かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感08冬(1)

2008-12-17 11:23:19 | 日記・エッセイ・コラム

田舎に来てもう2週間経った。この夏リットル180円以上したガソリン・スタンドは経営者が変わり、昨日111円だった。潰れたと思ったら、時代を反映した安売りのお店が取って代わった。折角安くなったガソリンだが、まだ一度も給油していない。

というのもこの夏買ったばかりだが、なるべく車に乗らないようにしているからだ。買い物は2km余離れたスーパーまで徒歩で往復する。途中橋を渡るといつものところに鯉が水面上に背びれを出して悠然と泳いでいるのを見つけた。今や友達に会った気分だ。

家の近くの3km圏内に大都会周辺の大規模店のような広い敷地のスーパーが何軒もあるが、どこの駐車場も車が減ったようには感じない。周辺の町や村など遠くから買い物に来る人が多いからだろう。田舎では車は必須アイテムだとつくづく思う。

そのスーパーの軒数よりもっと多いパチンコ屋の巨大な駐車場の方が、平日も週末も関係なくどこでも車が多いのには驚く。今は不景気じゃないのか?パチンコは景気に関係しないというが、私には理解できない。

今回から農協系のスーパーから新興のスーパーで買い物をするようになった。この半月間の食費を集計して比較すると1割余り安かった。母が配食サービスを利用するようになり、母の指定の店で買い物の必要がなくなり、こだわり無く安いものを買うようにした。

先週は裏山にあるお墓の掃除をした。そこには明治初年までの先祖のお墓があり、曽祖父以降のお墓は近所のお寺にある。今までは母がやっていたが、もう何も出来ないと嘆いているのを聞き、山刈の後、落ち葉を掃除、シキビのはなを供えた。20-30年前に植林したヒノキの落ち葉は米粒程度だが、量が多いので箒(ほうき)が重くて腕が痛くなった。

墓石は先が平らなもの、尖ったもの、屋根つきのもの、小さなものなど形は様々。夫々意味があるのだそうだが、私には全く分からない。右横に彫ってある年号を見ると文化・文政、天明・嘉永など、この人達が私に繋がっていると思うと不思議な気がする。

翌日は表の畑に出かけ、雑草で覆われた山裾の畑を耕した。枯れた雑草を掘り返すとその根が深いものや、横に数メーターも蔓延っている根があり、中々厄介だ。全部綺麗に掘り出せない、来年出てくるだろうがしょうがない。

雑草だけではない、山裾から畑に伸びてきた木の弦もある。ホッタラカシにしていると、あっという間に畑が荒れるという嘆きを実感した。もう私の手には負えなくなってきた。家庭菜園と同じようなシルバー人材の支援システムがあれば利用したいのだが。まだ半分残っているが、その後の雨で土地が乾くのを待っている。■

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派遣切り非難は的外れ

2008-12-15 23:30:01 | 社会・経済

最近の「派遣切り批判」報道に例によって問題を指摘したい。世界的な景気悪化のトヨタやキャノンを始め日本を代表する企業が非正規労働者を首切りにした。労働者は契約期間の途中にもかかわらずいきなり契約を打ち切られ、住宅を追い出され路頭に迷っている。

メディアの論調は例によって首切りをまるで罪を犯したかのように感情的に非難しているが、私には根本的なところで何か違うんじゃないのという感じが強い。例外もあるかもしれないが、殆どの企業の行動は合法的な経営判断として雇用調整をしたはずだ。

経済危機で需要が急速に萎んで行く最中、世界中のどの国の企業でも設備投資を見直し、雇用調整を進めている。竹村健一氏がよく言った“日本の常識は世界の非常識”だ。世界市場に活路を求めてきた日本企業に雇用調整するなというのは無茶な話だ。

たまたま今夜NHKが「非正規労働者を守れるか」というテーマで特番を組んでいた。数分ちら見しただけだが、基本的な考え方は雇用調整はあるものとしてセーフティ・ネットと両立させる政策が重要であり、欠けているセーフティ・ネットをもっと充実すべきという内容だったと思う。

民放の扇情的な報道に比べ、NHKはきちんとポイントを掴んでいる、まだ良識は残っていると安堵した。民放の感情的な報道に右往左往して、自ら作った法律を忘れ雇用調整を禁じるかのごとき発言をした政治家達に比べ余程しっかりしている。

セーフティ・ネットの不備以外に、もしトヨタなどが非難されるとすれば、派遣会社の違法行為に気づかない振りをして派遣労働者を利用した疑いがなくもないと私は思うが、事実はどうかわからない。だが、それは派遣切り自体が悪という理由にはならない。

ネットで調べると財部誠一氏のように派遣切り批判は誤りと明快に指摘する声もあった。感情的な反発が帰ってくることを予想すると、勇気ある主張だと思う。氏の言うように、メディアの扇情的な報道は海外市場に依存する企業に出て行けと言っている様に私も感じる。■

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原理主義から現実主義へ

2008-12-12 18:06:18 | 国際・政治

昼食の後、10月並の暖かい気温に思いついて裏山の墓掃除をして、気持ちよい汗を拭いパソコンを立ち上げると、破産瀬戸際にある米国自動車大手3社(ビッグスリー)の救済策が、上院で否決され廃案になったというニュースが飛び込んできた。予想外の進行にショックを受けた。

米議会と政府の間で難航しているのは、「市場原理主義」と「現実主義」の綱引きのように私には感じていた。民主党の救済法案は何とか下院を通過したものの、上院の共和党議員の反発は大きく予断を許さない状況で、昨日のNY証券市場は大きく値を下げたと今朝のニュースは伝えていたが、まさかそんな馬鹿なことはするまいと高をくくっていた。

共和党は抜本的なリストラを含む修正案を提案し妥協を求めたが、今度は民主党の支持母体の労組が反対し万事休すとなったという。酷い事になったものだ。このニュースが地球を一周して各国市場を打ちのめし、第2のリーマンショックになる可能性が高い。一層の円高は日本の輸出産業にも更なる打撃を与え、経済・雇用環境・年金基金運用などあらゆる領域に悪影響を与えるものと予想される。反対した共和党議員は一体何を考えていたのだろうか。

当初から民主党原案が反資本主義的と見られ、その行方と論拠を注目していた。立法化を急ぎたい民主党は救済計画の内容を見直し、政府が自動車業界の大株主になって、自らリストラの指針を示し実行を厳しく監視するものだった。銀行に続き、自動車業界を実質国有化するものだった。

というのも米国は市場原理主義を宗教のごとく信奉してきた国であり、救済計画はその真逆をやることになる、銀行に加え自動車業界も国有化する社会主義国家になるのかという反発の大きさは今更ながら驚きだ。欧州はより現実的で、殆ど議論も無く当然のごとく救済策を決めたのと対照的だ。

穿った見方かもしれないが、多分それは信仰の強さの差と思う。米国民の宗教心の篤さは、時に私のような無宗教者が驚くようなことを平気でやる。世界一の大富豪が開発途上国の国家予算を超える個人資産を慈善事業に寄付するといい、一方で年収2万ドル(200万円弱)程度の社員がその1割の額面の小切手を切ってチャリティに寄付するのを目撃した事がある。

上院の反対は、こういうメインストリートの人達が自動車業界の救済を反対している状況が背景にあるのではないかと私は推測する。GMやクライスラーが破綻すれば米国経済は大打撃を受け、世界経済への影響は計り知れないことを、上院は知らないはずが無いのに反対した。

「全ては市場が決める、政府は手を出すべきではない」という、強い信仰がさせたとしか説明が付かない。だが、それは身勝手というものだ。百歩譲って破綻させるにしても2,3年かけて安楽死させるべきだ。世界経済に迷惑を掛けないやり方はどうあるべきか悩んだ気配を感じない。やり方は全く違うが、米国が世界に大恐慌をもたらした判断ミスを繰り返すことなど考えなかったのか。

だが、多分これが市場に任せる政策決定の最後になるだろう。

1月に大統領となるオバマ氏は当初リベラルと見做されていたが、新味が無いと批評されるほどにクリントン大統領時代のスタッフを重用し、極めて現実的な政策をとるものと予想されている。オバマ新大統領は主義主張に拘らず時々の最善を追及し、「超現実主義者」と呼ばれるかもしれないと思う。

議会での救済計画の立法化は失敗したが、これで終わりというわけではないらしい。報道によれば、次の段階として米国政府が救済に動く選択肢が残っているという。具体的にはポールソン財務長官が与えられた権限を行使することになるらしい。

しかし、私風の天邪鬼な言い方で意訳すると、ブッシュ大統領の選択肢は、ビッグスリーに引導を渡す歴史的な役割を果たすか、最低限のつなぎ資金を貸し付け実質的な決定をオバマ新大統領の手に委ねるか、彼の判断基準はその程度のレベルだろう。この時点では皮肉というよりも、それが現実的で適切な政治判断かもしれない。

いずれにしてもその判断基準は、多少誇張気味かもしれないが、あるべき姿を妥協無く追求する原理主義の時代から、どの判断が最も有利か或いはダメージが少ないか理屈を超えた現実的な政治判断の時代への転換になるのではないかと私は予測する。言い換えればよりプロ・アメリカン(米国第一主義)の時代になるのではないだろうか。■

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非・最良執行方針を質す

2008-12-08 22:16:36 | ニュース

破産寸前の瀬戸際に追い詰められた米国の三大自動車メーカーの救済がほぼ決定したようだ。それは本格的なものではなく、来年3月までの「つなぎのつなぎ」というものだ。倒産の影響の大きさを考えれば救済以外の選択は無いのだが、民主主義プロセスは時に手間隙を掛けないと正解に届かない。時には過ちを犯し、後戻りを強いられる。

しかし、プロセスを信じていつかは正解に達すると信じる人々は、それでも希望が持てる。勿論、何事も完全ではありえない。プロセス自体を間断なくより良きものにしていくプロセスがシステムの中に組み込まれていないと、いつかシステムが信頼を失うことになる。

回りくどい能書きで始めましたが、裁判員制度の報道について一言私見を申し上げたい。

大雑把に言えば、今までの報道は一般人が裁判員になることの是非という視点で報じられている。重大事件に判決を下す準備が出来ていない、死刑判決に関わるのは耐えられない、一次産業に携わる人達には代替がない等々、の声を伝えるところに重点を置いている。

何故メディアはそういう人たちのマイナスの声ばかり取り上げるのか、私には理解出来ない。一体貴方たちは裁判員制度をどう考えているのか、反対なのか、止めさせようとしているのか、と考えてしまう。

裁判員制度は民主主義の基本的な権利

裁判員制度は民主主義の根幹を支える基本となる制度である、と私は信じる。これは国家の基礎をなす三権、司法・立法・行政のプロセスに国民が参加する基本的な権利である。参加することにより司法を透明化、時代の要請に合致したバランスの取れたものにし、ひいては民度の向上、強い民主主義国家を培っていく制度である。

この画期的な制度がキチンと機能し、所期の目的を果たしていく為に解決すべき問題は何かという視点で報道するなら良いのだが、私が目にした報道にはそれが感じられない。このブログの記事でよく話題にする背骨のない枝葉だけの「ふにゃふにゃ報道」だ。

この報道姿勢はもう一方の国民を愚弄している。近年犯罪者の人権ばかり考慮して被害者の苦しみは省みられなかったという反省が良く指摘されるが、裁判員制度を期待し積極的に関わって裁判の質を高めていこうと考えている人達の声が全く取り上げられないのと同じ構図のように私は感じる。(例外として、先日のNHKでは賛成派の声を平等に扱っていた。)

様々な理由で裁判員制度に困惑している人達がいるのは当然だ。適切な比喩ではないかもしれないが誤解を恐れず大胆に言うなら、クラスの出来ない子にレベルを合わせた教育をして学校全体の学力が低下して良いのかという、お馴染みの議論を私は思い出す。民主主義も教育も、どちらがどうかという問題ではないが。

十数年前、米国の会社に勤める友人が陪審員の通知を受け驚いたと聞いた。彼はグリーンカードを持っているが、市民権はないのに通知を受けたはずだ。その時、様々な事情で陪審員を回避する人が3割以上あると聞き意外に思った。

実は、ある調査によれば今回の裁判員制度に困惑している日本人の割合も同じ程度で、長い歴史を持つ米国と大差ないのだ。違うのは報道の姿勢ではないかというのが私の疑いだ。

再びメディア批判

先日投稿した「選挙2.0」でオバマ大統領の選挙戦でITを有効に活用した、政策の専門サイトでその道の専門家の打ち出した政策を参加者が事実確認から始め議論して詰めて行き、最終的に大統領の政策に練り上げて行くプロセスが勝利に貢献したことを紹介した。

一方で、確たるデータはない印象なのだが、日本のネット社会では、議論が極端に走る傾向があると申し上げて来た。先日亡くなった筑紫哲也氏の周辺領域に偏る傾向の問題について書いた。上記の報道の姿勢も含め、程度の差はあれ同じ遺伝子のようなものを感じる。

もう一つ、支持率が急降下した麻生首相の失言について。最近の麻生首相の一連の失言は語るに落ちる。弁護に値しないし、しようとも思わない。

だが、彼のメッセージは社会保険費の増加で将来財政破綻する、日本国が「夕張市化」してしまう、国民は国の制度に安易に頼るのではなく自助精神で健康を保つ努力をもっとして欲しい、社会保障はそれすら出来ない人達の為の最後の制度であるべき、と解釈出来なくはない。その解釈の下で本筋の議論が全く沸き起こらないのは理解に苦しむ。

混沌から最良を見出すシステム

議論を失言追及だけに矮小化し、本筋の議論に触れもしないでは、物事を良き方向に向かわせることは永遠に出来ない。多分、これはプロセスやシステム、又は民主主義や制度の問題ではないのかもしれない。私にも定かではないが、何か間違っている。

最近読んだ本(ウェブ進化論 梅田望夫著 筑摩書房)が、グーグルの検索エンジンは「膨大な玉石混交のコンテンツの中から石をふるいよけて玉を見出す」という精神で作られた、と読んでピンと来た。オバマの政策専門サイトはまさにこの精神が働いたものだ。

本筋の議論を忘れ、重箱の隅をつつく運営をしたらそうは行かなかったろう。更に、淘汰され優れたアイデアが最後に生き残る環境がそこにはあったはずだ。この環境は専門家にとって厳しい挑戦となる、いわゆる評論家なる人達は存在し得ない環境だ。

ビジネスの世界では、個々にコンセプトが明確で定義された商品の開発販売だと我が国は世界トップクラスだ。ソフトの世界でも、いわゆるサブカルチャー商品が世界で大成功したものがいくつかある。しかし、それも幹がしっかりして下支えているからだ。

国の政策レベルでも本筋の議論から逃げず、色々な意見が出てきて、それが最良の政策に昇華していく、間違えたら修正される民主的なプロセスを組み込まれたシステムが我が国でも存在し機能して欲しいと思う。メディアの果たす役割で極めて重要であり、それが文字通り国民の為の媒体のあるべき姿ではないだろうか。■

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パソコン価格破壊リダックス

2008-12-03 18:08:30 | 社会・経済

久しぶりにパソコン業界の話題について一言。世界的信用不安と不景気のニュースに隠れているが、今、パソコン業界は暴風雨が吹き荒れて、かつての様なニュース価値はなくなったものの、業界を一変させるようなパラダイム変換が起こっている。

日経エレクトロニクス(12/3)の記事によると、超低価格パソコンの値下げ合戦が過熱して、国内メーカーの価格が実質4万円台になったと報じている。

超低価格パソコンは今年1月に、台湾の世界的パソコンメーカーASUSTechがEee PCを販売開始して瞬く間に市場を席巻し、今では国内ノート・パソコン販売の1/4がこの超低価格パソコンになったといわれている。

本件はいわゆる「ローエンド破壊」の典型的な例になる可能性が高いと見て、専門家の間で注目されてきた。私も、直近では今年3月初めに「パソコン商戦異常なし」で1-2年内の市場変化を予測した。

http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20080305 

しかし、今回の実体経済の悪化はこの変化を早めたようだ。

初めはフル機能を備えていない別のカテゴリーのパソコンと見做していた(或いは戦術的に意図して区別した)大手メーカーも、超低価格パソコンが市場で受け入れられ急速に販売が伸びるのを見て、後追いで超低価格パソコンの投入をせざるを得なくなった。

従来のパソコンメーカーにとって見れば、最悪の時(景気後退で市場が縮小している時)に、最悪の商品戦略(超低価格機の投入)を強いられることになった。ビッグ・スリーの大型車が石油高騰から金融不安で売れなくなり、日本でも軽自動車のみ売れるのと同じ構図だ。

国内家電量販店のPOSデータの集計によれば11月第3週のノート・パソコン販売は前年比20+%増にもかかわらず、販売金額は前年並みだったという(GfK Japan調べ)。つまり端的に言うとノート・パソコンの平均販売単価が20%低下した。

一方デスクトップ・パソコンは絶不調で金額ベースで前年同週比27%減少したという。超低価格パソコン以外は苦戦を強いられている。トータルで見ると、平均単価の低下が利益を喰っている構図が浮かんでくる。

超低価格パソコンを客寄せに位置づけて乗り切ろうと当初考えていたパソコンメーカーも、この事態は一時的なものではないと判断し、既に本腰を入れて商品計画を練り直したと思われる。しかし、超低価格パソコンと台湾メーカーは既に市場でしっかり認知された。来年はかなり高い確度でシェーク・アウト(業界再編)が起こると予想される。■

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