イングランド王エドワード1世は、1283年に独立国家ウェールズ公国を征服したのに伴い、この地域を平定するためカナーヴォン城を築きました。カナーヴォン城は、1283年に建設が始まり、1323年に現在の様子に似た状態になりましたが、未完部分も残されました。
エドワード1世は、ウェールズを征服した後の一時期、カナーヴォンを首都に定めて居城としました。城壁で囲まれた町中にイングランド人を移住させて、経済を発展させました。
カナーヴォン城は、ウェールズ人の反攻に備えて、堅固な城壁に囲まれています。この城壁は、かつて第8回十字軍に参加したエドワード1世が見たコンスタンティノープルの城壁を参考にしたとされています。
城内に入ると、中庭の芝生に円形のプレートが置かれています。これは、プリンス・オブ・ウェールズの叙位式典の場所です。
次期国王として王位を継承するべきイングランド国王(現在では連合王国国王)の年長の王子は、「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を名乗ることになっています。これは、ウェールズを平定したエドワード1世が1301年に息子エドワード(後の2世)にこの称号を与えたことに始まります。
イングランド支配を快く思わないウェールズの首領らを前に、カナーヴォン城で生まれた赤子のエドワード王子を見せ、「ウェールズで生まれ、英語を話さない王子である」とエドワード1世は言って一同を賛同させたという伝説が残されています。1301年当時エドワード王子は既に10代後半であったことが矛盾していますが、当時のイングランド王宮で話されていたのは、フランス語系のアングロ=ノルマン語であったことを考えると、英語を話すことができなかったということは嘘ではないようです。
エドワード王子は、カナーヴォン城で叙位式典を行ったもののこの習慣は途絶えましたが、1969年7月1日にチャールズ皇太子が叙位式典を行いました。
なお、プリンス・オブ・ウェールズの妻はPrincess of Wales(ウェールズ大公妃)の称号を名乗ることになります。ただし、現在チャールズの妻であるカミラ夫人は、国民的人気が高い前妻の故ダイアナ妃に遠慮し、コーンウォール公爵夫人(スコットランドにおいてはロスシー公爵夫人)の称号を名乗っています。
壁には紋章を描いた布が掲げられていました。イングランドやスコットランドのライオン、フランスのユリが見られますが、ウェールズを現す赤いドラゴンはありませんね。
城壁に上がりました。
高い塔が設けられており、いかにも中世の城といった姿をしています。
中庭を見下ろしたところ。
城壁の上からは、海の眺めも広がっています。
外に出て、カナーヴォン城を眺めました。
カナーヴォン城は、海辺に長く広がっていました。
現在、「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」として世界遺産に登録されていますが、訪問時には世界遺産というものはありませんでした。それに含まれる4つの城の内、ハーレックス城を除くカナーヴォン城、ボーマリス城、コンウェイ城の三つを訪れることができていたのは、良い体験でした。
アーサー王伝説ヤトリスタンとイゾルデの物語など、中世騎士物語の舞台として、これらの古城はふさわしい姿に思えました。
エドワード1世は、ウェールズを征服した後の一時期、カナーヴォンを首都に定めて居城としました。城壁で囲まれた町中にイングランド人を移住させて、経済を発展させました。
カナーヴォン城は、ウェールズ人の反攻に備えて、堅固な城壁に囲まれています。この城壁は、かつて第8回十字軍に参加したエドワード1世が見たコンスタンティノープルの城壁を参考にしたとされています。
城内に入ると、中庭の芝生に円形のプレートが置かれています。これは、プリンス・オブ・ウェールズの叙位式典の場所です。
次期国王として王位を継承するべきイングランド国王(現在では連合王国国王)の年長の王子は、「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を名乗ることになっています。これは、ウェールズを平定したエドワード1世が1301年に息子エドワード(後の2世)にこの称号を与えたことに始まります。
イングランド支配を快く思わないウェールズの首領らを前に、カナーヴォン城で生まれた赤子のエドワード王子を見せ、「ウェールズで生まれ、英語を話さない王子である」とエドワード1世は言って一同を賛同させたという伝説が残されています。1301年当時エドワード王子は既に10代後半であったことが矛盾していますが、当時のイングランド王宮で話されていたのは、フランス語系のアングロ=ノルマン語であったことを考えると、英語を話すことができなかったということは嘘ではないようです。
エドワード王子は、カナーヴォン城で叙位式典を行ったもののこの習慣は途絶えましたが、1969年7月1日にチャールズ皇太子が叙位式典を行いました。
なお、プリンス・オブ・ウェールズの妻はPrincess of Wales(ウェールズ大公妃)の称号を名乗ることになります。ただし、現在チャールズの妻であるカミラ夫人は、国民的人気が高い前妻の故ダイアナ妃に遠慮し、コーンウォール公爵夫人(スコットランドにおいてはロスシー公爵夫人)の称号を名乗っています。
壁には紋章を描いた布が掲げられていました。イングランドやスコットランドのライオン、フランスのユリが見られますが、ウェールズを現す赤いドラゴンはありませんね。
城壁に上がりました。
高い塔が設けられており、いかにも中世の城といった姿をしています。
中庭を見下ろしたところ。
城壁の上からは、海の眺めも広がっています。
外に出て、カナーヴォン城を眺めました。
カナーヴォン城は、海辺に長く広がっていました。
現在、「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」として世界遺産に登録されていますが、訪問時には世界遺産というものはありませんでした。それに含まれる4つの城の内、ハーレックス城を除くカナーヴォン城、ボーマリス城、コンウェイ城の三つを訪れることができていたのは、良い体験でした。
アーサー王伝説ヤトリスタンとイゾルデの物語など、中世騎士物語の舞台として、これらの古城はふさわしい姿に思えました。