おやじ特別便

ひまじんおやじの日常

鞆の浦でワシも考えた

2011-08-01 19:48:56 | 旅行記
 呉冷麺で旨いものに満足したワシらは竹原市の「かんぽの宿」で一泊
ここは1階と2階に大浴場がある、申し訳ないが「竹原市」がどこかまったく知らなかった。

 「ウィキ」で調べると
◆ 竹原市(たけはらし)は、広島県の市。古くから瀬戸内の交通の要衝として発展した。室町時代より港町として知られ、江戸時代後期は製塩業で栄えた。現在は 『安芸の小京都』 と呼ばれ、2000年に国土交通省によって、町並地区が「都市景観100選」に選定された。

 なかなか風情のある町であるようだ。今度機会があったら「まちあるき」でも。

 8時半に宿を出発、福山東ICを経由して一路「鞆の浦」へ急ぐワシら

◆ 「鞆の浦」は広島県福山市にあって瀬戸内海に面した古くからの海上交通の要所
瀬戸内海の東からと西からの潮流がぶつかるところ
江戸時代までは風の変わるのと潮の変わるのをここで待ったということで
昔は栄えた港町だったということだ。


 「昔は栄えた」はいいが、町は当時のまんま
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 よくもまあ現代までその古い街並みが残っていたもんだ、と唖然とする。
誰一人、もっとずっと前に近代的な町にしようと思わなかったのかと思う。

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 車の走る幅もなく、ワシら観光に来て見学する分には「江戸の情緒」が残っていて素敵に思えるが
決して住みたくなる気分ではない。ここで生まれ育ったならば一刻も早く町へ出たいと思うであろう。

 鞆の浦ならではの景観
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 シンボルの「常夜燈。とても良い景観で保存の価値は十分だ。残したい日本の風景。だが
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【坂本龍馬】
 龍馬の率いる「海援隊」の船(どこぞの藩の借りモン)「いろは丸」が、紀州の藩船と海上で衝突し「いろは丸」が積み荷とともに沈んだ事件
「いろは丸」事件の後始末として紀州藩と事後処理を話し合った場所(未確認)。「福禅寺」の対潮楼から見る美しい瀬戸内海

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【開発と保存と】
 この古い街並みがあることで、まちを通り抜ける道路がなく、住民からは町を貫く道路建設が悲願である。
一方まちなみ保存、特に江戸時代から続く港の保存を求める声もあり、建設派、保存派両者が拮抗して
以前からどちらと決定できないでいる。

選挙で勝った今の福山市長は開発派、港の外側に橋をかけバイパス的に県道を通す方針であるそうな。

 わしはここへ来る以前は景観保存が大事と思っていたが
ここへきて、何ともうらぶれた住みたくないほど古い町を歩き(短い時間であったが)
さてワシが住んでいたらと考えると、こりゃあ軽々に判断できる問題では無いわいと思うようになったのだ。


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 開発か、保存か、古くて新しい問題を今更ながら考え込んでしまうワシであった。
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 数時間後には「今夜の夕飯どこで何を」と考えているいい加減なワシである。



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