強運の人とは私の運転歴のことだ。このところ堅い話が続いたので気分転換に思い出すと未だにぞっとする交通事故一歩手前の事故を紹介する。
今迄のところ車に関して自分で信じられないほど私は運が良かった。米国で交通違反しても7回中6回は切符を貰わずに切り抜けた経験を昨年紹介した。が、運がいいのは交通違反だけではない。その他にも致命的な事故になってもおかしく無い経験が何度かある。
最初はバイク事故について。30歳になった頃地元のお祭りの出店で手頃な値段の中古のホンダCBを衝動買いした。当時土日返上でぶっ続けで働くことも多く、仕事に飽きて変化が欲しかったのだろう。学生時代に自動二輪の免許を取っていたのでどの排気量のバイクにも乗れた。
その後毎年何台か中古車を買い替え、スズキのカタナ(CBR)に到達した。当時は自主規制項目になっていた赤のフル・カウリングを改造で取り付けたもので標準タイプに比べ断然格好良かった。一時期は毎週土曜の夜甲州街道をぶっ飛ばし、週末に遠出することもあった。家内を乗せタンデム走行であちこちに行った。
週末に土曜の早朝自宅を発ち、立川から奥多摩街道を走り柳沢峠を越え塩山に下り甲州街道に戻るコースを半日でこなせた。その時は峠を越えた頃から前方のカワサキGPZの後につき、追っ掛け追いつ追われつ走っていた。
大月を過ぎた辺りだった。見通しが良い緩やかな左カーブのはずなのに、気がつくとセンターラインを飛び出しそうになり、慌てたのかやってはいけないことをやった。フロント・ブレーキ・レバーを引いて前輪ロックさせてしまった。
峠を越え安心して一瞬集中が途切れたのだと思う。時速70km程度でそう飛ばしていた訳ではないのが幸運だった。車体は左側に倒れ右側の対向車線に向かい回転せずスライドして行き路肩まで達して止まった。
厚手のジーンズのボタンは飛んで無くなりファスナーは開ききっていた。膝は穴が開き、骨が見えそうだったが足は動いた。堅固な専用ブーツで足指は守られていた。革ジャンの肋骨あたりも擦り切れて穴が開いていたが、幸い何処も動かないところはなかった。
気がつくと先行していたGPZが戻って来てバイクの様子を見てくれた。クラッチレバーの先端が擦り切れて半円形(当時ダイエー・マークと言った)になっていた。オイルが少しこぼれたがエンジンは一発始動した。ギア・ポジションが滅茶苦茶になっていたが、動作位置を調整して何とか低速で乗れるようにしてくれた。
そうした間も途切れることなく車が通り過ぎて行ったが、対向車線をスライドしていった時は幸運にも対抗車線の交通が途絶えていた。幹線道路の甲州街道であり通常途切れない交通量のことを考えると幸運だったとしか言い様が無い。
小仏峠をゆっくり走り高尾経由で何とか自宅まで辿り着いた。見知らぬ私をほんの少しつるんで走っただけでわざわざ戻って助けてくれたGPZの彼に感謝したが、気が動転していたので十分お礼が出来なかったのが未だに気になる。
怪我は打撲と擦過傷だけだった。医者の説明では擦り切れて黒くなった膝は火傷と同じだが骨に異常はなかった。医者には3回通っただけだ。その後バイク・ショップで調べると前輪の支柱がやや曲がりバランスが悪くなっていたが何とか支障なく乗れるようにしてくれた。その後暫らくは怖くて非常に用心深い運転をした。(続く)■