さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 フンザ その6

2013年11月08日 | 海外旅行
アルチット村見学の後は自由時間となり、水路沿いの散策に出かけました。この水路沿いの散策は、第6日目の午後にも行われたのですが、山の展望は第5日目の方が良かったので、無駄にはなりませんでした。

ホテルを出てひと登りして車道に出ると、水路が左に分かれます。



水路の入り口からは、ウルタル谷を望むことができます。この水路も、ウルタル谷の氷河からの水を引いたものです。



ホテルからでは半分隠されていたディランの山頂の全体が見えてきました。



山頂は純白の雪に覆われていますが、山の斜面の雪は雪崩落ちています。

ディランの眺めは、カリマバードの西に寄った方が良いようです。



水路沿いには、民家が広がっています。



フンザのの民家では家畜が飼われていることが多いようで、この民家は一階が家畜小屋になっていました。



ヒツジが外をのぞいていました。何かを語りかけているようです。



再びディランの展望が開けました。



山頂から左に落ちる稜線も良く見えてきました。



このディランは、北杜夫の小説「白きたおやかな峰」の舞台になった山です。北杜夫は、1965年京都府岳連カラコルム登山隊にドクターとして参加、この体験をもとに小説「白きたおやかな峰」を書き上げました。

「白きたおやかな峰」から、ディランの姿を描写したところを引用しましょう。

はじめて、今朝は、突き抜けるような快晴であった。ディランが真っ白な全身を恥じらいもなく露わにして、遥か右方向に聳えたっていた。なんという全き純白の姿。それは雄大で彼らを威圧するというより、優雅な女性として一同をさし招くかに見えた。まったく白かった。どこもかしこも白かった。あくまで濃藍の空が、その白さをいやがうえにも強調し、デイィランはお伽の国の魅力に満ちた特別製の砂糖菓子のように眩ゆく光り輝いた。裸身をむきだしにして一同をさし招く純白のあえかな美女。

書き写していると、白い山頂のことを何度も繰り返し、ちょっとくどいような気がします。カリマバードからの眺めでも、確かに「白きたおやかな峰」という印象です。

しかし、この一見するとたおやかに見える峰も、周囲に雪崩多発の斜面をめぐらし、天候も変わりやすく、実際には多くの登山隊の登頂を拒み続けました。1965年の京都府岳連カラコルム登山隊は、遭難者は出さなかったものの、山頂直前で撤退することになりました。初登頂は、1968年のH・シェルをリーダーとするオーストリア隊になりました。第二登は、それから11年も経過したスペイン隊になります。このことからも、ディランは、たおやかな山頂からは予想できない、困難な山であることが判ります。

観光客である私が目の前に見ることができるほど近い山が、そのように難しいとは意外に感じますが、フンザ周辺の山の特徴でもあるようです。



第6日目の午後にも、もう一度水路沿いを歩きました。この日、夕方は曇り空になっていました。



前日は気が付かなかったのですが、レディースフィンガーの先端を見上げることができました。



前日とは違った羊。



学校帰りの少女。ハセガワメモリアルスクールの学生です。





子供たちと出会うとポーズをとってくれます。



静かな道が続きます。





レディースフィンガーの先端も大きく見えてきました。



子供達から興味を持って見られています。



水路沿いの道は隣村まで続くようですが、途中で上に沿って走る車道に向かいました。



山の斜面に石段が続きます。けっこう息が切れる登りです。



上の車道に出ました。後は、この道を歩いて、ハセガワメモリアルスクールの校門前を通ってバザールに戻りました。



停めてあった乗合いバスですが、デコトラになっていますが、わざわざSUZUKIと文字が描きなおされています。まさか日本車であるとは外見からは判りませんね。



夕暮れ近くなって、雲も消えてきて、ゴールデンピークが輝き始めました。
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