旅の五日目は、ブハラからシャフリサーブス経由でサマルカンドへ移動することになりました。今回の旅では、一番長時間の移動になりました。まずは、シャフリサーブスまで4時間の移動。
道は、「ステップ」と呼ばれる乾燥した原野の中に続いていました。
「ステップ」は、森林を形成するほど湿潤ではないが、砂漠というほど乾燥していないような原野で、中央アジアを中心とするものは最大規模のもので、グレートステップと呼ばれます。
緑が少ないように見えるステップでしたが、ポピーの花が群生して咲いていました。
車道脇をおじさんを乗っけたロバが歩いていました。ウズベキスタンでは、良くロバを見かけました。
シャフリサーブスが近づくと緑が多くなりました。
シャフリサーブスに到着してまずは昼食になりましたが、そこのレストランの家族の新婚さんです。新妻は、半年間の間は、客に対して正装して挨拶する習慣があるそうです。
シャフリサーブスは、ティムールの生まれ故郷として知られています。ティムールは、1336年、この地を治める豪族の家に生まれ、この地を基盤に勢力を広めていきました。帝国を築いた後も、都のサマルカンドに負けない壮麗な建築群を築いていきました。しかし、ティムールの死後の16世紀後半に、嫉妬にかられたブハラのハンによって、建物はほとんど破壊されてしまいました。
シャフリサーブスでは、まずアク・サライ宮殿跡を見学しました。
アク・サライ宮殿は、1380年に建築が開始され、ティムール死後の1405年まで建築が続けられました。現在では、入り口のアーチのみが残されています。
アク・サライとは、「白い宮殿」という意味ですが、実際には青と金色のタイルで装飾されていました。
現在のアーチの高さは38mですが、かつては50m以上あったようです。
塔の中ほどにアラビア文字が書かれています。東の円柱には、「スルタンはアラーの影である」という意味のことが書いてありますが、西の門には、スルタンは影である」としか書かれていないといいます。このミスのおかげで、建築家は塔の上から投げ落とされて殺されたといいます。
塔の間から見えているのは、ティムールの像です。
写真を撮っていると、若者の一団に囲まれて、どこから来たと聞かれました。日本からというとサッカーがどうのこうと言い出しました。ワールドカップで、ウズベキスタンの若者は、日本人というとワールドカップにおけるサッカーの相手として意識しているようです。ブラジルのファイナルゲームで合いましょうというと、お友達モードになって、一緒に記念写真を撮ることになりました。
南面に回り込みましたが、こちらは装飾が無くなっていました。
ティムール像は、タシケントのティムール広場にもありましたが、容貌はほぼ一緒でしすね。
アク・サライ宮殿跡は、廃墟になっているのは残念ですが、廃墟としての魅力があります。
道は、「ステップ」と呼ばれる乾燥した原野の中に続いていました。
「ステップ」は、森林を形成するほど湿潤ではないが、砂漠というほど乾燥していないような原野で、中央アジアを中心とするものは最大規模のもので、グレートステップと呼ばれます。
緑が少ないように見えるステップでしたが、ポピーの花が群生して咲いていました。
車道脇をおじさんを乗っけたロバが歩いていました。ウズベキスタンでは、良くロバを見かけました。
シャフリサーブスが近づくと緑が多くなりました。
シャフリサーブスに到着してまずは昼食になりましたが、そこのレストランの家族の新婚さんです。新妻は、半年間の間は、客に対して正装して挨拶する習慣があるそうです。
シャフリサーブスは、ティムールの生まれ故郷として知られています。ティムールは、1336年、この地を治める豪族の家に生まれ、この地を基盤に勢力を広めていきました。帝国を築いた後も、都のサマルカンドに負けない壮麗な建築群を築いていきました。しかし、ティムールの死後の16世紀後半に、嫉妬にかられたブハラのハンによって、建物はほとんど破壊されてしまいました。
シャフリサーブスでは、まずアク・サライ宮殿跡を見学しました。
アク・サライ宮殿は、1380年に建築が開始され、ティムール死後の1405年まで建築が続けられました。現在では、入り口のアーチのみが残されています。
アク・サライとは、「白い宮殿」という意味ですが、実際には青と金色のタイルで装飾されていました。
現在のアーチの高さは38mですが、かつては50m以上あったようです。
塔の中ほどにアラビア文字が書かれています。東の円柱には、「スルタンはアラーの影である」という意味のことが書いてありますが、西の門には、スルタンは影である」としか書かれていないといいます。このミスのおかげで、建築家は塔の上から投げ落とされて殺されたといいます。
塔の間から見えているのは、ティムールの像です。
写真を撮っていると、若者の一団に囲まれて、どこから来たと聞かれました。日本からというとサッカーがどうのこうと言い出しました。ワールドカップで、ウズベキスタンの若者は、日本人というとワールドカップにおけるサッカーの相手として意識しているようです。ブラジルのファイナルゲームで合いましょうというと、お友達モードになって、一緒に記念写真を撮ることになりました。
南面に回り込みましたが、こちらは装飾が無くなっていました。
ティムール像は、タシケントのティムール広場にもありましたが、容貌はほぼ一緒でしすね。
アク・サライ宮殿跡は、廃墟になっているのは残念ですが、廃墟としての魅力があります。