さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 カルナック神殿 その1

2018年02月06日 | 海外旅行
ファルーカから下船し、再びバスに乗ってカルナック神殿に移動しました。

カルナック神殿の入口には、ここでもビジターセンターが設けられていました。



ビジターセンター内部には、神殿の模型が置かれていました。

ルクソールは古くはテーベと呼ばれ、中王国、新王国、末期王朝時代の一時期には首都として栄えました。ナイル川右岸は、太陽が昇る生者の世界と考えられ、かつてアメン大神殿と呼ばれたカルナック神殿と、その副神殿であったルクソール神殿が設けられました。

カルナック神殿は、長年にわたって歴代王朝によって増改築が繰り返されたため複雑な構造になっています。

模型の右手から入場することになります。



入場すると、広大な前庭の向こうに、高さ43mmの巨大な第一塔門が目に入ってきます。



第一塔門の前には、40体の牡羊の頭を持つスフィンクスが並んでいます。この通路は、スフィンクス参道と呼ばれ、市内のルクソール神殿までつながっていました。



ここのスフィンクスは、主神であるアメン神殿の守り神である羊の姿をしています。



スフィンクスの頭の下には、小さなファラオの像がおかれています。



第一塔門から入場すると、第一中庭になります。先回は、観光客で大混雑になっていましたが、今回はほとんど人がいませんでした。

一般的なツアーの日程では、ルクソール東岸観光は、昼食後にひと休みして夕方に見学を開始し、カルナック神殿の後に夕日に染まったルクソール神殿を見学するというものになっています。丁度、ツアー客は昼食をとっている時間になっていました。航空機の欠航による大幅な日程変更によって、これに関しては幸いなことに、静かなカルナック神殿見学を行うことができました。



第一中庭に入って左手には、セティ2世神殿があります。



オペト祭の時のテーベ三神(ムート、アメン、コンス)の聖船の祠堂として使われました。



セティ2世神殿の壁画。



第一塔門を裏から見ると、土盛りが残されています。建設の際には、土盛りを高くしながら日干しレンガを積んで壁を築いていったことが判ります。



第一中庭に入って右手の回廊には、牡羊頭のスフィンクスが並んでいます。





第一中庭に残されているスフィンクスは、ツタンカーメンが造ったものと言われています。



カルナック神殿の第一中庭の奥には、第二塔門がそびえています。



第二塔門の前には二つの巨像が立っています。その前に一本だけ立つ柱は、タハルコ王(第25王朝)のキオスクの柱です。



右は、ラメセス2世の巨像。逆光のために撮影場所が限られていて、判り難い写真になっています。



左は、ピネジェム1世の巨像。彼は、第20王朝の最後の王ラメセス11世の後に、アメン大司祭として上エジプトを支配しました。

他の資料では、こちらもラメセス2世像となっており、そうなると足元にいるのは王妃ネフェルタリということになります。どうやらピネジェム1世は、像の名前を変えて自分のものにしてしまったようです。



第二塔門のレリーフ。



第二塔門の奥に置かれた像。



第二塔門を過ぎると、大列柱室になります。奥まで見通せるほど観光客がいませんでした。

大列柱室は、幅102メートル、奥行き53メートルに及び、高さ15mと23m、直径は3m以上の巨大な柱が134本並んでいます。ここはセティ1世によって装飾が始められ、ラムセス2世により完成しました。



巨木の森といった圧倒的迫力で迫ってきます。

柱頭の形には二種類あり、これは未開花式パピルス柱。



こちらは開花式パピルス柱。



またところどころに、明かり採りの窓の跡が見られます。



雨水に晒されなかった横木の下には、彩色が残されています。



映画の「ナイル殺人事件」」では、上から石を落とす殺人未遂事件が起こりますが、上に登れる場所があるのだろうかとつい見まわしてしまいます。
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