kan-haru blog 2007
< 総合INDEX へ
桃の節句
3月3日の雛祭りは、平安時代には高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとして「桃の節句」が行われ、庶民の間にも定着してきたお祝いです。
日本には大変古く平安時代から五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、この行事は貴族の間で、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。その中の「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となりました。
上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してきました。 室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていきました。
2月25日の日曜日に、吾妻橋際の隅田公園のテラス沿いで12時から、子どもの災厄を紙や草木で作った人形に託し、川や海に流して祓い清め、子どもの無病息災を願う江戸流し雛が行われ、対岸にあるすみだ郷土文化資料館には、「芥川家旧蔵雛人形」が3月14日まで展示されてますので見に行って(地図参照)きました。
すみだ郷土文化資料館
すみだ郷土文化資料館(東京都墨田区向島2-3-5)へは、大森町からは京浜急行電鉄と都営浅草線乗り入れ直通で本所吾妻橋駅にて下車して、墨田公園脇を北上し徒歩約8分です。
資料館は、1998年(平成10年)に開館し5階建ての1~3階が展示資料室で、1階は古代から現代までの墨田区の歴史の流れを知ることのできる資料や刊行物や墨田区の歴史のライブラリーが展示してあり、このフロアーで「芥川家旧蔵雛人形」は展示されておりました。入館料は、個人が100円で、団体が80円です。
資料館は、撮影禁止のため雛人形や展示資料はホームページでリンクしてあります。
・芥川家旧蔵雛人形
芥川家旧蔵雛人形は、作家・芥川龍之介の妻、文(ふみ)が所有していたもので、文の初節句〔1901年(明治34年)〕の際に購入されました。明治時代に多いといわれる小ぶりの雛人形ですが、ひとつひとつが精巧なつくりで、人形の表情は穏やかで味わいがあります。
平成16年に芥川家より龍之介にゆかりのある墨田区へ寄贈され、平成17年2月1日に墨田区登録有形文化財となりました(すみだ郷土文化資料館資料より)。
2階の展示コーナーには、隅田川を中心に、すみだの文化・風俗・文学の資料が展示してあり、「墨堤のにぎわい」コーナーには、花見でにぎわう明治末年の墨堤をジオラマ模型で再現してあり、照明と音響による臨場感あふれる演出を行い、コンピューターマルチメディアソフト「墨堤そぞろ歩き」が組み込まれていて、コンピューター画面の中で、模型の登場人物の話を聞きながら、あたかも当時の墨堤を歩いているような体験ができるようになっております。
3階の企画展では、「東京空襲を描く人々‐空襲体験者の記憶と表現‐」を4月15日まで開催しております。
62年前の1945年(昭和20年)3月10日には、このあたり一帯の本所・深川では東京大空襲での戦災により、10万人の市民が亡くなりました。
資料館では、『以前企画展で東京空襲体験者がご自身の空襲体験を自ら描いた絵画を募集し、資料館に寄せられた体験画は、それぞれ体験者の重く苛酷な記憶が表現されており、絵を見る者の心を強く揺さぶるものがあります。体験者の方々の絵には、別に多くの方々が、「デッサン」や「下絵」など、自らの記憶を確かめ、ご自身だけの記録にする目的で絵を描いておられました。「デッサン」や「下絵」には、体験者だけがもつ空襲の「記憶」が第三者への伝達を目的とした「表現」にいたるまでに辿る、体験者の「心の軌跡」を体験者の「心の軌跡」を推察することもできるでしょう。
展示の企画展では、「完成作品」と共に「デッサン」「下絵」も展示されており、空襲体験者が記憶の中に抱える深い心の傷を知り、空襲体験をめぐる世代間の認識のギャップを少しでも埋めることができれば幸いです。』とあります。
少しでも多くの人が、3月10日の悲惨な戦災体験を知り、戦争を語り継ぎ平和の有難さを願いたいと思います。資料館では、平成15年に募集した体験画集「あの日を忘れない 描かれた東京大空襲」監修すみだ郷土文化資料館を1階ライブラリーで発売しております。
牛島神社
牛島神社(牛御前社)は、墨田公園に接して鎮座され、立ち寄って参拝してきました。
神社に伝わる縁起書によると、貞観二年(八六〇年)慈覚大師が御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請して創祀し後、天之穂日命を祀り、ついで清和天皇の第七皇子貞辰親王がこの地でなくなられたのを、大師の弟子良本阿闇梨がその神霊を併せてお祀りし『王子権現』と称しました。
関東大震災後に現在の位置に移されました。東京大空襲での類焼も免れ東都随一といわれる総桧権現造りの社殿は昔のままの姿をみせており、狛犬と並んで左右一対の神牛(狛牛)が奉納されています。
本殿(写真拡大) 狛犬(写真拡大) 狛牛(写真拡大)
・撫で牛(青銅製)
江戸時代から庶民に親しまれた「撫で牛」(なでうし)が祀られています。この牛の像は、牛御前または牛嶋という神社の名称に由来して作られたもので、1825年(文政8年)ごろ奉納されたといわれています。
2月25日は友引でお日柄も良く、お宮参りのご親族の方がお参りに見えられておりました。
お宮詣り(写真拡大) 撫で牛(写真拡大) 撫で牛説明板(写真拡大)
江戸流し雛
日本古来の伝統行事の流し雛は、子どもの災厄を紙や草木で作った人形に託し、川や海に流して祓い清め、子どもの無病息災を願う日本古来の伝統行事で、台東区では江戸流し雛振興会が、1986年(昭和61年)から実施され第22回目の江戸流し雛です。
一般参加者約1500人をはじめ、花柳界の半玉さんのスタイルに倣った「振袖さん」4人や地元の幼稚園児・保育園児などが参加し、ひな人形を川に流す4基の流し台の前に並び、12時にハト形風船を放って流しびなが開始されました。
天気が良くうすら寒い陽気でしたが、赤色の欄干の吾妻橋上は、大勢の見物人で一杯でした。
流し雛見物の後は、雷門付近で昼食を取って帰路に、お日柄も良く先頭に提灯を掲げて式を挙げられた夫婦と親族の人力車のおめでたい行列が見られました。
< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(2月分掲載Indexへ)
カテゴリー別Index 小さな旅総目次 へ
<前回 小さな旅(9) 梅祭り 府中市郷土の森梅園 復元古民家めぐり その2 へ
次回 小さな旅(11) 雛のつるし飾りまつりと河津桜まつり その1 へ>
< 総合INDEX へ
桃の節句
3月3日の雛祭りは、平安時代には高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとして「桃の節句」が行われ、庶民の間にも定着してきたお祝いです。
日本には大変古く平安時代から五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、この行事は貴族の間で、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。その中の「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となりました。
上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してきました。 室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていきました。
2月25日の日曜日に、吾妻橋際の隅田公園のテラス沿いで12時から、子どもの災厄を紙や草木で作った人形に託し、川や海に流して祓い清め、子どもの無病息災を願う江戸流し雛が行われ、対岸にあるすみだ郷土文化資料館には、「芥川家旧蔵雛人形」が3月14日まで展示されてますので見に行って(地図参照)きました。
すみだ郷土文化資料館
すみだ郷土文化資料館(東京都墨田区向島2-3-5)へは、大森町からは京浜急行電鉄と都営浅草線乗り入れ直通で本所吾妻橋駅にて下車して、墨田公園脇を北上し徒歩約8分です。
資料館は、1998年(平成10年)に開館し5階建ての1~3階が展示資料室で、1階は古代から現代までの墨田区の歴史の流れを知ることのできる資料や刊行物や墨田区の歴史のライブラリーが展示してあり、このフロアーで「芥川家旧蔵雛人形」は展示されておりました。入館料は、個人が100円で、団体が80円です。
資料館は、撮影禁止のため雛人形や展示資料はホームページでリンクしてあります。
・芥川家旧蔵雛人形
芥川家旧蔵雛人形は、作家・芥川龍之介の妻、文(ふみ)が所有していたもので、文の初節句〔1901年(明治34年)〕の際に購入されました。明治時代に多いといわれる小ぶりの雛人形ですが、ひとつひとつが精巧なつくりで、人形の表情は穏やかで味わいがあります。
平成16年に芥川家より龍之介にゆかりのある墨田区へ寄贈され、平成17年2月1日に墨田区登録有形文化財となりました(すみだ郷土文化資料館資料より)。
2階の展示コーナーには、隅田川を中心に、すみだの文化・風俗・文学の資料が展示してあり、「墨堤のにぎわい」コーナーには、花見でにぎわう明治末年の墨堤をジオラマ模型で再現してあり、照明と音響による臨場感あふれる演出を行い、コンピューターマルチメディアソフト「墨堤そぞろ歩き」が組み込まれていて、コンピューター画面の中で、模型の登場人物の話を聞きながら、あたかも当時の墨堤を歩いているような体験ができるようになっております。
3階の企画展では、「東京空襲を描く人々‐空襲体験者の記憶と表現‐」を4月15日まで開催しております。
62年前の1945年(昭和20年)3月10日には、このあたり一帯の本所・深川では東京大空襲での戦災により、10万人の市民が亡くなりました。
資料館では、『以前企画展で東京空襲体験者がご自身の空襲体験を自ら描いた絵画を募集し、資料館に寄せられた体験画は、それぞれ体験者の重く苛酷な記憶が表現されており、絵を見る者の心を強く揺さぶるものがあります。体験者の方々の絵には、別に多くの方々が、「デッサン」や「下絵」など、自らの記憶を確かめ、ご自身だけの記録にする目的で絵を描いておられました。「デッサン」や「下絵」には、体験者だけがもつ空襲の「記憶」が第三者への伝達を目的とした「表現」にいたるまでに辿る、体験者の「心の軌跡」を体験者の「心の軌跡」を推察することもできるでしょう。
展示の企画展では、「完成作品」と共に「デッサン」「下絵」も展示されており、空襲体験者が記憶の中に抱える深い心の傷を知り、空襲体験をめぐる世代間の認識のギャップを少しでも埋めることができれば幸いです。』とあります。
少しでも多くの人が、3月10日の悲惨な戦災体験を知り、戦争を語り継ぎ平和の有難さを願いたいと思います。資料館では、平成15年に募集した体験画集「あの日を忘れない 描かれた東京大空襲」監修すみだ郷土文化資料館を1階ライブラリーで発売しております。
牛島神社
牛島神社(牛御前社)は、墨田公園に接して鎮座され、立ち寄って参拝してきました。
神社に伝わる縁起書によると、貞観二年(八六〇年)慈覚大師が御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請して創祀し後、天之穂日命を祀り、ついで清和天皇の第七皇子貞辰親王がこの地でなくなられたのを、大師の弟子良本阿闇梨がその神霊を併せてお祀りし『王子権現』と称しました。
関東大震災後に現在の位置に移されました。東京大空襲での類焼も免れ東都随一といわれる総桧権現造りの社殿は昔のままの姿をみせており、狛犬と並んで左右一対の神牛(狛牛)が奉納されています。
本殿(写真拡大) 狛犬(写真拡大) 狛牛(写真拡大)
・撫で牛(青銅製)
江戸時代から庶民に親しまれた「撫で牛」(なでうし)が祀られています。この牛の像は、牛御前または牛嶋という神社の名称に由来して作られたもので、1825年(文政8年)ごろ奉納されたといわれています。
2月25日は友引でお日柄も良く、お宮参りのご親族の方がお参りに見えられておりました。
お宮詣り(写真拡大) 撫で牛(写真拡大) 撫で牛説明板(写真拡大)
江戸流し雛
日本古来の伝統行事の流し雛は、子どもの災厄を紙や草木で作った人形に託し、川や海に流して祓い清め、子どもの無病息災を願う日本古来の伝統行事で、台東区では江戸流し雛振興会が、1986年(昭和61年)から実施され第22回目の江戸流し雛です。
一般参加者約1500人をはじめ、花柳界の半玉さんのスタイルに倣った「振袖さん」4人や地元の幼稚園児・保育園児などが参加し、ひな人形を川に流す4基の流し台の前に並び、12時にハト形風船を放って流しびなが開始されました。
天気が良くうすら寒い陽気でしたが、赤色の欄干の吾妻橋上は、大勢の見物人で一杯でした。
流し雛見物の後は、雷門付近で昼食を取って帰路に、お日柄も良く先頭に提灯を掲げて式を挙げられた夫婦と親族の人力車のおめでたい行列が見られました。
< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(2月分掲載Indexへ)
カテゴリー別Index 小さな旅総目次 へ
<前回 小さな旅(9) 梅祭り 府中市郷土の森梅園 復元古民家めぐり その2 へ
次回 小さな旅(11) 雛のつるし飾りまつりと河津桜まつり その1 へ>
iinaもうらやむ好ショットをおさめていますね。
鉄道がお好きのごようすに、コチラをご案内します。
「銀座線に踏切」http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/981668bfdcafa5394957ffbab7209b3f
また、3月10日の東京空襲については、iinaがはじめて知った日↓です。
「平和のつどい」
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b031036cc52d888b0d5d47a13459beb1
東京大空襲被災60周年の日に、林家三平の奥さんの海老名香葉子さんの講演を聴きました。