かぶれの世界(新)

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沈黙の初夏(続)

2009-08-02 11:25:18 | 社会・経済

6月に田舎に戻った時、カラスの羽音まで聞える静かな環境に驚いた。カエルの鳴き声が聞えず、昆虫や魚がどこかに消えてしまったと書いた。それから2ヶ月、8月になり梅雨も空けた。その後の状況についてアップデートする。

カラスやサギの羽音で驚くことは全く無くなった。そんな静かな環境は無くなった。

原因は元気なセミだ。一日中「ミーン、ミーン」とセミの泣き声がうるさい。しかし、夏の暑さを象徴し聞いているだけで汗がにじんで来る様な「ジー」というアブラゼミの泣き声ではない。近年、羽が透明なクマゼミが都市部に中心に増え、アブラゼミが減っていると報じられている。

クマゼミは南方系で北上を続けているのは温暖化が原因という説と、都市の緑化が進み移動能力の低いアブラゼミが鳥の餌になっている説があるそうだ。実家があるのは盆地の農村だが、子供の頃はアブラゼミが圧倒的に多かった。田舎の様子を見ると都市部だけの現象ではなさそうだ。

その他の昆虫は寂しい限りだ。トンボが少ない。チョウやバッタはもっと少ない、もう直ぐ絶滅種になりそうな減り方だ。餌のカ、ハエ、チョウ、ガ等が殆んどいなくなったからなのかも知れない。今年は特にカが少ないのは助かる。どういうサイクルなのか、ニワトリと卵の関係なのか分からない。一方、鳥の鳴き声は減ったような気はしない。

先日買い物の途中で用水路を行き来している子供達を見つけ、声をかけてみた。ドジョウやナマズなどの小魚やザリガニを採っているという。用水路や田んぼを見ると魚は少ないし、依然としてカエルの鳴き声は全く聞えない。これはもっと大きな変化の前触れか、このまま続くのか。■

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田舎暮し雑感09夏(4)

2009-08-01 23:24:11 | 日記・エッセイ・コラム

四国地方はやっと梅雨明け宣言したが、まだ雨模様。今日も時折雨がパラパラ降るはっきりしない天候だった。夏のカッと照る日差しは無いが、表に出て川沿いを散歩すると湿度が高いので汗で下着がじっとりして、昼間からシャワーを浴びないと気持ちが悪い。

先月の中日は梅雨の合間の晴天、恒例の市内一斉のドブさらい、今年は他に予定も無く参加した。私の住む地域はほぼ全戸から参加するが、出入りの多い住宅地帯は参加者が少なくて苦労するらしい。不参加のペナルティ1万円という地域があるらしいが、知人によるとその効果もなく参加者4人で中止したところがあるという。

今年は大雨のせいで山から流れてきた土石が用水路のドブの上に堆積し、スコップや一輪車では何時終るか分からない状況だった。と、ユンボとトラックが出動してきて一気に仕事がはかどった。朝7時に始め、10時前には解散、アイスクリームとビールを頂いて帰った。

7月中旬のこの地域は田植え後1ヶ月で、中干しといって一旦田んぼの水を抜いて乾かす。田んぼに少し割れ目が出ると、又水を張るのだそうだがが、今年は田んぼに割れ目が見えるまもなく雨が降る。数日前気をつけて見てみると、どの田んぼも水が張られ苗は力強く延びていた。

今年はいつもと違って、断続的に土砂降りの雨が降りその合間に晴れ間が繰り返し続く。これが続くと畑の雑草がやたらと伸びる。折角トラクターで耕してもらった畑は、10日も経つと雑草で覆われてしまった。背の高いものは腰まで届くからもううんざり。早く梅雨が明けて太陽の灼熱で焦がして欲しい。

散歩の途中橋の上から必ず鯉をチェックする。土砂降りの後は水が濁り、水かさが上がっているので底が見えず、鯉は見えない。しかし、彼らは流されて住処を移すようなことはしないようだ。土砂降りから3,4日経つと水かさが下がり澄んで来て馴染みの鯉がいるのを見てホッとする。

何故馴染みかというと、白に赤ブチの緋鯉がいるからだ。川の緋鯉は珍しい。いつもの散歩コースでは橋を3本渡るが、多分彼らは夫々の領域が決まっていてそこから動かないのだろう。産卵期に上流に上がるという話とどう繋がっているのか分からないが。

母の「ゴミ出し問題」で助け舟を出してくれた奥さんに梅を差し上げたと前回書いた。その後、彼女の親戚の方がその梅の木を一本欲しがっている話を聞いた。50年前、両親と祖母が植樹しているのを見たそうで、母には思い入れがあるはずなので諦めた方がいいと彼女は返事したそうだ。

その梅の木は大きくなって枝が歩道に張り出し何とかしなければと思っていたので、貰い手があって大事にしてもらえるなら母を説得してみましょうと私は答えた。案の定、母は最初イエス・ノーとは言わず、今まで何十年も手入れをしてきたと答えた。気が進まないというサインだ。無理押しはする積りは無かった。

日を置いて、大きくなりすぎてどうにかしなければいけないと説いた。又、別の日通院の帰りに車の中から梅の木を見せ、1本移植してなくなるとどんな感じになるか想像させた。数日たって聞くと、母はあげても良いいいと言ってくれた。早速奥さんに連絡したが、親戚の方はもう諦めて梅を植樹したという。彼女は「伝えてみる、移植の時期は春か秋」だという。この話は暫くかかりそうだ。■

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