昨日は記憶に残る日だった。と言っても私の記憶はそう長くは続かないだろうと思うが。午前中に40年近く楽しんだバドミントンクラブに顔を出し、長らくお世話になったとお礼の挨拶をし小一時間軽く最後のゲームをした。私は会社勤めとほぼ同時代をバドミントンをやって来た。
30過ぎに会社の昼休みの羽付きから始め、世田谷と府中市の大会でAランクでやれるところまで上手くなった。40代半ばで米国赴任後もバドミントンを続け、地域の大会に参加したりカナダとワシントン州の交流大会にも出た。私には仕事と同じくらい大事にした趣味だった。
最初は会社の同僚の勧めで世田谷のクラブに加入し本格的に始めた。長野や尾瀬、鹿島などの夏の合宿にも家族ぐるみで参加して楽しんだ。その後、管理職に昇進し仕事が忙しくなると地元のクラブを転々とし、最後まで長く続いたのは土曜午前中のオープン参加のクラブだった。
1年前に田舎で腰を痛めてバドミントン練習が出来なくなり、帰京後は再開を目指して自宅の前で基礎練習をやっている時、不運にも足首付近を痛めた。その後も自宅前で素振りを続け、体力維持を兼ねて山歩きをしたが、バドミントンが出来るほどの体力、特に瞬発力は戻らなかった。
40年の間に残ったメンバーは私だけになってしまった。練習前に全員集めてその頃を知るリーダーに紹介して貰った後、感謝を込めてお別れの挨拶をさせて貰った。その後、最後の練習ゲームに参加したが、瞬間的な動きが全く出来なかった。もうこのクラブでやるのは無理と再確認したところでお別れした。
急ぎ自宅に戻りシャワーを浴びて着替えをし、午後の家族パーティの準備をした。今回はコロナ感染のリスクを考慮して、娘の孫と家内の誕生パーティを兼ねて自宅に家族が集まり食事をした。子供達は晩産だったが孫も3人に恵まれ、気が付けば一番下の孫も5歳になった。
今回は色々な事情が重なり私のバドミントンクラブ退会と、我が家の次世代を担う孫の誕生祝いと、その間を取り持ってくれる家内の誕生祝いを併せてやることになった。こんな風に感情に浸ったのは私だけかもしれない、その他のメンバーは楽しくパーティを楽しんだと思う。
孫たちに会うと毎回彼らの成長に驚く。私が3人の子供の父親だった40年前は、今の時代の親から見れば失格だった。正直言って私は仕事に集中し子育ては全て家内がやってくれた。パーティの最中にその時代の話題になると、私が何もしなかったみたいな会話になって居心地が悪くなる。
子供が欲しがる玩具や漫画など私は買ってやらなかった。家内が家計をやりくりして買ってやったという。子供の同級生の皆が持ってるゲームなどをうちの子だけ持ってないないこともあり、娘は子供の頃我が家は酷く貧乏だと思っていたと聞いた。
その彼らが今度は子育てに直面している。彼等には彼らの考えがあり、私は口を挟む積りはない。私としては普通の家より子供に経済的な支援をしている積りだが、その一方で私の考えに合わない支出をしてると思うと微妙な気持ちになる。
父親として何もしなかったと言ったが、アメリカかぶれの私が当地の子育法を押し付けたかも知れない。どうあろうと祖父や父から私に引き継がれたものを、彼らは自分の考えで形を変えて引き継ぐことになる。バドミントンは誰もやらないだろうが。■
30過ぎに会社の昼休みの羽付きから始め、世田谷と府中市の大会でAランクでやれるところまで上手くなった。40代半ばで米国赴任後もバドミントンを続け、地域の大会に参加したりカナダとワシントン州の交流大会にも出た。私には仕事と同じくらい大事にした趣味だった。
最初は会社の同僚の勧めで世田谷のクラブに加入し本格的に始めた。長野や尾瀬、鹿島などの夏の合宿にも家族ぐるみで参加して楽しんだ。その後、管理職に昇進し仕事が忙しくなると地元のクラブを転々とし、最後まで長く続いたのは土曜午前中のオープン参加のクラブだった。
1年前に田舎で腰を痛めてバドミントン練習が出来なくなり、帰京後は再開を目指して自宅の前で基礎練習をやっている時、不運にも足首付近を痛めた。その後も自宅前で素振りを続け、体力維持を兼ねて山歩きをしたが、バドミントンが出来るほどの体力、特に瞬発力は戻らなかった。
40年の間に残ったメンバーは私だけになってしまった。練習前に全員集めてその頃を知るリーダーに紹介して貰った後、感謝を込めてお別れの挨拶をさせて貰った。その後、最後の練習ゲームに参加したが、瞬間的な動きが全く出来なかった。もうこのクラブでやるのは無理と再確認したところでお別れした。
急ぎ自宅に戻りシャワーを浴びて着替えをし、午後の家族パーティの準備をした。今回はコロナ感染のリスクを考慮して、娘の孫と家内の誕生パーティを兼ねて自宅に家族が集まり食事をした。子供達は晩産だったが孫も3人に恵まれ、気が付けば一番下の孫も5歳になった。
今回は色々な事情が重なり私のバドミントンクラブ退会と、我が家の次世代を担う孫の誕生祝いと、その間を取り持ってくれる家内の誕生祝いを併せてやることになった。こんな風に感情に浸ったのは私だけかもしれない、その他のメンバーは楽しくパーティを楽しんだと思う。
孫たちに会うと毎回彼らの成長に驚く。私が3人の子供の父親だった40年前は、今の時代の親から見れば失格だった。正直言って私は仕事に集中し子育ては全て家内がやってくれた。パーティの最中にその時代の話題になると、私が何もしなかったみたいな会話になって居心地が悪くなる。
子供が欲しがる玩具や漫画など私は買ってやらなかった。家内が家計をやりくりして買ってやったという。子供の同級生の皆が持ってるゲームなどをうちの子だけ持ってないないこともあり、娘は子供の頃我が家は酷く貧乏だと思っていたと聞いた。
その彼らが今度は子育てに直面している。彼等には彼らの考えがあり、私は口を挟む積りはない。私としては普通の家より子供に経済的な支援をしている積りだが、その一方で私の考えに合わない支出をしてると思うと微妙な気持ちになる。
父親として何もしなかったと言ったが、アメリカかぶれの私が当地の子育法を押し付けたかも知れない。どうあろうと祖父や父から私に引き継がれたものを、彼らは自分の考えで形を変えて引き継ぐことになる。バドミントンは誰もやらないだろうが。■