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大震災10周年の教訓(1)

2021-03-11 21:37:19 | 社会・経済
10年前の東日本大震災が起きた時のことは、今でも昨日のようによく覚えている。自宅近くの遊歩道で地面の揺れに目まいを感じ最初脳梗塞と疑った。気を取り直し自宅に戻る途中料亭の前に数人の白足袋姿の仲居さんを見て地震だと分かった。その後テレビの津波の生中継は衝撃的だった。

翌日予定通りに震源地から遠く離れた四国の実家に戻り、報道で見聞きした被害状況は現実とは思えない作り物の映画みたいな惨状だった。9.11も映画みたいだったが、東北各地の被害は想像を絶するものだった。だが、後から思ったのはその時から既に復興が始まっていた。

マスコミは被災者がどれだけ悲惨な被害を受けたか、企業が壊滅的な被害を受けたがを重点的に報じた。事実を正しく伝えることはマスコミの役割だが、私から見るとそれだけでは国民をへこませる報道であった。各地の自治体の特徴ある取り組みのなかに希望を見出したかった。また、予想を超えた数のボランティアの姿は驚き頼もしかった。

私の性格上、被害者の方々に同情すると同時に、これから被災地だけでなく日本は復興競争が始まると思い期待した。私は視点を変えて、復興計画と実行状況、政府や自治体と企業や住民の取り組み等々を、自治体や企業ごとに注目して進捗・評価し国民に知らせることが重要だと思った。

言い換えれば、大震災は住民により良い生活に変える機会を与え、企業に強い経営に改善し魅力的な商品を作る機会を与えたと見ることもできる。政府や自治体の支援金を得て、人々や企業は震災の経験から「気付き」と「変える」動機を手にした、と期待した。

能書きはこれまでとして、新聞テレビに報じられたニュースを私なりの見方で評価したい。

宮城県女川町には海岸線に防潮堤がなく、住居地は従来よりコンパクトにして高台に移った。少子高齢化による人口減を見越した復興スタイルだった。海岸の平地には商店街等が残り、住居は高台、どこからも海が見える新女川町が誕生した。だが、震災前と比べ最も人口減少が進んだ町という。

私には女川町の復興アプローチは極めてユニークで今後どうなるか注目している。一方、他の多くの沿岸自治体は従来より倍の高さの防潮堤を築き、海岸線に住居・商店街・公共施設が築かれた。価値観の違いの反映だ。これら復興アプローチの評価は時間軸を変えて評価する必要がある。

次に注目したのは、企業のサプライチェーン管理(SCM:部品供給網のリスク管理)だ。震災時にトヨタの659の部品取引先はズタズタに寸断され生産が止まったという。その主な原因は当時1次取引先の情報しか把握して無かった為で、現在は10次取引先迄状況を把握したという。

その効果は既に証明された。先月の福島沖の震度6強の地震で直ちに被災状況を把握することが出来たという。その効果は地震だけではない。今も続く世界的な半導体不足で世界的に自動車の生産が影響を受けているが、トヨタはこのシステムが機能して最短で生産を再開できたという。

つまり大震災だけではなく、現在進行中のコロナ禍も生活やビジネスの在り方を考え直し強化する機会になっている。テレビニュースは苦境に陥ったサービス業の人達の声を伝えるが、実は同時並行的にビジネススタイルを変えてコロナ後の主役になる企業も多い。国民に伝えるべきニュースだ。

今朝の日本経済新聞は飲食業の在り方を変えた注目すべき企業を紹介している。店内サービスを全てロボット化したくら寿司、飲食店の閉店跡に進出するサイゼリア、1/3を飲み屋からロボットサービスの「焼肉の和民」に切替た等、コロナは50年続いた外食の経営環境を一変させる予感がする。

「環境の変化に柔軟に合わせることが出来れば生き残れる」とのワタミ会長の言葉は、大震災やコロナからどう復興するか示唆していると私は思う。世界最悪のコロナ対応だったはずの米国が気が付けばワクチン供給で世界をリードし、GAFAに続くIT応用の企業が一気に世界進出している。日本のスタートアップはどれだけいるだろうか。■
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