さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
http://iide.hp.infoseek.co.jp/

東京散歩 人形町

2008年12月20日 | 国内旅行
日本橋人形町は、子供の頃から慣れ親しんだ街です。久しぶりに訪れました。

人形町の交差点に立つと、水天宮の建物が目に入ってきます。神社は二階に上がっており、交差点に面して交番がありますが、背景の神社と似せてあるのが、変わっています。



水天宮は、安徳天皇や建礼門院、その一族の霊を祀ったのが起源ですが、後に久留米に大きな社殿が作られます。

有馬公が参勤交代の際に、江戸でお参りできるように、江戸屋敷内に分霊をしたものが水天宮の始まりです。一般の人はお参りできなかったのですが、五の日に開放されてお参りできるようになって、「情けありまの水天宮」というきまり文句も生まれるようになります。

屋敷が蛎殻町に移転したことによって、水天宮も現在の位置に祀られるようになりました。



現在は、安産のお宮として名高く、境内には妊婦やら、初宮参りの赤ん坊連れの若夫婦やらで大賑わいでした。

境内でうろうろしていると、孫の出産のためのお参りにきたかと疑われそうですね。



露店も、出産用品の店が出ていました。神社では、霊験あらたかな腹帯も求めることができます。



この犬の像の周りには、十二支をあらわす玉が並べられており、自分の干支の玉をなでるとご利益があるとのことです。



神社の入口にあった狛犬ですが、普通は子どもを踏みつけていますが、ここでは見守っているようです。



神社の一階部分は商店が入っており、このような駄菓子屋もありました。



交差点の向かいには、人形焼きの重盛があります。



浅草でも東京名物として売られていますが、やはり人形焼きは、この店に限ります。あんこがずっしりと入っています。



通りを歩いていくと、べったら漬けの店がありました。

10月20日には、宝田恵比寿神社でべったら市が開かれて、このべったら漬けが売られることから、人形町の名物でもあります。



通りを歩いていくと、和菓子の店もいくつかありますが、この玉栄堂の玉まんが、中に色変わりのあんが何層にもなっていて、美味しいし面白いですね。



この角から甘酒横丁がはじまります。明治座に向かう通りには、飲食店が並んでいます。



行列のできるタイヤキ屋の柳屋。買うのは諦めました。鯛焼き御三家と呼ばれているようです。

といっても、子供の頃から歩いている人形町ですが、ここのタイヤキは食べたことはなかったですがね。昔から有名だったのかなあ。



最近では、人形町の代表的な食事処になっている親子丼の玉ひで。

親子丼発祥の店ということになっています。長蛇の列で、諦めました。この店も、入ったことはない。子供の頃は、日本料理屋には縁が無かったということもあります。



明治座手前の小さな公園にある弁慶像。

人形町には、歌舞伎小屋の江戸三座に挙げられた中村座と市村座があり、また浄瑠璃座もあって人形遣いが住んでいました。そのために人形町という名前が生まれたとのことです。この像は、江戸歌舞伎の発祥の地を記念して置かれたものとのことです。



玄治店(げんやだな)跡 前の薬屋の段ボールの下になっており、どかしてようやく写真を撮りました。

幕府の奥医師岡本玄治の1500坪にもなる拝領屋敷があり、そこに貸家が作られたことから、お妾さんなどが住むことになりました。

そこを舞台としたのが、歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」ですね。一般には、春日八郎の歌った「お富さん」で知られています。「粋な黒塀 見越しの松に  仇な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん エーサォー 玄治店・・・ 」

人形町は、江戸情緒のただよう街であり、グルメを楽しむことのできる街です。

お土産に、重盛の人形焼き、べったら漬け、鳥近の卵焼き(これもお勧めですよ)を買いました。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陣見山 (2008.12.14.) | トップ | さすらいの風景 シャルトル »
最新の画像もっと見る

国内旅行」カテゴリの最新記事