【今日の のん兵衛トラさん】
久しぶりにワシの母方の祖父の話を書こうと思う。
以前どこまで書いたか忘れたが、ワシの爺様はのん兵衛でかつ、喧嘩っ早くて有名であった。
だから呼び名も「川端の のん兵衛トラさん」
このトラさんは漁師をしていたころに2回も遭難して、伊豆の新島だったか八丈島だったは忘れたが漂着して
命拾いをしたそうである。なんと運が良くというか、運が悪くというか・・・・判断はつかないが
小説のような人生を歩んできたのである。
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さて、この爺さんが陸(おか)に上がってやった最後の仕事が「馬力屋(ばりきや)」である。
「馬力屋」なにそれ。
「馬力屋」とは今でいう建設業である。(建設業と言い切ってしまうのもチョッピリおこがましいが)
この「建設業」は、馬に引かせた荷車で河原に行き、砂利を採ってその砂利を宅地予定地の田んぼやなんかに運び
埋め立てて宅地にすることで生計を立っていた。そんな仕事である。
馬を使った仕事なので気が荒くないとできないのである。「ドゥドゥドゥ」
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当時は勝手に川の砂利を採っても違法ではなかったようだ。むしろ川の洪水対策としては歓迎される仕事であったかもしれない。
それにしても今のように機械化されていなくて,鋤簾(じょれん)でいしみに川砂利を掘って入れて、その砂利の入ったいしみを荷台まで持ち上げる作業は非常に労力のいる仕事であったと思う。ワシが小3か小4の頃にはオート3輪車が漁村市あたりにもぼちぼち出現して(ダイハツとかくろがねとかだ)おかげで馬力屋は絶滅時代に差し掛かるのだ。
ワシがいくつぐらいのころか、幼稚園児か小学校低学年だったか、忘れたが、時々爺さんはワシを仕事に連れてってくれた。
(この絵は、今、ワシがうろ覚えではあるが不確かな記憶の限り描いたものだ。水彩画でなんと上手にかけたものか エヘン。横顔しか描けへんぞ)
馬は怖かったが、馬力の上に乗せられてゆくのはとっても楽しかった。
当時の爺さんはワシから見ればえらく年のいった爺さんであったが、たぶん60歳少し過ぎたころだったと思う。
つるっぱげに「ホッカムリ」してワシには優しい爺さんであった。
この優しい爺さんが、ひとたびホンのちょっとでも酒が入ると豹変し、誰にでも突っかかっていく「暴れん坊ジジイ」になるのである。
そして酒に酔って馬力の上で寝てしまうと・・・・・「馬は偉いね」 一人で(一頭で)家まで帰って来たというのだから。(これは母から聞いた話)
今に自動車も自動運転になって家まで帰ってくるようになるが・・・
こうなると馬もかわいく見えてくる。
戦後すぐには、世の中がこんなだったという昔ばなしである。
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よっちゃん、次に書く時には、君のお母さんがこの家にお嫁に来た時のことを書きますね。
乞うご期待だ。