昨日22年ぶりに奥多摩の大岳山から馬頭刈山を縦走した。22年前に最後に歩いた時は単独縦走、昨日は長男と二人の孫の4人で歩いた。都心に住む長男家族と青梅駅で合流し、御嶽駅に到着したのはちょうど9時だった。自宅から南武線で立川に向かう電車は通勤客で一杯だった。
驚いたことに立川から青梅までの電車も満員だった。車窓から見える沿線は家並みが続き、昔とは随分違っていた。御嶽駅からバスで10分でケーブル下に着いた。そこからケーブル乗り場まで100m程度の急坂を歩いた時、思いの外足が重く脚力低下の悪い予感がした。
孫達に奥多摩の初心者コースの山歩きを提案し、長男と娘にその子供計6人で大岳山から馬頭刈尾根の縦走を計画した。ガイドブックに残したメモでは1999年12月19日、雪の山道を朝10時に出発、午後2時40分にバス停十里木着、昼食含め計4時間40分の初心者コースだった。
ケーブルは5分余りで御岳山駅に着き、暫く参道を歩き宿坊街を通り抜け、奥多摩の典型的な山腹の山道にとりついた。1時間余で大岳山荘に近づいた辺りでごつごつした岩道になり、先頭を行くリーダーが孫達に変わった。山荘から山頂に続く岩だらけの急坂も彼らはすいすい登って行った。
その頃は下から注意しろ声をかけるのが精一杯だった。頂上から見えるはずの富士山は雲に隠れていた。30分ばかり頂上で食事を済ませ下山して次の目標に向かうことにした。岩道の下りも予想以上に難しかった。楽な山道と思っていた記憶とは違い、馬頭刈尾根は上り下りの激しい岩道が多く難儀した。後からガイドブックを見ると確かにそんな記述があった。
馬頭刈尾根に入ると人っ子一人出会わなくなった。昔は険しい山道だと思わなかったが今は険しいのか。2時間程度歩くと「つづら岩」に着き、ロッククライミング練習中の若者を見かけた。これが縦走中出会った只一人だった。この頃から長男の膝が悪化し歩行スピードが徐々に遅くなった。
特に岩場の急坂の下りには私も息子も難儀した。孫達がどんどん先に行き見えなくなり、先を急ぐと木陰に2人が座って我々を待っているといった具合だ。長男は思いの外苦しそなので重そうなリュックを交換して担いでやり、更に林道に出たところで私のリュックも前後に担いで歩いた。
暫くすると突然下の孫のガソリンが切れて座り込んだ。彼は小学1年生、上の子が4年生だった。1年生がパーティの中で一番元気だったのだが。そこで私と上の孫が軍道バス停に急ぎ時刻表を確認したが、非情にも10分前にバスが出た後で次のバスは2時間後だった。
長男に携帯で連絡を取ろうとしたが集落内で電波が届かなかった。そうしているうちに上の孫が持つ小児用携帯は電波が届き母親と連絡が取れ、更に下の孫とも連絡が取れた。結局私が3つ先の停留所十里木まで歩いて時刻表を確認し、そこから6時29分のバスに乗り武蔵五日市駅に着いた。
それから6時47分発の電車で立川まで行き、長男家族が中央線に乗るのを見届けて分かれた。長男は膝に力が入らず座席から立つのも苦労したが、その後は順調で8時前には自宅に着いたと連絡が入った。下の孫はガス欠になった終盤もう山は嫌だと言ったがその後何と言ったのだろうか。
30年以上前に長男と娘と同じコースを歩いた時は苦労した思いはなく、今回も初心者用コースの積りだった。なのに後半難儀することになった。長男の膝の悪化には驚いたが、私自身も急速な身体の衰えは感じていた。その後娘が孫を山に連れてくれと再度頼まれた。高尾山が精一杯だろう。
今朝から大腿筋の痛みに見舞われている。ふくらはぎは痛くないのだが。一日中テーブルで新聞を読みパソコンやスマホでネット検索し、夕方になって軽く散歩した。山歩きの翌日直ちに筋肉痛になるのは若々しい証拠と勝手に思ったが、椅子から立ち上がる度に足が痛いのは辛い。■
驚いたことに立川から青梅までの電車も満員だった。車窓から見える沿線は家並みが続き、昔とは随分違っていた。御嶽駅からバスで10分でケーブル下に着いた。そこからケーブル乗り場まで100m程度の急坂を歩いた時、思いの外足が重く脚力低下の悪い予感がした。
孫達に奥多摩の初心者コースの山歩きを提案し、長男と娘にその子供計6人で大岳山から馬頭刈尾根の縦走を計画した。ガイドブックに残したメモでは1999年12月19日、雪の山道を朝10時に出発、午後2時40分にバス停十里木着、昼食含め計4時間40分の初心者コースだった。
ケーブルは5分余りで御岳山駅に着き、暫く参道を歩き宿坊街を通り抜け、奥多摩の典型的な山腹の山道にとりついた。1時間余で大岳山荘に近づいた辺りでごつごつした岩道になり、先頭を行くリーダーが孫達に変わった。山荘から山頂に続く岩だらけの急坂も彼らはすいすい登って行った。
その頃は下から注意しろ声をかけるのが精一杯だった。頂上から見えるはずの富士山は雲に隠れていた。30分ばかり頂上で食事を済ませ下山して次の目標に向かうことにした。岩道の下りも予想以上に難しかった。楽な山道と思っていた記憶とは違い、馬頭刈尾根は上り下りの激しい岩道が多く難儀した。後からガイドブックを見ると確かにそんな記述があった。
馬頭刈尾根に入ると人っ子一人出会わなくなった。昔は険しい山道だと思わなかったが今は険しいのか。2時間程度歩くと「つづら岩」に着き、ロッククライミング練習中の若者を見かけた。これが縦走中出会った只一人だった。この頃から長男の膝が悪化し歩行スピードが徐々に遅くなった。
特に岩場の急坂の下りには私も息子も難儀した。孫達がどんどん先に行き見えなくなり、先を急ぐと木陰に2人が座って我々を待っているといった具合だ。長男は思いの外苦しそなので重そうなリュックを交換して担いでやり、更に林道に出たところで私のリュックも前後に担いで歩いた。
暫くすると突然下の孫のガソリンが切れて座り込んだ。彼は小学1年生、上の子が4年生だった。1年生がパーティの中で一番元気だったのだが。そこで私と上の孫が軍道バス停に急ぎ時刻表を確認したが、非情にも10分前にバスが出た後で次のバスは2時間後だった。
長男に携帯で連絡を取ろうとしたが集落内で電波が届かなかった。そうしているうちに上の孫が持つ小児用携帯は電波が届き母親と連絡が取れ、更に下の孫とも連絡が取れた。結局私が3つ先の停留所十里木まで歩いて時刻表を確認し、そこから6時29分のバスに乗り武蔵五日市駅に着いた。
それから6時47分発の電車で立川まで行き、長男家族が中央線に乗るのを見届けて分かれた。長男は膝に力が入らず座席から立つのも苦労したが、その後は順調で8時前には自宅に着いたと連絡が入った。下の孫はガス欠になった終盤もう山は嫌だと言ったがその後何と言ったのだろうか。
30年以上前に長男と娘と同じコースを歩いた時は苦労した思いはなく、今回も初心者用コースの積りだった。なのに後半難儀することになった。長男の膝の悪化には驚いたが、私自身も急速な身体の衰えは感じていた。その後娘が孫を山に連れてくれと再度頼まれた。高尾山が精一杯だろう。
今朝から大腿筋の痛みに見舞われている。ふくらはぎは痛くないのだが。一日中テーブルで新聞を読みパソコンやスマホでネット検索し、夕方になって軽く散歩した。山歩きの翌日直ちに筋肉痛になるのは若々しい証拠と勝手に思ったが、椅子から立ち上がる度に足が痛いのは辛い。■