かぶれの世界(新)

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トリノ五輪報道、大外れ

2006-02-17 11:12:02 | ニュース

トリノ冬季五輪が始まる前、ある民放で海外スポーツ誌の日本の獲得メダル数予測が2個と紹介したのを見て悪い予感がした。日本のメディアは概して海外オンチで、バランスの取れたものの見方が出来ず時に的外れのことを言う。経験から言うと意見が分かれた時、残念ながら信用出来るのは日本のテレビや新聞ではない。

日本のテレビはジャーナリストとして訓練されたキャリアのない素人をキャスターに採用し、薄っぺらで底の浅い根拠で過剰に扇情的な報道をするケースが実に多い。何故こう言わねばならないか、これを言ったら局の信頼を保てるか、職をかけ考え抜いていない。寂しいのは色々な領域の専門家や記者までその傾向があることである。

スポーツ報道では根拠薄弱な期待をして散々持ち上げ結果がでないと、一転して悪者探しをする姿勢が目立つ。残念ながらこれが我国のメディアのレベルである。さすがにこれだけ不成績が続くとまずいと思ったのか、昨日朝日新聞が「日本のメディアははしゃぎすぎ、滑っている」とデーブ・スペクター氏のコメントを取り上げ間接的に反省しているのを見た。苦戦の原因や悪者探しをする前に見る目がなかったと反省して欲しいものだ。

改善するのは難しくない。各国のオリンピック予測を調査し相違点とその理由を調べ、更に結果と照らし合わせることである。これを過去何年かにわたって履歴を取れば誰が信頼できるか分かり、更に原因に遡ることも出来るはずである。専門のスポーツ記者はその位やってキャスターにネタを見せ、馬鹿な事を言わせないようにして欲しい。

海外オンチは別に報道に限ったことではない。日本の半導体産業の低迷について昨年末「産業の米の凋落」と題して海外市場戦略の欠如が原因の一つと報告した。日立とソニーで半導体の責任者を歴任した牧本氏はもっと簡明に「半導体市場がグローバル化した時、海外市場を開拓出来なかった事を原因に挙げ、突き詰めると英語力が足りなかった」と指摘している。

日本の報道ビジネスは農業などと並び実は最も保護された田舎者で、グローバリゼーションの洗礼を受けていない残されたセクターであると私は思う。経営的には国内企業の参入すら容易に許さない仲間だけの緩い競争で、嘗ての護送船団に乗っかった金融機関と同じ様に気がつくと世界の趨勢から周回遅れの弱者連合になった。今回の的外れ予測は、「商品としての報道内容」も残念ながら経営レベルと五十歩百歩であることが如実に現れたということである。■

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英語力の欠如という誠に耳の痛い指摘をご紹介くだ... (QMSS)
2006-02-17 14:37:19
英語力の欠如という誠に耳の痛い指摘をご紹介くださいました。26文字の文化と2千文字の文化の違いが影響を与えているのでは、などと考えても見たくなります。情報と貨幣価値がつながっている限り、日本人もまずローマ字で情報交換をスムーズに行うように教育されて来るべきであった思っております。いかがでございましょうか。
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QMSSさん、コメント有難うございます。トリノ五輪... (sandy)
2006-02-18 00:08:57
QMSSさん、コメント有難うございます。トリノ五輪報道と英語力を結びつけるのはいささか乱暴でした。うっかり教育を語り始めたらドツボに入りそうです。ご指摘の教育の問題は自説を展開するほど私自身クリアではありません。

私の経験では海外でのコミュニケーション能力の欠如は単なる語学力に加え日本人の失敗を恐れる性向が関係しているように感じます。日本人の英語を使ってコミュニケーションする能力は世界最低レベルという調査結果を実感する場面に私は何度も遭遇してきました。(ここで言うコミュニケーショとは相手の論理で自説を主張し互いに理解しあう事です。)

日本人の英語コミュニケーション能力が不足しているのは当然だと私は思います。殆どの先生は英語コミュニケーション能力がなく、そもそもコミュニケーション自体を教えていないのだから。しかし、私が気になるのは語学力だけではなく自己主張を通じて貢献していこうという姿勢が全体として欠けているように思える事です。

日本で有能で業績をあげた人が、海外で英語を話す場面になると突然無能になってしまうのを見るのは実に悲しい体験でした。その人達は必ずしも流暢ではなくても英語は喋れた。一般論で言うと、スポーツの世界と同様、ビジネスの世界では欧米が喧々諤々議論してルールを作る、日本はじっと見守り不満があっても新ルールに素早く適応し最大利益を出す、欧米は自分たちの利益が出るまでルールを改変し続ける、という定型があります。

これが民族的な性向なのか教育で変える事が出来るかどうか私には分からない。問題が百出しても官僚システムからプロ野球機構まで改革が遅々として進まない、もしかしたらDNAかもしれない。しかし、はっきりしている事はルール作りの側に立たないと全体が見えない。ルール作りの側にたつ人材はあらゆるレベルでそういう人材を評価し求める社会の中でよく育つ。日本にもそういう若者が増えている、私にはそういう期待があります。■
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