MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

1980年という未来

2008-01-16 15:18:48 | テレビ番組

新テロ特措法案衆議院再可決のあと、

暫定税率延長問題、株価下落、目処の立たない年金問題などなど…

問題山積の政府、国会であるが、

どういういきさつか、昨年末にはUFO論議が湧き上がっていた。

クリスマス前ということのご愛嬌だったのかも知れないが、

こんなことを真剣に閣議で話し合うくらいなら

新型インフルエンザ対策など、もっと切実な脅威について

議論していただきたいものだ。

しかし、UFOが全く荒唐無稽な話かと言われれば、

答えはノーと言いたい。

高校時代、一度目撃したことがあるのだ。

あの時、友人複数で同時に確認したので間違いはない。

夕方、北の空にオレンジ色の光を発しながらジグザグに

飛行する物体を見たのである。数秒で消滅してしまったが

通常の航空機ではありえない航跡だった…

そんなことを思い出していた時、それよりさらに数年前、

寒い季節に毎週楽しみにしていたテレビ番組

『謎の円盤UFO』のことがフラッシュバックしてきた。

1970年10月から1971年3月まで、土曜日午後8時から

日本テレビ系列で放映されていたイギリスのSFドラマだ。

毎週土曜日午後8時前になると寮の食堂にある

ボロいテレビの前は寮生でいっぱいとなった。

同時間帯は裏ではザ・ドリフターズの(しょーもない)高視聴率番組

『8時だョ!全員集合』をやっていたが、

これを見たいというものは一人もいなかった。

『1980年、すでに人類は地球防衛組織シャドーを結成していた…』

このオープニングで始まる同番組は、

試験直前であろうが、他に用事があろうが、

なにがなんでも見逃さない、

皆、気合十分で大いに楽しみにしていたものだ(バカ)。

アポロ11号による月面着陸(1969年7月)が成功した翌年であり、

宇宙開発の急展開が期待されていた当時、10年後の近未来には

こんなこともきっとあり得るだろうと真剣に思っていたのである。

もっとも、テレビにかじりつく中学生たちのほとんどが

もっとも期待していたのは番組自体ではなく、

月面基地ムーンベースのエリス中尉だったかもしれない(低俗)。

UFO接近をコンピュータ衛星シドがキャッチ、これを受けて

ムーンベースからインターセプターの出撃を指示するのが

エリス中尉だった。

Photo_3 毎回、登場はほとんど一瞬であったが、

愛らしいお顔でボディラインくっきりの

『コスモルック』の彼女が現れると、

テレビの前では一斉に歓声が上がったものだ。

毎度、3機編隊でやってくるUFOに対し、

なぜか3機しかないインターセプターが

これを攻撃するのだが、必ず何機かは撃ち損じるのだった…

続いて大気圏に入っては海中で待機するスカイダイバーから発進した

スカイワンが迎撃する。

これも失敗に終わると、着陸地点にハイテク戦車シャドーモービルが

出動するという展開だ。

インターセプターは3機じゃ足りないでしょっ!もっと増やせよ、

と、いつも思いながら見ていたことを覚えているが、

そこで撃ち損じるから物語になっていたのであろう。

英単語 "intercept" が『妨害する、迎撃する』という意味であることを

覚えたのも、この番組のおかげだった(それだけかい)。

ところで、この番組で活躍していた、

ストレイカー司令官役のエド・ビショップ氏と

フォスター大佐役のマイケル・ビリントン氏の両人は

同じ2005年6月に死去している。誠に残念なことである。

また、副官フリーマン大佐役のジョージ・セウェル氏も

昨年4月、癌で83歳で逝去したそうである。

決断を迫られ苦悩するストレイカー司令官に対し、

補佐役というお気楽な立場で、いつもヌーボーとしていて

どこか我々のあこがれの的(なんで?)であった

あの副司令官を好演していた氏の訃報には

一層の寂しさを感じるのである(ほんとかい)。

なお、あのエリス中尉を演じたガブリエル・ドレイクさんは

まだ現役の役者さんだそうである。

できれば、

今のお姿を拝見しない方がいいのかも知れない…(現在63歳)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駅伝改革案(没)

2008-01-11 22:51:26 | スポーツ

『駅伝』って…

チーム一丸となって、力を合わせて勝利をめざす、

日本で発祥したすばらしい競技、と思っていた…

今年も箱根駅伝は、お正月二日、三日と、日本全国で

駅伝ファンをテレビの前に釘付けにした。

視聴率は往路が25.4%、復路が27.7%。

自分とは全く関わりのない大学同士の熱戦に

国民はなぜ熱くなるのだろうか…

5区では、歩いて登るのもしんどそうな急勾配を

我々が下り坂を全力疾走するよりも

はるかに速く駆け上がるのに驚かされる(比較するなよっ)。

しかし、毎年必ず起こってしまうアクシデントを半分期待?しながら

見ている人もいるのかもしれない(自分もそうだ)。

案の定、今年も、5区で順大、9区で大東大、

10区で東海大が途中棄権となった。

(フラフラになりながらそれでも前に進もうとする選手の姿に

驚嘆するとともに、胸が熱くなった)

タスキをつなぐことができなければ、そこでそのチームは

競技から脱落である。

結果を出したチームこそ皆が力を合わせた成果だったと

喜びあえるだろう。

しかし、脱落したチームには力を合わせるすべもない。

駅伝はチーム結集の競技に見えて、実のところ

一区一区、まさに孤独な個人技であり、

それぞれ、細い一本の綱を渡っているようなものだ。

個人の失敗はすなわち、チームの敗退という

あまりにも残酷な競技と言えるだろう。

それは、例えば、野球でボコボコに打たれたピッチャーや

サッカーでいえば、反則を連発して退場となった選手や

凡ミスを繰り返して失点を重ねたゴールキーパーなどとは

比較にならないくらい失敗の責任は重く、

他者がカバーしてやることができないものだ。

1917年に日本で始まったと言われる駅伝、

今や海外でも『EKIDEN』の呼び名で通用するようになった。

しかし、

自分に不都合なできごとを、すべて他の誰かのせいだと

思い込まずにはいられなくなってしまった昨今の日本人。

今回、途中棄権した選手達は、周囲からのそんな空気を感じ、

自責の念にかられ、うちひしがれていることだろう。

それとも、古き日本人の持っていた、かばい合いの精神が

かろうじて、彼らを救ってくれてるだろうか…

人に冷たいこの時代、

いっそのこと駅伝を次のようなルールに変えてみてはいかがだろう。

1つの区間を1チーム3人ずつでスタートし、

そのうち一番速かった選手が次区間の別の3人に

タスキを渡し、また一番速かった選手が次区間の…

これなら、一区間3人に責任が分散されるし、

途中棄権の心配もない。

って、タスキはどうやって最初から最終まで

つなぐのかって?

えー、それには~

最初の走者がそれぞれ、残りの区間数の

3倍の本数(7区間なら21本)のタスキをかけて~

それを3等分して次の3走者に渡して~

でもそれじゃ、第1走者はタスキが重過ぎそうだから、やっぱり…

(不評につき、フェイドアウトにてこのエントリー終了…)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どげんかせんといかん救急

2008-01-09 23:06:46 | 健康・病気

昨年末から新年にかけて救急患者の

受け入れ拒否の報道が連続した。

昨年12月25日には89歳の女性が29病院から

受け入れを拒否され、1時間43分後にようやく

病院に搬送されたものの、出血性ショックで死亡した。

年が明けた1月2日、大阪府で5病院から受け入れを

断られた交通外傷の49歳の男性が、

約1時間後に搬入された病院で、その約2時間後に

大動脈損傷で死亡。

1月6日、宮城県の重度熱傷の88才の女性が

受け入れ要請を4病院で5回断られ、

1時間後に病院に収容されたが、1月8日に死亡した。

これら受け入れを断った病院にはそれぞれに事情があり、

単なる診療拒否ではなかったのだろう。

安易に『たらい回し』と表現すべきでない、との意見にも

一理ある。

そもそも問題点は現在のわが国の救急医療システムにあると

考えられるからだ。

救急患者の立て込みがちな、この寒い季節には

いつでもどこでも、こういうことが起こってもおかしくない。

重症救急患者を扱う三次救急施設は最後の砦であり、

本来、救急患者の受け入れを拒むことは許されないはずである。

しかし、そのような病院に重症患者が集中した場合、

臨機応変に対応できるだけの、

マンパワーが備わっているかといわれると、

現実には、はなはだ淋しいものがある。

それだけ大きな病院なら、一人や二人の重症患者に対応中でも、

さらに別のスタッフを緊急招集すれば

新たな重症患者にも応じることができるだろう、と

世間の人は考えるかもしれない。

しかし、そのような病院も日中は通常の診療をこなさなければ

ならないのである。

際限なく非番スタッフまで動員すれば、疲弊を招き、

さらに勤務医の立ち去りを助長するだろう。

もう一つの問題は救急患者の選別(トリアージ)にあると

考えられる。

三次救急施設は本来、重症患者だけを診るべきであり、

そのトリアージは救急隊が行うのではなく、

理想的には、まず搬送された二次救急施設で行われるべきだ。

しかし、このトリアージのための受け入れすら断られるのは

前述の、三次救急施設の受け入れ拒否の可能性による。

ひとたび、二次救急施設に搬入されてしまうと、

その患者に集中治療が必要と判断された場合、

今度は転送先をさがす負担はその施設にのしかかる。

もし、受け入れ先が見つからないまま重症化したり

不幸な転帰をとった場合、その責任が追求されることもあるだろう。

冒頭の3例は、おそらくそのような理由もあって

医療機関がトリアージを回避した結果、

救急隊の立ち往生が生じたと考えられる。

トリアージ、搬送先探しを救急隊にすべて負わせるべきでは

ないのは明らかだ。しかし、より確かなネットワークを持っているのは

行政の一端にある救急隊の方だろう。

もう何年も前から言われていることだが、

各医療機関と救急隊・消防本部間の一層の連携強化を図り、

一体となってトリアージを行うべきだ。

と同時に、設備、マンパワーを備えた三次救急施設の充実を

図らなければ、日本の救急医療の崩壊は避けられないと

思うのだ。(まじめな話題で、すみまっしぇん)

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの素晴らしいラーメンをもう一度

2008-01-04 23:38:31 | 食・レシピ

いよいよ今月からカップめん、インスタントラーメンが

約10%値上げされた。

袋入りのインスタントラーメンは90円→100円。

17~18年ぶりの値上げだそうである。

これら即席めんの値上げは確かに痛い。

が、袋入りインスタントラーメンって、

90円だったのか…。

自分で作らなければならないとは言え、

意外に廉価だったのだなぁ、と思う。

時代を戻ってみよう…

極貧生活で、常に空腹、ほとんど

飢餓状態に近かった気もする昭和40年代…

インスタントラーメンは大いに重宝したものだ。

昭和30年代後半から40年代にかけて

様々な銘柄が次々に発売された。

中でも『さっぽろ一番 みそラーメン』が一番好きだった。

夜な夜な、学校の寮を抜け出して、

どぶ川のほとりにぽつんと立つ、

こぎたないよろず屋、通称『よごれ』…

当時、『さっぽろ一番…』の本体価格は35円だったが、

50円出すと、その店で作ってくれて

卵ともやしをつけてくれた。

裸電球が一つだけぶら下がった店内は

暗く、ほこりだらけで、空調はなく、

今頃の季節だと、震えるくらい寒かった。

すきま風で電球が揺れると、

壁のコカコーラのポスターの中で

つば広帽子をかぶった怪しい美女が

無気味に笑った。

50円のあの『みそラーメン』のなんとおいしかったことか。

寮生達は、こぞって『よごれ』に出かけ、行列を作った。

が、いつの日か、店のオッサンが激怒して言った…

「おまえらがうちを『よごれ』と呼ぶもんで、娘が学校で

『よごれの娘』て言われていじめられるんじゃ~」

それから程なくして、『よごれ』は取り壊され、きれいな

店舗に生まれ変わった…

が、その新しい店でラーメンを食べる寮生はいなかった…

おそらく、食べたとしてもおいしくなかっただろう。

もちろん、その店を『よごれ』と呼ぶこともなくなったのである。

その後、昭和40年代後半にカップめんが登場、

当初は割高感(100円)から抵抗があったものの、

手軽さから、やがて即席めん界を席巻する時代が

訪れることとなるのである。

しかし、カップめんはあの袋入りインスタントラーメンには

かなわないと思うのだ。

飽食の現代だが、

いまだ一部の人たちには必需であろう

インスタントラーメンの値上げを考えるとき

laid-back な古き良き時代を

つい思い出してしまったのだった…(歳だよ)。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008年初頭のぼやき

2008-01-02 12:52:41 | テレビ番組

みなさま~明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

相変わらずコメのつかないブログだが、

煩悩を解脱したMrKは、委細構わず

今年もマイペースでぼやき続けて逝くことにしよう(これが抱負)。

で、さっそくだが、昨年の紅白歌合戦を見ての感想を…

結局、視聴率は過去ワースト2だったそうだ。

MrKには珍しく大部分を視聴したのだが、以前にも増して、

この番組の存在意義に疑問を感じさせる結果となってしまった。

タイムキーピングにがんじがらめの素人(?)司会者たちの

あたふた、どたばたぶりにもうんざりしたが、

相も変わらずの古い歌のオン・パレードはいかがなものか?

2007年の締めくくりを感じるには程遠い。

ごく一部にその年のヒット曲が散見されるものの、

大筋にはここ数年、ほとんど変化がないと言っても

過言ではない。

確かに、ハイビジョン放送となり、最先端の音響技術を

駆使した華やかなステージには目を見張るものがある。

しかし、その内容は…

過去の実績があるだけの大物歌手達、歌いたければ、

別の番組でどうぞ、と言いたい。

たとえ、大晦日恒例のお化け歌謡番組として

何年も君臨してきたとはいえ、

娯楽の多様化した今日、老若男女すべてを

楽しませようとするのは不可能だ。

その年ならではの演出に力を注ぐべきだ。

思い切った路線変更が必要だろう。

さて、その紅白歌合戦が終わると、

日付が変わるまで残された15分間。

昔は(っていつのことだよっ)

その間、異様に緊張していたなぁ(あんただけだろっ)。

NHKは全国各地の寺院を中継しながら、

もの静かにその時を迎えていたし、

民放各局はと言えば、

不思議なことに共同の越年番組(『ゆく年くる年』)を

持ち回りで制作していたので、

どのチャンネルをひねっても同じ番組、同じ内容で

カウントダウンだった(この方式は平成に入って終了したらしい)。

あの頃、まだバブルがはじける前であり、

日本国民が揃って期待感に胸を膨らませながら

新年を迎えていた良き時代であった。

近年は、その緊張感もなく、新年に期待するどころか、

不安を一杯抱えながら、平素の午前0時と変わりなく

過ごしてしまっているように思える…

果たして、新年が明け、各紙社説を読んでみたのだが、

いずれも先行き暗い内容である。

躍進著しいアジア諸国の経済発展から取り残され、

国際社会で肩身の狭い立場にある日本、

財政の悪化、政情不安に原油価格や諸物価の高騰、

年金問題、医療崩壊危機、環境問題などなど…

難問は山積している。

が、せめて正月三が日はそんなことも忘れたい。

元日から開店し、人でごった返している

ショッピングモールに出かけるより、

三が日くらいは、家にこもり、お雑煮やおせちを食べ、

コタツでミカンをむきながら年賀状をながめる、

そんな昔ながらののんびりとしたお正月を

過ごしたいものだ。

…と、おせちを食べながら、ふと昔の(←またかよっ)

CMのフレーズが頭をよぎった…

それでは、ここでCM入りま~す(なんでだよっ!)。

Photo_5

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする