おやじ特別便

ひまじんおやじの日常

奈良井宿と赤沢自然休養林の旅 その1

2016-10-10 19:07:44 | 旅行記

【今日の 国道52号】

3連休の後ろ日曜日と月曜日に旅に出た。

目的地は中山道の奈良井宿と、同じ木曾にある上松町の奥深く御嶽山のふもとにある赤沢自然休養林である。

もちろん我々の旅は「車中泊」である。なんたって宿の心配をしなくてよいし、気ままに「おっ、ここに寄ってみよう」が出来るからである。

経費は高速料金とガソリン代だけだし。

奈良井宿に行くのは2ルートあって、パソコンのルート検索でおすすめなのは愛知県まわり、もう一つのルートは興津から国道52号を北上し韮崎から国道20号(甲州街道)に入って塩尻で南下して木曽谷へ入るルート。

出発の日は雨模様なので自然休養林へ入るのはためらわれる、このため先に奈良井宿を見る52号ルートに決定した。

なんのこたあない、帰りは中央高速で愛知県まわりに帰ってくるのである。

国道52号は若いころに年に何度も通った道である。ワシは山梨県の清里というところが好きでドライブにキャンプに行ったものである。当時は国道とはいえ未舗装(つまり砂利道ね)区間があったり、所々通過する町まちが道路は細く戦火にあっていないのでとんでもなく古い民家や商店街の間を通過していた。その後バイパスができて街を通過することはなくなったが。

今「清里が好きだ」ということははばかられる。

何故ならその後この地区はメルヘンチックな街に変身してしまい。乙女チックそのもので街づくりをしてしまった。そのあとすぐにそんな軽薄なブームは去り、今はそんな建物の残骸の残るイヤな街になってしまっているからである。

ただし、清泉寮だけは今も当時そのままの清楚な(牧歌的な)雰囲気を残している(と思う)から興味のある方はググってみてほしい。

今回の旅ではあえて古い旧国道52号の街並みを選んで北上した。

一度でも通った人はこのたけのこのオブジェは知っていると思うが

これは「道の駅とみざわ」のシンボルである。まだあった。中はベンチが2客あって休憩所になっていた。

52号を走ると絶対による「小便休憩ポイント」の相又峡だが

閉鎖されていた。

 

当時からトイレ休憩以外になんの魅力もなかった所だがやっぱりつぶれたか。

世の無常を感じる。建物や土地はボーリング場も含めて「売り物」になっていた。

誰か安く買って商売をしてみないか?

中部縦貫自動車道路が来年には開通するということなので念のため。

というわけで時間に余裕たっぷりのワシらは、今は県道になっている旧52号の後を訪ねる旅をつづけながら。記憶にある街並みを懐かしがりながら韮崎まで北上したのであった。

結構古いものが残っていてワシはうれしかったぞ。

同乗している助手席の連れ合いが言うのには「若いころの記憶はすぐによみがえるが、さっきメガネを置いたところの記憶はすぐに忘れてしまうのね」

「ああ、そうですよ、記憶の引き出しが違うのですよ」と言っておいた。

次回は奈良井宿の巻、今日はこの辺で、風呂に入ってもう寝ます。