ナイル西岸の岩山の下にハトシェプスト女王葬祭殿はあり、遠くからもその威容を目にすることができます。
3500年前の建物とは思えないような、現代的な造りになっています。
駐車場からは参道を歩くことになります。
葬祭殿は、ファラオの葬儀を行う場所ですが、葬儀が終わると、葬儀に関連した神々の神殿になります。
三段あるテラスは、斜路で結ばれていますが、その脇には主神とも考えられるホルスト神の像がおかれていました。
第二テラスの奥の列柱室には、壁画が残されています。
左手にあるのは、ハトホル女神の神殿です。
柱の上には、ハトホル女神の像がおかれています。
ホルスト女神の化身である聖なる牝牛の乳を飲むファラオの像が描かれていました。このモチーフは、良く描かれており、ファラオが神の子供であることを示しています。
このハトホル女神の像は、アブ・シンベル小神殿でも見ることができましたね。
第二テラスの奥には、このような列柱が並んでおり、壁画をみることができます。
列柱室に描かれたアヌビス神です。
ホルス神に捧げものをするトトメス3世が描かれています。
供物の前に座るアヌビス神。
天井には、星空を表す装飾が施されています。
供物の前に座るアメン神。
斜路を上った先の第3テラスには、ハトシェプスト女王の顔を模したというオシリス神像が並んでおり、この葬祭殿の見どころのひとつになっています。
ハトシェプスト女王は、新王朝初期に、女性でありながらファラんも地位につき、20年間、エジプトを治めました。
ハトシェプスト女王は、夫のトトメス2世の死後に即位したトトメス3世に代わって王位につきました。トトメス3世は、ハトシェプスト女王の娘と結婚して王位を次いだのですが、まだ幼年であったために、ハトシェプスト女王が摂政となり、後に王と宣言してしまいます。
トトメス3世は、成人になると、ハトシェプスト女王から王位を奪い返し、その恨みから、葬祭殿に描かれたハトシェプスト女王の名前を削ったりしています。
ファラオというものは男性がなるものと思われていたため、ハトシェプスト女王は、つねに付け髭をし、ネメス頭巾を被っていたといいます。
像の顔は丸みを帯び、残された彩色の跡が紅をさしたように見えて、どこか女性的な感じがします。
第三テラスの奥は中庭になっています。
至聖堂は立ち入り禁止になっていました。
中庭には、折れて短くなった柱が並んでいました。
斜路から駐車場方面を眺めたところです。かなりの観光客が訪れていました。
最後に、ハトシェプスト女王葬祭殿を良く眺めてから、集合場所の休憩所に向かいました。日向にいることが、辛く感じるような猛烈な暑さになっていました。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、エジプト観光でも欠かせない場所になっていますが、1997年11月に武装テロリストグループの乱射によって日本人も含む観光客に死者が出たことは、忘れることはできません。このように観光ができるのも、平和のおかげなのだと、改めて思いました。
3500年前の建物とは思えないような、現代的な造りになっています。
駐車場からは参道を歩くことになります。
葬祭殿は、ファラオの葬儀を行う場所ですが、葬儀が終わると、葬儀に関連した神々の神殿になります。
三段あるテラスは、斜路で結ばれていますが、その脇には主神とも考えられるホルスト神の像がおかれていました。
第二テラスの奥の列柱室には、壁画が残されています。
左手にあるのは、ハトホル女神の神殿です。
柱の上には、ハトホル女神の像がおかれています。
ホルスト女神の化身である聖なる牝牛の乳を飲むファラオの像が描かれていました。このモチーフは、良く描かれており、ファラオが神の子供であることを示しています。
このハトホル女神の像は、アブ・シンベル小神殿でも見ることができましたね。
第二テラスの奥には、このような列柱が並んでおり、壁画をみることができます。
列柱室に描かれたアヌビス神です。
ホルス神に捧げものをするトトメス3世が描かれています。
供物の前に座るアヌビス神。
天井には、星空を表す装飾が施されています。
供物の前に座るアメン神。
斜路を上った先の第3テラスには、ハトシェプスト女王の顔を模したというオシリス神像が並んでおり、この葬祭殿の見どころのひとつになっています。
ハトシェプスト女王は、新王朝初期に、女性でありながらファラんも地位につき、20年間、エジプトを治めました。
ハトシェプスト女王は、夫のトトメス2世の死後に即位したトトメス3世に代わって王位につきました。トトメス3世は、ハトシェプスト女王の娘と結婚して王位を次いだのですが、まだ幼年であったために、ハトシェプスト女王が摂政となり、後に王と宣言してしまいます。
トトメス3世は、成人になると、ハトシェプスト女王から王位を奪い返し、その恨みから、葬祭殿に描かれたハトシェプスト女王の名前を削ったりしています。
ファラオというものは男性がなるものと思われていたため、ハトシェプスト女王は、つねに付け髭をし、ネメス頭巾を被っていたといいます。
像の顔は丸みを帯び、残された彩色の跡が紅をさしたように見えて、どこか女性的な感じがします。
第三テラスの奥は中庭になっています。
至聖堂は立ち入り禁止になっていました。
中庭には、折れて短くなった柱が並んでいました。
斜路から駐車場方面を眺めたところです。かなりの観光客が訪れていました。
最後に、ハトシェプスト女王葬祭殿を良く眺めてから、集合場所の休憩所に向かいました。日向にいることが、辛く感じるような猛烈な暑さになっていました。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、エジプト観光でも欠かせない場所になっていますが、1997年11月に武装テロリストグループの乱射によって日本人も含む観光客に死者が出たことは、忘れることはできません。このように観光ができるのも、平和のおかげなのだと、改めて思いました。