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私的・トップの器

2015-05-13 18:07:04 | 社会・経済
4月後半から2015年3月期の決算が発表され、トヨタが過去最高の業績をあげ称賛された一方、ソニーは上方修正して黒字回復したのにケチを付けられ、シャープは資本金を中小企業並みに減資して再建を目指す、東芝は会計不正が発覚し決算発表が出来ない、とまさに十人十色の決算であった。

決算発表と同時に必ず社長の評価もしくは責任が云々される。報道を見る限りトヨタの社長の評価は別格だ。数年前彼が社長就任直後に米国で品質問題で会社が苦境に立たされた時、逃げずに矢面に立ち見事に乗り切った。議会証言後米国のトヨタ本社で社員向けの涙のスピーチは私には印象的だった。

米国では公衆の面前で泣くのは弱いリーダーとみなされるが、この涙はトップが下まで降りて来て一緒に頑張ろうと団結を固めるものになるだろうと感じた。日本人トップがスピーチで現地従業員を感動させるとは大したもんだと思った。私も何度も機会があったが上手く行った試しがない。彼はこの後トップとしての求心力を高めていくだろうと予測した。彼のリーダーとしての信頼は目先の経営に右往左往しない長期戦略を可能にしたと思う。

多分、ここ数年のソニーの苦境はトヨタの品質問題どころではない、会社存続にかかわる根本に関わるものだったと思う。15年度の業績が事前予想を上回る結果に改善されたにもかかわらず、報道によると平井社長の評判が良くない。平井ソニーに対するOBの不満の声や、過去数代にわたるトップの失政を指摘する記事が散見された。

経営コンサルタントが勧めるような経営の効率化、コア事業に人物金を集中する選択と集中、等々のお馴染みの手法によって経営を改革し収益体質を改善しても、それだけではソニーはいけないらしい。批判はソニーは普通の会社ではない、特別でなければならない、という神話を支えたプライドから出ているというのは理解できる。だが、厳しいなと思わずにはいられない。

かつての業界が好調なら属する会社も皆好調とはいかず、冒頭の様に会社毎に業績の好不調が分かれる傾向が強くなっている。電気関連だと史上最高益の日立と倒産寸前のシャープの間にまだら模様の業績の会社がある。好調でも不調でも結果責任を問われるトップという仕事は難しいとつくづく同情する。その時々の景気や風の吹き具合があろうとなかろうと関係ない、結果に対して黙って責任をとるだけだ。

私にも失敗の思い出がある。偉そうに言うが私はトップの器ではない。優秀な中間管理職だったが、経営者としては失格だったと以前投稿した通りだ。管理職として優れた成績を上げると、会社は経営者に昇進させるがその人が経営者として優れているかは別の問題だ。私はうまく行ったこともあるが、何故か失敗したことばかり思い出す。うまく行って当たり前で、平井社長の様に業績を改善してもやり方が悪いと非難されることもある。

私には二つの苦い思い出がある。消費者製品の事業責任者だった時のことだ。マーケット部門の要望を聞いて競争会社を上回る製品開発させ値付けをして大成功、競争会社の製品在庫が積み上がっていると営業から報告を受けた。だが、半年後に競争会社はその在庫をモデルチェンジし格安の新製品を打ち出しベストセラーになり、今度は判断ミスも重なり我方の倉庫が在庫で埋まり大赤字を出した。経緯はどうあれ結果責任は私だった。

二つ目は子会社に出向し営業本部長として同タイプの製品を、戦線縮小の噂のあった大手の競争会社にOEMとして売り込んだ時のことだ。どうしても取りたいと考えた私は、損をしなければいいと報告された工場原価を信用して、原価で提案するようスタッフに指示し顧客は値段に飛びつき受注にこぎつけた。

初めての大口受注で大成功だったはずなのに、その後予期しない不協和音が聞こえて来た。私に遠慮して言ってくれなかったが、想像するに工場原価のまま出荷して利益が出ない事態になったようだ。誰もノーと言えない私の立場と取引の大きさを考えると、私自身がキチンと数字を精査するなり信頼できるスタッフに確認させる用心深さがあるべきだった。小さな組織とはいえトップとして当然やるべきことだった。 ■

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