さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ホルヴィラップ修道院

2016年10月04日 | 海外旅行
この日の観光は、まずエレバンの南40kmの場所にあるホルヴィラップ修道院に向かいました。

ホルヴィラップ修道院を前景としたアララト山の眺めが有名ですが、残念ながら山頂が雲に隠されていました。



ホルヴィラップ修道院は小さな岩山の上にあり、駐車場からは坂を上る必要があります。



修道院への道は良く整備されていますが、ひと汗かくことになります。



坂の途中には、ハチュルカ(十字架石)が置かれていました。



修道院は、厚い壁に囲まれていました。昔は要塞としての役目も果たしていたようです。



修道院への入口。観光客で賑わっていました。



ハチュルカ(十字架石)。



このハチュルカ(十字架石)には、白いハトが飾られていました。



ホルヴィラップ修道院の本殿。



まずは、外壁に沿った回廊に上って、アララト山を眺めました。

アララト山は、5165mの大アララト山と3925mの小アララト山の二つのピークからなります。

アララト山には、旧約聖書に出てくるノアの箱舟が、大洪水の後に流れ着いたとされています。



小アララト山は、なんとか山頂まで見えていました。富士山と同じ、すっきりした円錐形をしています。



大アララト山は、山頂部が隠されていました。ガイドブックなどの写真を見ると、山頂部は台形状になっているようです。



このアララト山は、アルメニア人の心の山となっていますが、現在はトルコ領内にあります。丘の下を横切っている道路がトルコとの国境になっています。アララト山のある東アナトリア地方は、かつてアルメニア人が多数住んでいましたが、「アルメニア人虐殺」として知られる、第一次世界大戦後のオスマン帝国政府による強制移住に伴いトルコ領になってしまいました。現在の国境は、ソ連とトルコの間で確定されたものですが、独立した現在のアルメニア政府は東アナトリア地方の返還を求めています。



ホルヴィラップ修道院での見どころは、本殿ではなく、このあまり変わりばえのしない建物のほうになっています。



入口には細かいレリーフが施されていました。



狭い堂内は観光客で混雑していました。



飾られていたイコン。



飾りの少ない堂内です。



堂内の片隅に地下牢への入口があります。

ホルヴィラップという名前は、アルメニア語で「深い穴」を意味しており、4世紀にアルメニアにキリスト教を広めた聖グレゴリウスが幽閉されていた場所であったことに由来しています。

当時アルメニアでキリスト教を布教していた聖グレゴリウスは、異教徒だったティリダテス3世に捕らえられ、ここの地下牢に13年間も幽閉されました。しかし、その後ティリダテス3世は、重い病気に罹った際に妹の忠告に従って聖グリゴールを解放すると病が治ったことから、キリスト教徒に改宗したという伝説があります。



垂直の梯子が底に向かって続いていました。

残念ながら梯子の上り下りが順番待ちになっており、時間が足りなくて地下牢まで下りることができませんでした。



本殿の内部。



グルジア正教とは違った姿をしています。



本殿の周りに回廊が設けられていました。



回廊の一室では、お供えのロウソクが並んでいました。



岩山の上に足を延ばしました。



岩山の上からはホルヴィラップ修道院の全景を眺めることができました。



岩山の上から見たアララト山。雲は消えないようです。



岩山の麓には墓地が広がっていました。



ホルヴィラップ修道院を眺めながら岩山を下りました。



駐車場脇では、放して功徳をつむための商売用の白い鳩が置かれていました。東南アジアの仏教寺院では、小鳥を放して功徳をつむということが行われますが、鳩は住処に戻ってくるので捕まえる必要がなく、効率が良いですね。



駐車場から見たホルヴィラップ修道院と岩山。

この後は、エチミアジン大聖堂に向かいました。
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