ボロブドゥールに到着して、まずは遺跡内にあるマノハラ・ホテルにチェックインしました。
レセプションでは、ガムラン音楽がものうげに演奏されていました。
マノハラ・ホテルではコテージタイプの部屋が並んでいました。
マノハラ・ホテルは、もともとは遺跡の研修施設として始まったため、設備は期待できないといわれましたが、寝るには充分なレベルでした。
なによりも、このホテルは遺跡内にあり、ボロブドゥール遺跡のサンセット及びサンライズツアーに参加するには、このホテルに泊まるのが望ましいことになります。ツアーのためホテル料金は判らないものの、宿泊料金には、遺跡の入場料が含まれており、かなり高額なサンライズツアー料金も割引になるようです。
部屋には、テラスもついていましたが、外は通路のため使いづらい状態でした。
荷物を部屋に置いてすぐに再集合して、ボロブドゥール遺跡の見学に向かいました。
ホテルの敷地から出ると、ボロブドゥール遺跡がさっそく姿を現しました。ホテルへの近道があるのですが、正規の通路に向かいました。
入場ゲートからの通路に出ました。入場ゲートには一度も通過することがなかったのですが、結構離れたところにあるようです。大勢の観光客が遺跡に向かって歩いていました。
ボロブドゥール遺跡は、自然の丘の上に丸く土を盛って、そこに安山岩のブロックを積み上げて聖堂を作っています。
ボロブドゥール遺跡は、多数のレリーフが飾られているため、この本が理解の助けになります。現在は絶版になっていますが、アマゾンにて中古本を600円で手に入れることができました。今後、ボロブドゥールを訪れようと思うのなら、手に入れておくことをお勧めします。
まずは基部にたどり着くため、階段上りを行う必要があります。気温も高く、階段上りは体にこたえます。
階段上から振り返ったところ。マノハラ・ホテルは、通路の右奥にあります。
基壇にたどり着いて見上げたボロブドゥール遺跡。
写真だけでは全体像が把握しづらいので、地球の歩き方の図を載せておきます。
全体の高さは42m、最下層の一辺は約120mあります。全体で五層からなる方形の基壇で構成されており、その上部にさらに三層からなる円壇がのり、その最上部に釣鐘状の仏塔が安置されています。
ボロブドゥールは、8世紀後半から9世紀前半にかけて、およそ75年の歳月をかけて造られました。単純な霊廟ではなく、参拝者に精神的な救いが得られるよう、仏教の世界観を現す曼荼羅を再現しています。
旧基壇は「欲界」、第一から第四方形層は「色界」、第五方形層から中心ストゥーパまでは「無色界」と4されています。
階段は四方に設けられていますが、東の入口から入り、各階層の回廊のレリーフを時計周り見ながら、次第に上がっていくのが正しい参拝の方法になります。回廊の両脇、さらに上下二段にレリーフが飾られていたりするため、同じ回廊を複数回回る必要があり、合計では10回も回廊を回った末に最上部に辿りつくことになります。
ただ、レリーフをひとつずつ見ならがらすべての回廊を回るのは、ツアーでは時間的に無理なため、一般的には、各基壇で階段脇のレリーフを少し見て上がっていくことになります。
まずは、基壇の南西の角に移動しました。南西の角からは、ホテルへの近道が初まっているため、自由見学になった後の帰り方を知っておく必要がありました。
南西の角のロープで囲まれた部分は、旧基壇と呼ばれる部分です。
旧基壇は、現在の基壇の下になって隠されていますが、この部分だけは露出されています。建設後に補強が必要になって、旧基壇を覆うように現在の基壇が造られたといいます。
旧基壇のレリーフは、160面あったようです。
これは、「飲酒の戒」を現したレリーフ。
右半分には酒のために病気になった男が九人の人々から看病されています。
左半分では、家族が座る床下に大きな酒壺が二つ描かれています。
「飲酒の戒」の左にあるレリーフの右半分。旧基壇のレリーフは、何かの仏典に基づいており、欲界を現しているようですが、現在では詳細は判らなくなっています。
その左半分。
南面に回り込むと、「悪い顔」のレリーフが飾られています。
怒りや憂いは悪い顔になって現れるという教えです。
このレリーフの題が判ったのは、古代ジャワのカウイ文字で悪い顔(Virupa)と書かれていたことによります。配置を間違わないように書き込まれたようです。
基壇から見上げると、多くの仏像が飾られいました。
マカラ風の排水溝。
基壇部の壁も仏のレリーフで飾られていました。
基壇部の見学を終え、第一回廊に進みました。
レセプションでは、ガムラン音楽がものうげに演奏されていました。
マノハラ・ホテルではコテージタイプの部屋が並んでいました。
マノハラ・ホテルは、もともとは遺跡の研修施設として始まったため、設備は期待できないといわれましたが、寝るには充分なレベルでした。
なによりも、このホテルは遺跡内にあり、ボロブドゥール遺跡のサンセット及びサンライズツアーに参加するには、このホテルに泊まるのが望ましいことになります。ツアーのためホテル料金は判らないものの、宿泊料金には、遺跡の入場料が含まれており、かなり高額なサンライズツアー料金も割引になるようです。
部屋には、テラスもついていましたが、外は通路のため使いづらい状態でした。
荷物を部屋に置いてすぐに再集合して、ボロブドゥール遺跡の見学に向かいました。
ホテルの敷地から出ると、ボロブドゥール遺跡がさっそく姿を現しました。ホテルへの近道があるのですが、正規の通路に向かいました。
入場ゲートからの通路に出ました。入場ゲートには一度も通過することがなかったのですが、結構離れたところにあるようです。大勢の観光客が遺跡に向かって歩いていました。
ボロブドゥール遺跡は、自然の丘の上に丸く土を盛って、そこに安山岩のブロックを積み上げて聖堂を作っています。
ボロブドゥール遺跡は、多数のレリーフが飾られているため、この本が理解の助けになります。現在は絶版になっていますが、アマゾンにて中古本を600円で手に入れることができました。今後、ボロブドゥールを訪れようと思うのなら、手に入れておくことをお勧めします。
まずは基部にたどり着くため、階段上りを行う必要があります。気温も高く、階段上りは体にこたえます。
階段上から振り返ったところ。マノハラ・ホテルは、通路の右奥にあります。
基壇にたどり着いて見上げたボロブドゥール遺跡。
写真だけでは全体像が把握しづらいので、地球の歩き方の図を載せておきます。
全体の高さは42m、最下層の一辺は約120mあります。全体で五層からなる方形の基壇で構成されており、その上部にさらに三層からなる円壇がのり、その最上部に釣鐘状の仏塔が安置されています。
ボロブドゥールは、8世紀後半から9世紀前半にかけて、およそ75年の歳月をかけて造られました。単純な霊廟ではなく、参拝者に精神的な救いが得られるよう、仏教の世界観を現す曼荼羅を再現しています。
旧基壇は「欲界」、第一から第四方形層は「色界」、第五方形層から中心ストゥーパまでは「無色界」と4されています。
階段は四方に設けられていますが、東の入口から入り、各階層の回廊のレリーフを時計周り見ながら、次第に上がっていくのが正しい参拝の方法になります。回廊の両脇、さらに上下二段にレリーフが飾られていたりするため、同じ回廊を複数回回る必要があり、合計では10回も回廊を回った末に最上部に辿りつくことになります。
ただ、レリーフをひとつずつ見ならがらすべての回廊を回るのは、ツアーでは時間的に無理なため、一般的には、各基壇で階段脇のレリーフを少し見て上がっていくことになります。
まずは、基壇の南西の角に移動しました。南西の角からは、ホテルへの近道が初まっているため、自由見学になった後の帰り方を知っておく必要がありました。
南西の角のロープで囲まれた部分は、旧基壇と呼ばれる部分です。
旧基壇は、現在の基壇の下になって隠されていますが、この部分だけは露出されています。建設後に補強が必要になって、旧基壇を覆うように現在の基壇が造られたといいます。
旧基壇のレリーフは、160面あったようです。
これは、「飲酒の戒」を現したレリーフ。
右半分には酒のために病気になった男が九人の人々から看病されています。
左半分では、家族が座る床下に大きな酒壺が二つ描かれています。
「飲酒の戒」の左にあるレリーフの右半分。旧基壇のレリーフは、何かの仏典に基づいており、欲界を現しているようですが、現在では詳細は判らなくなっています。
その左半分。
南面に回り込むと、「悪い顔」のレリーフが飾られています。
怒りや憂いは悪い顔になって現れるという教えです。
このレリーフの題が判ったのは、古代ジャワのカウイ文字で悪い顔(Virupa)と書かれていたことによります。配置を間違わないように書き込まれたようです。
基壇から見上げると、多くの仏像が飾られいました。
マカラ風の排水溝。
基壇部の壁も仏のレリーフで飾られていました。
基壇部の見学を終え、第一回廊に進みました。