【今日の 深夜の避難訓練】
いやあ、驚いたのなんのって。
10時ころには就寝してしまうワシら夫婦にとって
今朝の0時15分頃の、すさまじい同報無線と喧しい携帯電話のメール音。
飛び起きた。考える間もなくベッドサイドに置いてある着替えを始めて、あ、そうだテレビテレビということに気が付いてスイッチをつける。
着替えてから、同じ部屋に常備の避難用のザックを背負いこみ、玄関のかぎを掛けて近くの防災センターに行く
その間かれこれ10分ほどか。
海抜3メートル余りの標高のワシんちは、目の先の駿河湾で津波が起きると3分ほどで足元に津波が来るそうだ。
あわてたあわてた、しかししっかりと平常心、記録のためのカメラも持った。ブログも書かねば。
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来てみれば防災センターの吹きっさらしの3階の屋上はワシら夫婦だけ。
あれ?ワシらは避難が早いとは思っていたが、とどまっていても誰んれも来ない。
0時30分を越えても人っ子一人来ない。シーン。
持ってきたラジオの緊急放送だけが聞こえている。屋上から家々の窓を見るも明かりもついていない家が多い。
こりゃなんじゃらほい。
あと15分待ってみて帰宅するか、と宣言し、じっと緊急放送を聞きながら下の道路と2級河川の川面を観察する。
吹きっさらしと書いたが、本日は無風、助かった。このためにあまり寒さを感じない。
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帰宅してNHKテレビを見る
記憶では0時15分頃に津波の情報がもたらされたが
TVを見る限り、10時21分には八丈島で津波が観測されている。
それから約2時間も遅れて津波情報を国民に伝えるとは。気象庁はどうなっているのだ。
腹が立ってしまう。
一刻も猶予の無いはずの津波避難情報がこんな体たらくでは・・・
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腹立ちながら、朝方まで寝たり起きたりのウトウト状態でいた。
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避難体制は万全なはずのワシらではあるが、あっ手袋をしてこない、マスクを忘れた、財布やスマホや免許証など居間のテーブルからポケットに詰め込んで逃げてきた。そして防寒対策がおろそかだった。
振り返れば真冬の防寒対策や小荷物の扱いがなっていなかったのだ。
図上演習ではこれらの不備は分からないものだ。
結果的に津波は来ず。死人も出なかった。(津波も来たが甚大な被害をもたらすほどの大きさでは無かった)
幸いであった。これを教訓として本日から備えたいと思う。
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昼近くに高校の同級生から津波見舞いの電話が来た。
「こういうわけでワシらだけ避難したんよ。たぶん漁村市でワシら2名だけが避難したんでないか?」
と話したら。さすがと褒められた。「お前ならば避難するだろうと思っていたよ」と言ってくれた。
空振り避難でもそう言ってくれる人がいたから報われた。
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神戸は1月17日、東日本は3月11日、雪が降った。
天災は日を選ばない。
夜だから、寒いから、、避難しないんだな~
次回もしっかり避難してください‼
海から離れた自分のところは携帯の警報音はならず、朝3時に釣りに行こうと身支度を終えてから気象状況をスマホでチェックしたら注意報が出てたので、さすがに諦めて布団に戻りました。