からの詳細な評価をメディアは報じた。後出しじゃんけんと揶揄されるが、民主党のマニフェストを十分比較検討した結果を反映した内容になっているように感じる。

特に、民主党マニフェストでは日本丸をどこに向かって舵取りしていくのか、成長戦略や外交・安全保障が明確ではない。舵取りだけではない、船を推進するエンジンをどうするのか、燃料をどう確保するのか、私には行き先不明の船に乗るような不安がある。

自民党のマニフェストはこの不安に答えようとしている。さすがに長く政権を担当してきて国家を運営する責任感のようなものを感じる。だが、乗組員に対する配慮はドロナワ式の政策という感じは否めない。何もしなかったのに、今頃よく言うよ、という感じだ。

一方、民主党のマニフェストの特徴は、日本丸の船内のアメニティ(住み心地)だ。部屋の公平な割り当てや船内食の改善など民主党の目線が生活者に近く、概して評価が高い。財源の問題は否定できないが、今の官僚制度では財源云々と言ってもしょうがないと思う。だが、目線の違いが受益者に確実に公約が届く決意の程を感じる。

正直言うと、私は自民党のマニフェストについての議論をこれ以上やっても意味が無いと虚しく感じる。自民党のマニフェストの内容もさることながら、彼らの問題は国民に信用されていない「信頼感の欠如」(credibility gap)に気付いてないことだ。

前回の総選挙で郵政民営化を国民に問い圧勝して以来、民意を問うことなく民営化反対議員を復党させ、徐々に改革姿勢を後退させ、麻生首相は終いに「本当は反対だった」と言った。公務員制度改革は骨抜きにし、天下りの問題も殆ど具体的進展を見ていない。

こんな政党のマニフェストなど何が書いてあっても信用できない、と感じる国民が多いのではないだろうか。従来の支持基盤にプラスしてこの「信用できない層」が数%であっても、選挙結果を左右する決定的な影響を与えるというのが、今回の総選挙に対する私の見方だ。

従って、自民党のマニフェストについては、評価以前の問題をしっかりすべきだと考える。それは過去4年の総括、公務員制度など構造改革の再評価、総裁選のあり方の見直しを行うことだ。「信頼の回復」抜きにして、マニフェストの良し悪しなどチャンチャラおかしいということだ。

今回、解散から総選挙まで40日という異例の長さというが、政策の検証や候補者の適性確認等の為には決して長すぎるとは思えない。選挙に風が吹き、ムードで突っ走って一気に決着するのでは、日本の民意は何時までたっても成熟しない。

幸い、今回は年金や高齢者医療費問題だけでなく将来世代に対する配慮が、両党共に政権公約で示された。今後、選挙戦を通じて違いを際立たせるだけでなく、共通点をお互いに合意して選挙後速やかに実施するといった、前向きな対応が国民を幸せにする。メディアもたまにはこういう役割を果たしたらどうか。■

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