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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 堀之内三輪神社2008年秋の例祭

2008年10月13日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
kan-haru blog 2008

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堀之内三輪神社例祭
10月第1土・日が秋の例際の堀の内三輪神社(大田区大森中3-17-15 氏子町会 「(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 堀の内三輪神社」2006年参照」)では、今年は5日に2年に一度の大神輿の渡御と子供神輿、引き太鼓の練歩きが行われましたが、残念ですが所用のため前の日4日に宮入の大神輿と祭礼の準備風景を見てきました。

快晴の12時過ぎに三輪神社に着くと、祭礼の第1日目は9時に式典を執行した後は午後6時の演芸開演まで何の行事もない、のんびりとした例祭です。そのためか、境内角のお囃子やぐら上では、翁若社中の囃子方が囃子太鼓の調子をとり、道路前の笛方ものんびりと笛を合わせていました。5日の第2日目が午前10時からが大神輿の巡行で、祭り本番なのです。

 祭礼第1日目は式典と演芸だけののんびりとしたお祭り風景(写真拡大)

三輪神社は旧呑川の畔にあり、かっての氏子は海苔生業者が暮らした町で海苔の神様を祀った神社の信仰が厚い地域です。祭礼式典の済んだ昼過ぎですので、神社本殿や末社殿には三々五々と参拝者のお参りが見られ、社務所受付にも奉納に訪れ、奉納者芳名板もかなり埋まっていました。

 快晴の例祭を迎えた三輪神社風景

堀之内の地名は古く神輿殿には、明治時代からあったと云われる大神輿と子供神輿に引き太鼓が鎮座しており、神輿前では手を合わせる人も多く見受けられます。

 2年に一度の渡御を待つ神輿殿の大神輿(:大神輿に手を合わせる氏子、:渡御を待つ大神輿、:巡行を待つ子供神輿)

神社境内では、露天もすでに出店しており、夕方からの参拝客を待ちかねていました。また、町会内には、お囃子車が巡回して祭りを盛り上げてました。

 境内の露天の出店とお囃子車が町内巡回し祭りの準備が整う(:境内の露天と余興の舞台が揃う、:お囃子車が巡回し祭りを盛り上げる)

堀之内三輪神社由来
徳川期に大森周辺は武蔵国大森と称され、堀之内は大森の本村として伝承された古い地名です。堀之内の地名は館に濠を巡らした土地に与えられる由緒あるもので、北条時頼時代(1247~1259年)の陣屋旧跡と云われております。徳川期に、東大森、西大森、北大森の三ヶ村に分割され、堀之内は東大森村に属し幕府の直轄地として明治期まで代官がおかれました。堀之内は本村として早くから開け、住民は農業と漁業を生業として集落を形成し、氏神様が住民の支柱でした。
三輪神社は、享徳年間(1452~1456年)に土地開拓の神として、大国主命を祀り第六天社(デイロクサマ)と呼び、村人の崇敬を集めたのが創始と伝えられています。
1915年(大正4年)に当所内に天祖神社貴船神社を合祀して社殿を改め神社の威容が高まりました。1945年(昭和20年)に戦禍により焼失し、その後1952年(昭和27年)に社殿を新築して現在に至っています。
北村石見守を御祭神とする末社北村神社は、1967年(昭和42年)に堀之内海苔養殖業者により再建されたものです。(堀之内の起源と三輪神社由来から抜粋)

五堀縁起銘板除幕式
去る9月9日に、堀之内三輪神社境内の末社北村神社脇に、大森海苔養殖の歴史を後世に残すため「五堀縁起」の銘板を設け、除幕式(読売新聞都民版9月10日朝刊)が行われました。
大森から品川にかけての東京湾一体は、浅草海苔の発祥地で江戸時代には一大産地となり、大森村をはじめとする東京湾の海苔生産量が全国の約7割を占めた時期もありました。1963年の東京五輪開催前には、水質悪化により海苔の採取が出来なくなりました。
元生産者らが95人が「五堀親睦会」を設立して交流していましたが、会員の多くの方が亡くなり集まりが難しくなったため昨年12月に解散となりました。残った解散費を活用して、「海苔養殖の歴史を後世に伝えるもの」として縦約60センチ、横約90センチのステンレス製の銘板を七五調の文章で造りました。除幕式には、野口六郎左衛門の子孫にあたる野口博康氏らが約60人が参列して、銘板設置を祝いました。

 海苔の神様を祀る北村神社と「五堀縁起」銘板(:海苔の神様の末社北村神社、:北村神社由来石碑と「五堀縁起」銘板(左) 、右:「五堀縁起」銘板(写真拡大))

・乾海苔の考案
江戸初期の延宝年間(1673~1681年)の頃に大森周辺で自生している海苔の養殖が始まり、大森村字堀之内の初代野口六郎左衛門が紙抄き法をヒントにして、海苔を紙抄きの要領で抄いて板状にした乾海苔を考案したと云われています。
・大森海苔養殖
末社北村神社由来(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 堀の内三輪神社」2006年参照)によると大森の海苔養殖業は、1682年(天和2年)に野口六郎左衛門が有志と計り、幕府より海苔篊(ひび)建の免許を請け、その基礎が確立しました。その後、境界紛争で海苔篊建場を全面的に改めるという危機を、北村石見守が大森の海苔養殖業の継続を決断したのを、村民が崇敬してその徳を永く祀ろうと北村神社を建立したのが起源です。

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