通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

猿猴川ぶらり(その2)

2016年05月10日 | 見て歩き
猿猴川ぶらり歩き

広島市の一番東側を流れる川

栄橋水管橋






広島市は、市内に6つの川が流れることから、

「水の都」と呼ばれる。





その6つの川のうち一番東側を流れる

猿猴川(えんこうがわ)を、

ぶらぶら歩きながら紹介していきます。





↓前回記事は、こちら↓

栄橋~猿猴川ぶらり(その1)







前回は、京橋川と猿猴川が分かれるところから

少し上流の京橋川に架かる

栄橋(さかえばし)を紹介しました。





今回は、栄橋のすぐ隣(上流側)にある

栄橋水管橋(すいかんきょう)を紹介してみたいと思います。







水管橋は、水道橋(すいどうきょう)ともいうて、

川や谷を超えて水を運ぶ橋のことじゃの。





広島と水道の歴史をたどってみると…。





広島ではもともと、飲み水は太田川の水や井戸の水を使うとった

が、広島は河口デルタに作られた街じゃけぇ、

井戸の水には塩分を含んだものが多かったんじゃの。





また、川の水や井戸の水は

コレラなどの伝染病の原因になったところから、

水道を敷いてほしいという要望が

市民の間から出されたそうじゃ。





一方、1894年(明治27年)には日清戦争が起こり、

たくさんの兵士が戦場である大陸に向けて

広島市南部にある宇品港(うじなこう)から出兵していった。





また、戦争の指揮をとるための大本営が広島に置かれ、

それに伴って明治天皇が広島に移ってこられた上に、

帝国議会も広島で開かれたんじゃの。





つまり、市民の健康の面からも、軍事的な面からも、

きれいな水の安定供給が必要になったというわけじゃ。





そこで1898年(明治31年)8月、

全国5番目の近代水道施設として

牛田(うした)に浄水場が完成。





栄橋水管橋は、この牛田浄水場からの水を

広島市内へ送るために造られた橋のうちのひとつで、

1924年(大正13年)に架けられたんじゃ。





↓広島と水道については、こちら↓

「市政出前講座「水道の水ができるまで」〈作成:水道局企画総務課〉」広島市









橋の両側には、石とレンガを組み合わせた

配水管防護構造物があって、

戦前のものがそのまま残されとるんじゃ。







橋の途中から見たところ。





下を流れるのは京橋川で、

画面左奥、川沿いの木々の向こうに

縮景園(しゅっけいえん)があるんじゃの。





↓縮景園については、こちら↓

名勝-縮景園 広島市中区上幟町







水管橋の西側には雁木(がんぎ)があって…、







ここからは、左側(上流側)に栄橋水管橋、

右側(下流側)に栄橋を一緒に眺めることができるんじゃ。







雁木の降り口には街区三角点が埋めてあった。





↓街区三角点については、こちら↓

「広島市街区基準点の管理保全について」広島市





訪問日:2016年3月20日





今日は、猿猴川ぶらりということで、

栄橋のすぐ隣(上流側)にある水管橋を紹介させてもらいました。



次回は、駅前橋記念碑を紹介する予定じゃ。





ほいじゃあ、またの。
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