かぶれの世界(新)

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私的バブル崩壊

2008-12-29 23:40:21 | 社会・経済

9月のリーマンショック以降世界は変わった。異例の長さで好況が続いていた世界経済は、気がつくと雪庇(せっぴ)の上を歩いていた。Wikipediaによれば雪庇は「雪崩(なだれ)の原因になる為、定期的に除去される」というが、除去した時どれだけの人や物が雪庇[1]の上に乗っかっているのか当局は把握してなかった。

実際のところ、雪庇全体を除く積りが当局にあったかどうか疑わしいと思う。それは別の機会に議論するとして、今回は私自身がバブルをどのように認識していたか、特に同時進行でバブルを自分のこととして考えられず失敗したか、個人的な苦い経験を紹介したい。

80年代後半の資産バブルは、会社生活で管理職に昇進し仕事以外に目が行かなかった時起こった。報じられた不動産バブルは狂気の沙汰としか思えなかった。都内から通勤する新人の家の敷地面積を計算して数億円になると驚いたが、あくまでも他人事だった。バブルが崩壊した時、バブル紳士没落のニュースを痛快に思った程度だった。バブルを外から見ていた。

その10年後に来たITバブルは事情が違っていた。私は消費者向け商品のビジネスを担当していた。その意味ではバブルの渦中の少なくともどこかにいた。20世紀最後の冬の売り上げは史上最高で、翌年更に強気の需要が見込まれていた。関係業界は誰もが強気で生産能力増強の設備投資をした。誰もバブルとは思わなかった。

しかし翌年半ばには需要に陰りが出て2000年末には巨額の在庫が残った。その頃になっても営業は強気の需要予測をし、工場は前年比プラス・マイナスの発想で生産計画した。だが、バブル崩壊後は従来延長線上の発想は成立しない。事態の先行きを読み早期に従来発想から切り替えるのが私の責任のはずだったが、事態の展開を後追いするのが精一杯だった。

さて、その8年後に今度は米国の住宅バブルが弾け、私は個人投資家として全く別の形で参加することになった。保存メールをチェックすると、2004年頃から不動産業界で働いている知り合いの米国人に住宅バブルの懸念について定期的に意見交換しており、バブルの存在を認識していた。ここにも何度か投稿した。

だが、サブプライム問題が表面化しても9月初めまで私にとって他人事だった。というのも、数年かけて金融資産のポートフォリオを見直し、カントリー・商品・通貨を多様化させリスク分散投資し殆ど影響を受けていなかったからだ。ところが、リーマンショックは瞬く間に世界中に金融危機を伝播させ、あらゆる金融商品を痛撃した。主要金融商品価格の相関関数が1に近づき、分散効果が消滅した。無事だったのは定期預金と日米の国債だけ、分散投資は機能しなくなった。

私が90年代末に米国にいた時、絶対潰れるはずがないと思っていた山一や長銀が消えて行き、適切な手が打てない政府を見て、これでは長期的に日本は衰退していくと思った。それが退職金を投資に振り向けた時の発想の原点だった。しかし、分散投資しても、リスクが高ければ世界同時経済危機の前では無力だった。

3つのバブルを経験して、その渦中にいようが、周辺にいようが、同時代にリアルタイムでその意味を正しく理解して、適切な判断することが私は出来なかった。神様と言われたあのグリーンスパンでさえ、議会で屈辱の反省をさせられた。同時進行で的確な判断が如何に難しいかということだが、だからといって私には救いにはならない。

不景気なテーマの最期に駄洒落で締めます。「坂の上の雲」の先に「崖の下のポニョ」がいた。お粗末でした。■


[1]雪庇(せっぴ)とは、のかぶったの尾根、山頂などに、が一方方向に吹き、風下方向にできる雪の塊である。放置すると、自重に負けて崩落するまで際限なく大きくなる。大きな雪庇はブロック雪崩の原因になることから、定期的に除去される。

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