かぶれの世界(新)

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宰相橋本龍太郎

2006-07-13 16:34:33 | スポーツ

今月1日橋本龍太郎元首相が急死した。1億円ヤミ献金事件で政界引退に追い込まれ失意の中去っていた。死を悼む国民的な声が盛り上がることなく忘れ去られようとしている。一国の宰相として気の毒な終り方といえる。

確かに橋本氏は国民的な人気が無かった。人気のない消費税率アップを断行して参院選に大敗し首相退陣、最近の1億円ヤミ献金まで悪いイメージばかりある。多分人気のない最も大きい理由は「怒る、威張る、拗ねるが橋本」といわれた個人的性格によるところが大きい。テレビに出てくる氏の受け答えはいかにも傲慢で、これでは人気が出るはずがない。

ビジネスの世界では大蔵大臣時代に総量規制を実施しバブル崩壊の原因を作り、1991年2月日経平均株価が最高値から実に67%の下落の12,879円97銭となった。首相時代(96-98)6大改革を推進したが「失われた10年」といわれ、戦後最悪の景気後退の真っ只中にあった。

この9月の退陣を控え小泉政権5年の評価がされているが、皮肉なことに彼が断行した構造改革の多くは橋本首相時代に種が蒔かれていたと報告されている。省庁再編、金融ビッグバン、普天間基地返還、官邸機能強化等など。

橋本氏はもっと評価されてしかるべきではないかと思う人もいるはずだ。しかし、利権政治の象徴であった竹下派を引き継いだボスが、政策決定プロセスを維持しながら本質的な構造改革が出来たろうか。既得権益層の抵抗を排する為には国民の支持と豪腕が必須であり、それなくして小泉氏の破壊的なアプローチは取れず改革は換骨堕胎されていたろう。

更に外交の領域では橋本氏には日米関係の重要性は理解していたが、国内政治とは逆に反対多数の世論を押し切ってイラク戦争に自衛隊を派遣できなかったと思われる。判断の是非もさることながら、手前勝手な一国平和主義から世界に貢献する日本に脱却出来たとは思えない。

氏の傲慢な態度は自民党派閥政治の中での生き方しか知らないキャリアの中で育まれ、国民と共に戦わなければならないバブル崩壊後の国難にあって、それ以外の態度をとることが出来なかったと私は推測する。それが最後に悲劇を招いた。

それでも、橋本元首相が小泉改革の先鞭をつけ今日の金融活性化、景気回復のタネを蒔いた貢献は言い過ぎではない。個人的魅力によって政治家の実績評価が左右される不公平は残念ながら歴史の常である。橋本龍太郎氏のご冥福を祈りたい。■

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