通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

猿猴橋復元工事(その28)

2016年03月15日 | 広島の話題
猿猴橋復元工事

被爆70年事業

親柱に鷲像の据付け完了






↓前回記事は、こちら↓

猿猴橋復元工事(その27)







シンボルが再び舞い降りた-。

90年前に建造され、「広島一の橋」とたたえられた

華麗な姿への復元が進む広島市南区の猿猴橋に10日、

青銅製のタカの像が設置された。






先週の金曜日、3月11日の中国新聞に記事が出とったので、

据え付けられた鷲の像を見に行ってみた。







猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。







橋に近づいて見上げてみると…、







据え付けられた鷲の像にはカバーが巻き付けてあって、

羽以外の部分を見ることはできんかった。

残念!





2週間後の3月28日(月)、

新しくなった猿猴橋の復元完成記念で

「えんこうさん」という催しが行われる。



このとき、橋の渡り初めとともに、

像の除幕式も行われるということじゃ。







橋の西側の親柱、向かって右側(川下側)に

ひらがなで「ゑんこうは志(=えんこうばし)」、







向かって左側(川上側)に

「大正十五年二月竣成」の

橋名板(きょうめいばん)が取り付けられとった。





橋名板とは、橋に取り付けられた、


橋の名前


橋が架かる河川などの名前


橋が完成した年月


などを記したものじゃの。







橋を東側から見たところ。







橋の東側の親柱、向かって右側(川上側)に

漢字で「猿猴橋」、







向かって左側(川下側)に

「大正十五年二月竣成」の橋名板が取り付けられとった。







橋の東側には、今まで取り付けてあった石の親柱と、

カバーがかけてあって中身は見えんが、

案内板も設置してあった。







橋には…、







照明灯が取り付けてあった。







そして欄干には、橋の名前にちなんで、

2匹の猿が1個の桃をつかんだ金属の飾りも取り付けてあった。





こちらもカバーがしてあって、

今はまだシルエットでしか楽しむことができん。





ここで、猿猴橋の歴史をひもといてみると…。





猿猴橋は江戸時代、

猿猴川に架かるただひとつの橋として作られた。



広島藩の藩主じゃった浅野(あさの)氏が、

広島城を出発して京都・江戸の東方面に行くとき、

最初に渡る京橋(きょうばし)の次に渡る

2番目の橋としての役割があったんじゃの。



そして、広島城下を通って

東は京都から、西は馬関(ばかん。現:下関)を結ぶ

西国街道(さいごくかいどう)の一部でもあった。





この橋が、今から90年前の1926年(大正15年)に

それまでの木造の橋から、

今の鉄筋コンクリートの永久橋に架け替えられたんじゃ。





このとき、親柱には、

地球儀の上に鷲が羽を広げたブロンズ像や照明灯が付けられ、

文字どおり、「広島一の橋」としてたたえられとった。





それが、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に出された

「金属類回収令」によって、

橋にあった金属の装飾部分はすべて供出された。



その後、石で造られた親柱や欄干が新たに取り付けられて、

今日まで至る。







今からは、復元された白い猿猴橋が

広島の新しい景色になるんじゃの。







橋の奥、画面中央に高くそびえる

広島駅前Bブロック西棟・シティタワー広島は

最上階の52階あたりで作業中じゃった。





↓猿猴橋復元工事については、こちら↓

「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ





↓猿猴橋については、こちら↓

猿猴橋復元の会





訪問日:2016年3月13日





今日は、猿猴橋で行われている復元工事について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
コメント
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