かぶれの世界(新)

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母の思い出(4)

2016-09-21 20:55:36 | 日記・エッセイ・コラム
母の葬式等に参列頂いた方々に香典返しを贈答品を扱う会社に昨日依頼して、母の死亡に関わる一連の作業を終えた。仕事の為実家から離れて過してきた私に取って、初めての経験だったが定型化された葬式ビジネスとご近所の助言のお蔭で無事終えることが出来た。今回で「母の思い出」は一旦終わりとする。

母は田舎の女学校レベルとはいえ総代になる成績だったそうだから、頭は良かったのだと思う。子供の時頼まれて母と仲の良い近所の奥さん家に、時々月刊誌の交換に行った記憶がある。母が「主婦の友」で、母の友人が「夫人倶楽部」だった。母は何年にも亘り雑誌の付録を使って家計簿を付けていた。

30年前頃まだ幼かった子供を連れて実家に戻った時、母は日本経済新聞を購読していた。田舎の農家の寡婦が日本経済新聞を購読するのは当時珍しかったようである。50年以上前だったと思うが、母は携帯ラジオでNHKの株式市況を聞きながら農作業をしていた。叔父さんが株で儲けたという話を何度も聞いた記憶があるから影響されたのかも知れない。

この人は頭が良いと思うような思い出はないが、家計簿みたいに細かいことを根気よく続けてやれる人だった。だが、私が退職した70代半ば頃は雑誌や新聞の購読を止めていた。家計簿も付けていなかったと思う。その時でも、私が実家にいる間は頼んでなくとも日本経済新聞を届けて貰うよう手配してくれていた。

父が死んだ時、昔の農家の在り様で長男の私が相続した田畑に高速道路が通り、後年不動産資産がお金に替わった。その当時はバブル時代の高金利で、無駄使いしなければ特別工夫することもなく10年後には倍増する幸運に恵まれたようだ。後から推測するに、そのうちかなりのお金は実家の修復に使われたようだ。

15年近く前私が早期退職し母の最後を見届けようと決意した時、母は私が相続したお金とほぼ同額の資産を保有し、上記の様にかなりの部分は実家の修復に残りは金融資産として持っていた。私は母の為に退職金から捻出する覚悟だったが、少なくとも介護や医療費の為に母の資産で賄い使い切る前に死んでしまった。

母はお金の面では他人の世話になることなく自分の人生を終えた。運が良かったこともあるがきちっと資産運用してお金を貯めておいたことが役に立った。持病の糖尿病の為長い介護生活を送ることになっても人生最後の10年間を自分で賄った。私も同じ事を家族にしたいと思っている。■
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