MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

意識と無意識の境界

2012-04-24 00:03:10 | 科学

4月12日、京都祇園で起こった
痛ましい軽ワゴン車の暴走事件…
結局、死亡した運転手に意識はあったのかなかったのか?
障害物を視認し、
それに応じてハンドル操作を行うことができていれば、
意識はあったと見るべきなのか?…
しかしそういった操作はいわゆる原始脳だけでも
行える可能性がある。ひょっとしたら無意識下でも…

そもそも意識を失うとはどういうことか?
それは意識がなくなること…。
それなら、意識とは一体なんぞや?
「意識しているとき自明的に存在了解される何かである」
なんのこっちゃ?
自然科学の発達した現代においても、
意識・無意識を明確に定義することは困難である。
一見意識がないようでも意識のあることがあり、
意識があるようでも
実は意識が起動されていない可能性もある。
最新の手法を用いればその境界の解明は果たして可能か?

4月17日付 New York Times 電子版

SIDE EFFECTS(意外な結果)
Awake or Knocked Out? The Line Gets Blurrier 覚醒状態、それとも意識喪失状態?その境界はさらに不鮮明に
By JAMES GORMAN
 意識のパズルはあまりにも難しく、それについていかに語るべきか科学者や哲学者らの議論は続いている。

Awakeorknockedout
麻酔からの意識の回復には比較的新しい新皮質ではなく、ずっと昔に進化した脳の古い構造が関係していることが PET で示されている。側面および水平像で、MRIの断面と重ねると(ⅰ)全帯状回、(ⅱ)視床、および(ⅲ)脳幹に活性化が認められる
 一つの問題として、この意識という言葉には一つの意味以上があるということがある。自己認識や自意識の本質を理解しようとすれば、いわゆるウサギの穴にはまってしまう。しかし、もし問題を、意識があることと意識がないことの間に見られる脳活動の違いに限定した場合はどうなるだろうか?
 科学者や医師は人の意識を失わせる方法を確かに知っている。カリフォルニア州 Irvine にある University of California の Michael T. Alkire 氏は2008年に Science の論文で次のように表現している。「意識が脳の中でどのように生じているのかは依然わからない。しかし、ほぼ2世紀の間、我々の無知が、ごく普通に手術中に意識を失わせるための全身麻酔の使用を妨げることはなかった」と彼は書いている。そしてそれはそれで良かったことでもある。
 哲学者たちが“むずかしい問題”と呼んできたもの(つまり自己認識)はさておいて、1846年に手術のために患者を管理するために使われる言葉となって以来、覚醒している、あるいは意識があることと、意識がないことの間の境界について多くのことが明らかにされてきた。研究者らは、人の意識が遠のいたり意識を失う時に脳に起こっていること、どの部分が活性化しどの部分が停止するのか、を見る道具として、麻酔を用い、最近では脳検査を組み合わせてきた。
 たとえば、最近の研究(被験者はすべて右利きの男性)では、脳の高次領域がまだ活性化していないときに目を開けるといった簡単な命令に応じられることが研究者によって示された。この所見は麻酔の影響をどう評価すべきかを決定するのに有用かもしれない。また、脳内で何が起こっているかの知見に重要なデータを補足するものである。
 これまでの研究と同じように、フィンランド University of Turku の Harry Scheinin 氏と Jaakko W. Langsjo 氏を中心とする研究者らは、視床をはじめとする脳幹や脳のその他の原始的な領域が最初に覚醒することを示した。すべての複雑な思考が行われる領域である新皮質は遅れて覚醒する。
 意識は作動中または停止中といったような単純な状態ではないこともこれまでの研究で示唆されている。段階的な変化があるということだ。反応しないことと、意識のないこととの間の違いのように、一見して明確ではない差異が存在する。たとえば、2006年、イギリスの Cambridge University の Adrian M. Owen 氏は、植物状態と思われる患者に、テニスをすることや、他の運動を想像するように命じたところ、彼女の脳内で意識的活動の徴候が認められたことを Science 誌に報告した。
 この知見は、同じような状態の患者に対する治療法をめぐって議論を巻き起こすことになった。それは植物状態にあるフロリダ州の女性 Terri Schiavo の栄養チューブの抜去をめぐる法廷闘争の直後のことだったからである。結局裁判に勝利した彼女の夫は、彼女は過度の措置を続けることを望んでいなかっただろうと主張したのである。
 麻酔を用いた研究では、手術中に用いられる薬剤の弛緩作用は一側の前腕から解けることから、その患者との疎通する試みが行われた。Alkire 博士は次のように記している。「全身麻酔下にある患者はしばしば手の合図を用いて会話を図ることができるのだが、術後には彼らは覚醒していたことを否定する。このように後ろ向きの忘却は無意識の証拠とはならないのである」
 Alkire 博士を含めた Scheinin、Langsjo 両博士らのグループによる最近の研究では意識の証拠を探求した。この研究者らは、マイケル・ジャクソンの死の原因となった propofol(プロポフォール)と、異なる麻酔薬 dexmedetomidine(デキスメデトミジン:α2アドレナリン受容体作動薬)の2つの薬剤を組み合わせて脳画像検査を行った。
 意識のない状態の標準的な評価は、被験者あるいは患者が命令に応じないということである。その基準によれば、被験者が反応すれば彼は意識があるということになる。Dexmedetomidine が理想的な薬剤とされているのは、たとえ、本麻酔薬の通常量が投与された状態であっても、完全に意識を失くしている人が軽度の揺さぶりや声かけによって容易に無意識の状態から覚醒しうることによる。
 Scheinin 博士の研究では、この薬剤が効いている意識のない被験者に目を空けるように命じると、彼らは反応したという。その後、彼らのほとんどは、脳の新皮質が活性化することなく、外見的に無意識の状態に戻って行った。脳幹、視床、および皮質の一部だけが活性化していたのである。
 一方、propofol が投与されている被験者は目が覚めなかったが、本薬剤の投与が中止されると、彼らの覚醒のパターンは他のデータと合致していた。
 疑問は残る。新皮質の働いていない状態ではどの程度のレベルの意識が存在するのだろうか?このことは、より原始的な脳の領域だけで被験者が起こっていることを理解できることを意味するのだろうか?
 そして、広い見方をするならば、Alkire 博士が書いていた例の記憶の問題もある。もし患者が手術中意識はあるものの、それを何も覚えていないのだとしたらそれで十分と言えるのか?それは、誰も聞くことのない状態で森の中で木が倒れるようなものかもしれない。麻酔科医のkoan(公案:悟りを開くための課題、禅問答)である。その患者に手術の記憶が全くなかったとしても、彼はそれに気付いていたのでは?
 そしてたぶん我々にはわかりっこないだろう。

結局、ますます混沌としてしまいましたね。
(訳し方が悪いのか…)
ま、この問題は
またの機会にあらためて考えることにいたしましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする