さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 アブヤーネ村 その2

2014年03月03日 | 海外旅行
アブヤーネ村の奥に向かって歩いていきます。



アブヤーネ村ではゾロアスター教を信仰しており、一般のイラン人には通じない特異な方言を使うようです。



バラのスカーフを被った女性が道端に座ってドライフルーツなどの土産物を売っていました。



谷向こうの大地に見えるのは要塞とのこと。現在では廃墟になっているようです。



日干し煉瓦を使って、おしゃれに窓枠を造っています。



窓も少し変わっています。



ドアにはノッカーが二つ取り付けられています。右は男性用で、左は女性用とのこと。ノックの音によって、訪問者の性別を知ることができるようになっています。



写真を撮りながらの歩きが続きました。













二階建ての、村の中でも大きな建物。お金持ちのお屋敷でしょうか。



突き当りの霊廟に入りました。7代目イマームの子孫の霊廟とのこと。



タイルで覆われた尖塔が印象的です。



霊廟内には、イラン・イラク戦争の戦没者の慰霊所が設けられていました。イランの地方都市では、メイン通りの街灯などにイラン・イラク戦争の戦没者の写真が飾られていました。この戦没者は、殉教者とされているようです。

イラン・イラク戦争は、イランとイラクが国境をめぐって行った戦争で、1980年9月22日に始まり1988年8月20日に国際連合安全保障理事会の決議を受け入れる形で停戦を迎えました。イランでは1979年にホメイニー師の指導によるイスラム革命があり、親米のパーレビー政権が倒れるとともに、君主制中心の周辺アラブ諸国の警戒感が強まりました。イスラム革命後の混乱に乗じて、以前から国境紛争のあった隣国イラクのサダム・フセインは、1980年9月22日未明、イラクに対し全面攻撃を仕掛けました。イラク軍はイラン国内に進攻し、それを最初の奇襲で生き残った空軍が要撃するという戦いになりました。パーレビー政権時代は、アメリカの戦闘機を導入していたため、イランが制空権を支配することができました。

イランのイスラム革命に介入しようと、米国や欧州、ソ連、さらにアラブ諸国などはイラクを積極的に支援しました。特にクウェートは、ペルシア湾の対岸にイランを臨むことから、積極的にイラクを支援し、資金援助や軍港の提供を行いました。

完全に孤立したイランですが、20万を越える義勇兵が前線に加わって、戦線は膠着状態に陥りました。ここで奇妙な援助国が現れてきます。アラブ全てを敵に回しているイスラエルは、敵の敵は味方ということで、米国製の部品を調達するなどしてイランを支えました。さらに、少数派のアラウィー派が政権を担っていたシリアと反欧米を掲げるリビアがイランに味方するということになります。1981年6月7日に、イスラエル空軍機はヨルダン・サウジアラビア領空を侵犯してイラク領に侵入して、イラクがフランスの技術で建造していた原子力発電所を空爆して破壊してしまいます。さらにレバノンにイスラエル軍が侵攻。イスラエルの漁夫の利的攻撃全開です。その後、イランとイラク間の都市のミサイル攻撃や、米国の介入によるイランによるペルシャ湾のタンカー攻撃なども起きましたが、当初の当事者であったイランとイラクは戦い疲れて、1988年8月20日に停戦を迎えました。

イラン・イラク戦争の終戦後、サダム・フセインは多大な戦時債務を返還することになりましたが、戦災によって経済は低迷し、石油価格も低下しており、行き詰ってしまいました。そこで、借金を棒引きにするかのように、1990年8月2日にイラクはクウェートに進攻して湾岸戦争が勃発しました。

こうして紛争を振り返ると、イランが一番の被害者のように思えますね。



噴水のある池には薄氷が張っていました。厳しい気候の高地ですが、水が豊富なことから人が住みついているようです。



写真を撮りながら引き返しました。







ハイウェイからアブヤーネ村への道が分かれる分岐には、防衛基地が設けられていました。キャラバン・サライかと思って写真を撮ってしまったのですが、背後には高射砲陣地が設けられていました。緊張が高まりましたが、バスに乗って通り過ぎる際に兵士と目が合うと、手を振ってくれました。



アブヤーネ村との分岐からハイウェイを少し走ると、原子力発電所が現れて、その一帯は撮影禁止になりました。施設が見えなくなってからの撮影ですが、原子力発電所からの送電線鉄塔が連なっています。遠くに見える土盛りは、高射砲の陣地かもしれません。

この原子力発電所は、現在問題になっているイランの核開発問題の舞台になっています。イランは20%高濃縮ウランの自国製造を進めていますが、これは医療用アンソトープのためと説明しています。高濃縮ウランを用いるのは原子爆弾の製造を狙っているからではないかと疑われて、アメリカから経済制裁を受けています。

原子爆弾の開発の禁止が望ましいことは当然ですが、疑惑段階でイランに経済制裁をとる一方で、既に核兵器を保有しているパキスタンやインドなどにはおとがめなしという矛盾があります。さらにイランの核開発によって中東の緊張が高まるという点では、イスラエルは核拡散防止条約に加盟しておらず、その地位を認められていない核保有国とされています。もっとも、イスラエルは核の保有を否定も肯定もしない立場を取っています。

平和あっての観光ですので、イランの政治状況がさらに改善されて、多くの観光客が訪れるようになることを願ってやみません。

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