ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

20㎏オーバー(平ヶ岳:6)

2009年10月18日 17時31分24秒 | Weblog
燧ヶ岳を見ると陽が落ち始めていることがわかった。
太陽が当たっているのは、ほんの山頂付近だけだった。
少しでも明るいうちにテント場を確保しておかなければならい。
これ以上の遅れは許されないという、本当にぎりぎりの時間での決断をした。
「俺にかまわず先に行ってください。なんとかテント場の確保をしてください。」
O氏には本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。
俺が遅れたために、すべての予定がくるってしまった。それも大幅なくるいだ。
今日の最後の難所である、池の岳山頂へのラストアタック。
岩場が目立つ。「ここさへ超えれば山頂だ。」その想いだけで岩場を登った。

池の岳山頂。
湿地帯が広がっている。沼に映る夕日を見ることはできなかった。
(写真は先に登ったO氏)
ヘッドランプを取り付けて歩いた。
視界はもはや足下だけ。道が三方向に分かれている。テント場はこっちか・・・。
勘だけで進むしかなかった。
陽が落ちると同時に体感温度も急激に下がったようだ。
ウィンドブレーカーを重ね着し、勘で歩いた。
わからない。0氏がテントを設営しているのなら、灯りが見えるはずなのだが、その灯りさえ見えなかった。360°漆黒の闇だった。
「はぐれたか・・・。それともこの暗さだ、まさか滑落・・・。」
大声で名前を叫んだ。何度か叫ぶとO氏からの返事がきた。
このときほどホッとした想いになったことはない。
声のする方に進むと、小さな灯りを発見。やっと合流できた。
予定より約5時間遅れの到着だった。


20㎏オーバー(平ヶ岳:5)

2009年10月17日 18時18分06秒 | Weblog
登りはじめの頃のような急勾配はほとんど無くなってきた。(今のところ)
樹林帯の中を進むが、とんでもない段差の大きい階段の様な登りにまた出くわした。
「これが膝にはきついんだよな・・・」と思っていると、いきなり左足の大腿部がつってしまった。
O氏にこれ以上心配はかけられない。初めは内緒にしていたが、そのうち一歩登り終える度に痙攣が起こり始めた。
「こりゃやばいぞ」と焦った。
過度の運動や筋肉疲労で痙攣を起こしただなんて、ひょっとして学生時代以来かも・・・。
しかも痙攣はやがて右足の大腿部にも起き始めた。
おいおい、冗談じゃないよ。せっかくペースを上げて遅れを取り戻し始めた矢先じゃないか。

遥か彼方には「平ヶ岳」が見えている。
あそこの手前まで行けばいいんだ。なんとか夕刻までにあそこまで・・・。
そうは思っていても両大腿部の痙攣なんて自身初めてのこと。
この先どうなっちゃう? これ以上ない不安と焦りだった。

O氏からの提案で、無理せず途中でテントを張り野営するか。それとも勇気ある撤退も選択肢の一つとする。
申し訳ない。情けない。返す言葉がなかったが、引き返すことだけは意地でもしたくなかった。
「行きましょう! 大丈夫。行ける!」
痙攣のせいで自ずと一歩の歩幅が短くなってきている。日暮れ前までにはなんとしても着きたかった。いや、安全のためにもそれまでには到着すべきなんだ。
そう思いながらも、「あ~あ、いつもだったらこの時間は宗次郎と散歩に行ってるのになぁ。昨日の今頃は公園で、なんで今日の同じ時間はこんなにつらいんだ。」
などと身勝手な考えに耽っていた。自分で決めた登山のくせに。

20㎏オーバー(平ヶ岳:4)

2009年10月16日 21時54分34秒 | Weblog
休憩の度にぶっ倒れるように体を横たえる。
先ずは呼吸を整えるのだが、O氏がシャッターを切ってくれている。
残念ながらポーズを決めるだけの余裕が無かった(笑)。
だが見上げればいつの間にか青空。燧ヶ岳の全容も見ることができた。
「おぉ~なんて雄大なんだ」
疲れてはいたが、刹那的な感動の瞬間だったことをはっきりと覚えている。

下台倉山へ着いたときは、予定の時刻を数時間オーバーしていた。
そして真夏の青空。汗がしたたり落ちている。
荷物を軽くしたいのは山々だが、ここで水分を摂りすぎてしまうと、今日の後半の水分が心配だった。
本音を言えば「ゴクゴク」と思い切り飲みたいところを、一口ずつ口に入れ、じっくりと味わうように口の中で転がし、その一口分を数回に分けて飲み込んだ。そしてそれを数回繰り返す。
不思議なことに、それで結構のどが潤ってくるのがはっきりと自覚できた。

ここから台倉山までの縦走は比較的楽だった。
いや、今までがきつかっただけか(笑)。
北アルプスを目指すときは、上高地からのルートが常だった。
梓川沿いに数時間かけて歩くことから始まる。
極端な登りは川を越えてからで、体がそれなりに慣れてからの登りだった。
だから体が慣れる前のいきなりの急勾配の登りは、この時が初めてと言っていい。

話しがそれたが、遅れた時間を少しでも取り戻すため、ペースを上げられるポイントは足を急がせた。
今日の最後に待っている難関までは、できるだけ急いだ。
それでも遅れを取り戻すには十分とは言えなかった。
それだけ予定をオーバーしてしまっていたということ。
O氏に本当に申し訳ない思いだ。


20㎏オーバー(平ヶ岳:3)

2009年10月14日 22時34分04秒 | Weblog
とてもじゃないが、煙草さえも吸う気になれなかった。
こんなにも自分の体力が落ちていたとは、情けないを通り越し言葉にならなかった。
そして、こまめに休憩を何本も取ることに対し、同僚のO氏には本当に申し訳ない思いだった。

ほんの数メートルだけのなだらかな登りが心底ありがたい。周りの景色を見る余裕ができる。見上げれば山の上部はまだ雲がかかっていた。左手の遥か彼方には、わずかながら「燧ヶ岳」のトップが見える。
「今日の天候は大丈夫なはずだ」・・・なんて考える余裕のない登りが再び続く。
そしてまた一本休憩をする。
しばらくはこの繰り返しだった。
とりあえずの目標は「下台倉山」なのだが、予定の時刻をオーバーしてしまっている。
わかってはいる。わかってはいるのだが、ザックの重量が悔しいほどに体に堪えるのだ。
O氏には言えなかったが、実はこの時点ですでに持病の左膝半月板損傷の痛みがかなり来ていた。
そしてその痛みを無視するように登り続けたことで、この後太ももが悲鳴をあげることになってしまった。

こうして綴っているとつらいことばかりのようだが、決してそうではなかった。
確か標高1200メートルあたりだったろうか、なんと足下に「蝮」を発見したのだ。
普段であれば「おっ、やばい。危ない危ない。」と感じるところだが、この疲労困憊状態、その蝮さえも「癒し」に感じる不思議さがあった。
相当まいっていたんだろうなぁ(笑)。
また、登ってきたルートを振り返れば、「ずいぶんと来たんだなぁ」と思えることもあった。(実際にはそれほどでもなかったのだが)

急勾配をヒーヒー言って登りながら考えていたことを思い出した。
「今夜は目一杯飯を食って、行動食も最低限の物だけを残してみんな食ってやる。燃料も残さなくてもいいや。少しでもザックの重量を軽くしてやるぞ!」
楽なことを考えなけりゃやっていけそうもない。そんな登りだった。

20㎏オーバー(平ヶ岳:2)

2009年10月13日 22時45分16秒 | Weblog
もう夏も終わる。
車で出発した時間帯はまだ暗く、太陽が昇る気配など全くなかった。

途中コンビニで朝食を購入し、登山口の駐車場まで再び車を走らせた。
車中、山のこと、ツーリングのことなどお互いに好きでたまらないアウトドアーの話題が尽きなかった。
それでも自分の中では常に不安がつきまとっていた。
せっかく20年ぶりに登る山であるはずなのに、嬉しさよりも不安が大きかったのだ。

昨夜、部屋でザックを背負ってみた。
ずっしりとした重さを背中に感じた。
「重いなぁ」という言葉より先に、「こんな重さ、俺、耐えられるだろうか。」
という不安を感じた。
ヘルスメーターで量ると、軽く20㎏を超えていた。
もう一度荷物を点検し、できるだけ無駄を省いたが、それでも20㎏を下回ることはなかった。
かつてはこれ以上の重量のザックを背負い、北アルプスを一週間も縦走したものだが、それはバリバリの若さあふれる20代。
あれから20年。不安は体力と持久力の衰えだけでない。無理に無理を重ね、体のあちこちに何度もメスを入れてきた“ツケ”が心配だった。

8時。登山口の駐車場に到着。
「やっと着いたか」ではなく、「ついに来てしまったか」という方が正直な気持ちだった。
だが今更不安を口になど出せない。服装を整え、荷物をチェック。登山者カードを投函し歩き始めた。
やはり重い。登山用具よりも食料と水の重さにまいりそうだった。

なだらかな上り坂を歩く。だが、そんな楽な道はすぐに終わり、いきなり急勾配の登山道へと変わった。
急勾配だけならまだいい。段差の大きい階段状の登りが延々と続いている。
そしてこの急勾配が、標高約1600メートルまであるのだ。
まず、およそ800メートルの標高差を登り切らなければならない。
スタートしてまだ1時間。心臓はバクバク状態。
ほんのわずかの休憩時間は、息を整えるだけで精一杯だった。

20㎏オーバー(平ヶ岳:1)

2009年10月12日 22時12分25秒 | Weblog
2009年夏の終わり。
期待・・・いやいや、大きな不安を抱き山へ登った。
標高2000メートルをわずかに超える程度。
さほどの山ではないが、大きなザックを背負い登るのは20年ぶりのことだ。

「一泊二日だから大したことないんだよ」と、女房に言ったのは6月のこと。
なんとか登山を! という思いだった。
そう、20代のとき、北アルプスの大キレットで起きてしまった落石事故以来、登山をやめていたのだ。
20年ぶりに80リットルのザックを取りだした。
ほこりまみれのザックを湯船に浸け、足で踏み洗いした。
懐かしい道具類に触れてみた。
でこぼこのアルミコッヘル。傷だらけのスプーン&フォーク。
懐かしさが蘇ってきた。若かった頃を思い出す(笑)。

事前に登山用具の専門店へも行き、最新の用具を見てきた。
技術の進歩に驚いた。
「へぇ~こんなにコンパクトになったのかぁ。 えっ、こんな道具なかったよなぁ」
と、20年の時の流れを感じながらいくつかの用具を購入した。

家に帰り、ザックに詰めてみる。上手く詰めきらないもどかしさがあった。
何度かやり直してやっとザックの形が整った。
そして8月22日、午前4時。ツーリング仲間のO氏と共に「平ヶ岳」へと出発した。