2024年11月のメディカル・ミステリーです。
Medical Mysteries: Her depression and poor memory had an unusual cause
メディカル・ミステリー:女性のうつ病と記憶力の低下には尋常でない原因があった
After decades of suffering, she had reached a breaking point.
数十年にわたる苦しみの末、彼女は限界に達していた。
(Bianca Bagnarelli For The Washington Post)
By Sandra G. Boodman,
人生最悪の危機の渦中にあった Deborah Menzies(デボラ・メンジース)さんは車を停める場所が見つかるかどうか不安だったことを覚えている。
当時55歳だった Menzies さんは、弁護士秘書として何年も勤めてきたことを誇りに思っていたが、そのキャリアは時折ひどいうつ病に襲われることで中断された。2018年8月、勤務していた北カリフォルニアの法律事務所で問題が起こり「それによって前後の見境を失くしてしまったのです」と彼女は言う。
Menzies さんは家族には仕事に行くと言ってきたが、実際には車で南に1時間の San Francisco(サンフランシスコ)の Golden Gate Bridge(ゴールデンゲートブリッジ)に向かった。彼女は飛び降りて人生を終わらせるつもりだった。
なんとか車を停め、10からカウントダウンしていたところ、彼女の計画は橋のパトロール警官によって阻止された。
Menzies さんは Zuckerberg San Francisco General Hospital(ザッカーバーグ・サンフランシスコ総合病院)に運ばれ、そこの精神科医が彼女の病歴を調べ、小学校時代に始まっていたてんかん発作に注意が向けられた。
その公立病院に長期入院することとなって2、3週間後、45年以上にわたって Menzies さんを苦しめてきた病気の根本的な原因が医師らによって突き止められた。その発見が、生涯に渡って感じていた恥ずかしさと心痛の原因であったものを根絶する治療の成功につながったのである。
「少なくとも私が求めていた治療が受けられたのです。」現在61歳になる Menzies さんは言う。「それが重要なのです。」
Seizures and guilt 発作と罪悪感
彼女の家族が “spells” や “fits” と呼んでいた彼女の発作症状は、Menzies さんが8歳くらいのときに始まった。Maine(メイン)州 Portland(ポートランド)郊外の工場町で育った6人兄弟の末っ子である Menzies さんによると、長くても数分の発作の間、彼女は奇声を発し、自分の服をいじっていたと言われていたという。
「本当に奇妙な感覚に襲われて口がきけなくなったこと以外は何も覚えていないのです。」と Menzies さんは言う。「自分が霧の中にいるような感じでした。」ただ一つだけ決まった症状があった:それはそれぞれの発作に先行する前兆として知られる頭の中のザワザワした感覚だった。その時 Menzies さんは意味もなく微笑んだり短く笑ったりしていた。
その行動の頻度が増加し無視できなくなったので、母親が彼女を医者に連れて行ったところ、epilepsy(てんかん)と診断された。てんかんとは脳内の過剰な電気的活動によって原因不明に発作を繰り返し起こす神経疾患である。
彼は Dilantin(ディランティン、一般名はフェニトイン)というよく用いられる抗てんかん薬を処方したが、それによって歯肉病変が生じた。発作を抑えることができなかったので彼は用量を上げ続けたが効果はみられなかった。
Deb Menzies さんは45年以上にわたって症状に耐え続けた。(Deb Menzies さん提供)
てんかんは長らく汚名を着せられてきた;何世紀もの間、悪魔憑きの兆候、あるいは家族を苦しめる呪いと見なされてきた。医師は彼女に病気のことを説明しなかったし Menzies さんの家族も家庭でこの病気について話し合う必要はないとはっきり言った。
「私の両親はこのような状況に対処しなければならないことを良しとしませんでした。」と彼女は言う。「そのことで私は内気な人間になりました。私は発作を持っていることに罪の意識を感じました。」彼女は学校で冗談のネタにされるほど、不適切な笑いを無意識のうちに爆発させることに非常に強い恥ずかしさを感じていた。
大きくなってからは、「図書館に行ってはそれについて読んでいました。」と彼女は振り返る。
10代の頃、彼女は Portland(ポートランド)の神経科内科医を受診した。2剤目となる薬が処方され最初は効果があったが数年経つと効果が減弱してきた。
Menzies さんによると、秘書養成大学での1年目は順調だったが、2年目は発作が再発し最悪だったという。数年後、彼女は不随意的な笑いの症状が gelastic seizures(笑い発作)であることを知った。
「授業はとても難しく何も覚えられませんでした。」と彼女は言う。彼女は努力を重ねたが、せっかく熱心に勉強しても読んだばかりの内容を記憶することができなかったので、無駄なことであることを思い知った。「私は疲れ果て、パニックに陥り、家族の中で初めて大学を落第する子供になる可能性を死ぬほど恐れていたのです。」と彼女は振り返る。
当時19歳だった Menzies さんは、にっちもさっちもいかなくなり、てんかんの薬を過剰摂取した。彼女は1週間入院し学校を中退したが家に帰ると冷たい仕打ちを受けた。両親は彼女の自殺未遂に激怒した。
「あの時の母の目は今でも忘れられません。」母親について Menzies さんはそう話す。「彼女は私にこう言ったのです。『いいかげんにして。こんなことをするなんて信じられない。あなたにはもう付き合えないわ』と。」父親の方は「何も話しませんでした。」と彼女は言う。
Menzies さんは家を出て、Portland(ポートランド)の法律事務所に就職、その後セラピストに通い始めたが、それは「非常に有益だった」という。彼女が新たな神経科医を受診すると、その医師はてんかん治療薬を変更したが新しい薬は部分的にしか効果がなかった。
「これから自分に発作が起きて話せなくなったり笑い出したりしそうであるということを察知するのがとても上手になりました。」と彼女は言う。「あくびをするふりをしたり、人に顔を見られないようにしたりしました。」
1990年、彼女は数年前に知り合った男性と結婚するために北カリフォルニアに引っ越した。息子を出産した Menzies さんには、約12年間、精神衛生上の問題はみられなかったという。
「すべてが素晴らしかったです。ただし発作を除けばの話ですが。」と彼女は言う。
その頃までに Menzies さんには drop attacks(転倒発作)とも呼ばれる atonic seizures(脱力発作)が見られていた。これは筋肉のコントロールの突然の喪失を特徴とする発作である。一度は仕事中に起こり突然前に倒れて眼鏡を壊してしまった。さらに最も生活に支障をきたすタイプである、痙攣を起こし意識を失う gland mal(大発作)あるいは tonic-clonic seizures(強直間代発作)も時折起こしていた。
Cross-country moves 国内を横断する移動
2002年、Menzies さんは夫の John(ジョン)さん、息子と一緒に懐かしく思っていたというメイン州に戻った。しかし 2008年までには、1日に何度も起こる笑い発作が止まらなくなっており彼女にとって大きな苦痛となっていた。彼女は自殺を考えるほど落ち込むようになり 2度目の入院をした。
てんかん患者における精神医学的問題、特にうつ病と不安症の有病率は一般人口に比べて有意に高いことが研究により繰り返し報告されている。生理的要因、偏見、抗てんかん薬の副作用などすべてが関与していると考えられている。
数週間の治療の後、Menzies さんのうつ病は回復し彼女は仕事に復帰した。2013年、夫妻は夫の家族により近いカリフォルニアに戻った。
5年後、Menzies さんが3度目の精神科入院をしたのは、所属事務所の弁護士からの批判的なメールがきっかけだった。取り乱した Menzies さんは事務所を出て、車で1時間の南にある San Francisco(サンフランシスコ)の Ocean Beach(オーシャン・ビーチ)に行き、波打ち際を海に向かい溺れようと思ったという。しかしうまくいかず家に戻ると夫が警察を呼んでいたことがわかった。
そしてその数日後、Menzies さんは体調が回復したことを家族に告げると、車で Golden Gate Bridge(ゴールデンゲートブリッジ)に向かったのである。
A pivotal question 中核となる質問
病院で Menzies さんは、University of California at San Francisco(UCSF、カリフォルニア大学サンフランシスコ校)関連の精神科医チームの診察を受けた。彼女をひどく動揺させていた前兆や笑いの発作について彼らに話したことを覚えているという。
Menzies さんは投薬中にも病院で発作を起こした記録がありてんかんを患っていたことから、精神科医は神経内科医に診察を依頼した。
68日間の入院中、入院して2週間の時、一人の神経内科医の診察を受けたことが記録に残っているが、Menzies さんにはそのときの記憶がないという。
彼が強く疑ったのは、彼女の病歴の大部分から、うつ病、記憶障害、制御不能の発作は脳の奥深くにある良性の病変によるものではないかということだった。
Hypothalamic hamartoma(HH、視床下部過誤腫)として知られるこの腫瘍様の病変は、出生10万から20万人に1人の割合で発生すると推定されている。この病変は hypothalamus(視床下部)に認められる。視床下部は脳の底部に存在するアーモンドサイズの構造物で、気分、記憶、ホルモンの分泌などさまざまな機能を制御している。
笑い発作は HH の特徴的な症状である;また転倒発作もみられる。記憶障害、認知機能障害、気分障害、中でもうつ病がよくみられるが、突発的な怒りの爆発が起こることもある。
HH 患者の約半数は思春期早発症を経験する。Menzies さんは神経内科医に10歳ごろ思春期を迎えたこと、子供のころは怒りが爆発していたことを伝えていた。彼女のうつ病、記憶障害、認知機能障害は十分に立証されていた。
その神経科医は Menzies さんに高磁場脳MRIという特殊な画像検査を受けるよう勧めた。そして翌週行われた同検査で彼の仮説が確認され、鉛筆の消しゴムの大きさである 5ミリの病変が見つかった。
それは Menzies さんが初めて受けた MRI 検査だった;過去には脳波を測定する非侵襲的な検査である脳波検査や、その他てんかんの一般的な検査を何度も受けたが、それらの検査ではこのような病変が発見されることはほとんどない。
その結果は「衝撃的であり、汚名を晴らすものでした。私はこれまでずっと自分が頭のおかしな人間だと思って過ごしてきていたのです。」と Menzies さんは思い起こす。
MRI の結果を知った後、Menzies さんは精神科病棟の真ん中にある壁の電話に向かい夫に電話をかけてこう言ったのを鮮明に覚えているという。「あなたはこれを信じられないでしょうね。」
10月初旬、彼女は2人目のUCSFの神経内科医でてんかん専門医の Paul Garcia(ポール・ガルシア)氏と会った。
その腫瘍は「もっと早く MRI 検査を受けていれば見つかっていたかもしれません。」と Garcia 氏は言う。「しかし見逃される可能性がある理由の一つは、それが通常発作を起こすような場所にないことです。」
‘Sign me up’ 『私を手術の対象にして』
病気の原因がわかった瞬間から Menzies さんは病変に対して脳の手術を受けることを切望していたという。比較的最近まで病変の位置から手術は不可能であると見なされていた。
しかししばしば小児期に行われる手術は現在治療の主流となってきている。最新のアプローチの1つである laser thermal ablation(レーザー熱焼灼術)は、レーザーの熱を利用して病変を死滅させる低侵襲手術である。その他の治療法には、頭蓋骨の一部を外して HH に直接アクセスする開頭手術や、狙いを定めて高線量の放射線を照射する gamma knife surgery(ガンマナイフ手術)がある。
医師たちは、脳梗塞、髄膜炎、記憶障害など、治療によって起こりうる合併症について Menzies さんに説明し、彼女の場合精神衛生上の障害は手術では解決せずさらに悪化するかもしれないと告げた。
しかし Menzies さんは動じなかった。「『私を手術の対象にして下さい』と言ったんです。」そう医師らに話したことを彼女は覚えている。
しかしそんなに簡単なことではなかった。手術は遅れることになったが、それは、まず彼女のうつ病のコントロールに数週間を要したこと、そして彼女の保険状況が原因だった。入院当時、Menzies さんは無保険だったのである。その後彼女はカリフォルニア州のメディケイド・プログラムである Medi-Cal(低所得者向け健康保険プログラム)の適用を受けることになった。
2019年初め、Garcia 氏と他の神経内科の専門家たちは彼女の治療について話し合い、レーザー熱焼灼術を勧めた。この手術は、現在 UCSF の神経外科部長を務める神経外科医 Edward Chang(エドワード・チャン)氏によって4月に行われた。
Menziesさんはその病院で一晩過ごした。何十年もの間、彼女を苦しめてきた発作はすぐに止まり、再発がないことがわかり彼女は感激した。ただ手術後の最初の 6ヵ月はいささか不安定だったと Garcia 氏は言う。Menzies さんは記憶力と、神経や筋肉の機能を調整する電解質レベルに問題を抱えていたが、いずれも改善した。
手術は彼女の人生を一変させたという。特定の状況に対する感情的な反応は高まったままだったが、手術でうつ病は抑えられたと Menzies さんは言う。数年前、彼女は精神科の薬の服用をやめている。
「彼女はとても元気です。」と Garcia 氏は言う。「彼女はとても感謝に満ちた患者であり、このような結果にとても満足しておられます。」
HH の診断の遅れはめずらしいことではないが、50年近く遅れることはまれだと Garcia 氏は指摘する。
「困った発作が続いてみられるようであれば、それば再検討してみる価値があります。」と彼は言う。
Menzies さんによると、HH の診断は彼女の元の家族に衝撃を与えたという。彼女の父親は長生きしておりこの病気について知ることができた;一方、母親は数年前に亡くなっていた。
発見率は劇的に向上し現在では出生前に診断されるケースもあるが、自分の体験談が腫瘍の発見が見逃されているかもしれない人たちの助けになることを Menzies さんは願っているという。 彼女は、永久的な心の傷を残した病気の遺産と闘い続けている。
「それは私の人生のほぼ50年に影響を及ぼしました。」と彼女は言う。「一人の子供が時機を逃さずに診断される手助けになるのであれば、私はそれについて話さなければならないと思ったのです。」
視床下部過誤腫(hypthalamic hamartoma, HH)についての詳細は
以下の各サイトをご参照いただきたい。
HH は胎性35~40日の異常により生じる先天性のまれな奇形の1つ。
視床下部の腹側にある灰白隆起に発生し乳頭体に付着する形成異常。
過誤腫と呼ばれるが腫瘍ではなく先天奇形(形成異常)である。
確定的な遺伝子異常は特定されていない。
視床下部に類似した組織で大型の神経細胞や小型グリア細胞から構成される。
大きさは 20mm以下が多いが時に 40mm近い病変を見ることがある。
有病率は 5万~10万人に1人で男性にやや多いと推測されている。
過誤腫内の神経細胞がてんかん原性(てんかんの原因となりうる性格)を有する。
病変があっても無症状のケースがある。
症状が出現する場合は小児期に始まる。
HH では特徴的な笑い発作(gelastic seizure)と呼ばれる奇妙な症状が
乳幼児期からみられる(平均して2歳前後)。
これは突然理由もなく笑ってしまう発作で、数秒から数十秒単位で消失する。
笑い発作がみられれば過誤腫の存在を疑う必要がある。
笑い発作には様々なタイプがあり、強迫的な笑い表情、ニヤリとするだけのもの、
声をあげて笑うもの、感情を伴わない笑いなどがみられる。
メアリーポピンズに出てくる“笑いガス”とは様相は異なるようである。
笑い発作はほとんどが日単位で発作の数が多くこれを抑える有効な薬はない。
過誤腫本体に笑い発作のてんかん原性が存在することは確認されているが、
その正確な機序については未だ明らかにされていない。
病状が進むと多くの症例で笑い発作以外に強直発作、複雑部分発作、強直間代発作、
非定型欠神発作、転倒発作(drop attack)など様々な発作型でてんかん発作が
みられるようになる。
てんかん発作が続くと、精神発達遅滞、認知機能低下、多動や激怒しやすいなどの
行動異常を生じることがある。
また学習障害、無関心、社会適合性の低下などにつながる。
これらの症状が進行する場合には、てんかん発作の消失により改善が期待できるため
手術が行われる。
過誤腫が比較的大きい場合は思春期早発症(precocious puberty)を伴うことがある。
これは小児期(概ね10歳未満)に第二次性徴(乳房の発達、初潮、陰毛、
陰茎肥大、声変わり等)がみられるものである。
視床下部に作用して LH-RH 分泌を促進させる TGFα や TGFβ を発現させる
アストログリアが過誤腫に存在することから発症すると考えられている。
診断
HH の診断には MRI が最も有用だが、10mm以下の過誤腫の場合、
通常の MRI では見落とされる可能性があり高磁場 MRI による
検査が望ましい。乳頭体近傍を注意深く観察する必要がある。
脳波では全般性の脳波異常を示すことが多く局在診断は困難であるが、
時に局在性の棘波を示す場合があり病変側の大脳半球が優勢となる。
脳血流検査(Single photon emission computed tomography、SPECT)では、
発作時の過誤腫部の血流増加を捉えられることがある。
治療
笑い発作以外のてんかん発作に対しては抗てんかん薬を投与する。
思春期早発症にはホルモン療法として Gn-RH(LH-RH)アゴニストという
薬剤が用いられる。
発作が難治で頻回な場合や、精神神経症状の重症化が懸念される場合には
外科的治療を考慮する。
外科的治療には開頭による直達手術、ガンマナイフ、定位脳手術、内視鏡手術
などがあるが、直達手術は合併症のリスクが高いため行われることは少ない。
ガンマナイフは侵襲は少ないが、照射後一時的にてんかん発作の頻度が
増すことがある。また効果発現までに時間がかかるという欠点がある。
定位脳手術では、頭蓋骨に小さな孔を開けて、そこから細い棒を脳内に差し込み
過誤腫と視床下部の境まで誘導し先端から熱(約60℃)を出して局所を熱破壊する。
難治性の笑い発作やてんかん発作等の治療には有力で即効性だが、
正常視床下部に損傷が及ぶリスクを伴う。
定位手術では熱凝固にレーザー照射を利用するレーザー熱焼灼術という
治療法もある。
内視鏡手術は脳の中にある髄液の溜まった部屋である側脳室から
中央にある第3脳室内まで内視鏡を挿入して手術を行う。
脳室壁に近い小さな過誤腫には適応となることがある。
予後
腫瘍ではないため病変が増大して致死的となることはない。
しかし発作頻度が多いと、認知機能の低下(精神発達遅滞)が生じて
学習障害、無関心、社会適合性の低下が問題となることがある。
てんかん発作、知的障害や精神症状は成人期以降になると治療によっても
改善が期待できないことが多いとされており、
本記事の Menzies さんは実にラッキーだったと思われる。
それにしてもひどい親である。