通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

カープロード2016(その3)

2016年03月11日 | スポーツ
カープロード

JR広島駅南口からマツダスタジアムまで

往年の名選手(リリーフ投手)紹介








JR広島駅南口から

マツダスタジアム(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)まで

800メートル、徒歩約10分の「カープロード」。







前回は、マツダスタジアムの球場紹介をしました。





今回は、リリーフ投手として活躍した

往年の名選手を紹介をしてみようと思います。





■宮本幸信

■江夏 豊

■津田恒実

■大野 豊

■佐々岡 真司

■小林 誠二





【宮本幸信(みやもと ゆきのぶ)】



阪急ブレーブスからトレードで入団した1975年。

判定に激昂して球審に飛び蹴りをして、
「キックの宮」の異名をとったリリーフエース。

同じく退場劇で退団となったルーツ監督とともに
弱小チームを熱い闘志を注入し、
自身も10勝10セーブを挙げ初優勝に大きく貢献した。











【江夏 豊(えなつ ゆたか)】



阪神、南海と渡り歩き、野村克也監督とともに
日本球界にリリーフというポジションを確立させた左腕。

打者の心理を読み、緩急をつけた投球で
カープを2年連続日本一に導いた。

特に1979年の日本シリーズ最終戦での熱投は、
「江夏の21球」として今も語り継がれている。





【津田恒実(つだ つねみ)】



ドラフト1位で入団した1982年は先発として11勝し、
球団初の新人王に輝いた。

その後、故障に悩まされたが、
リリーフとして復活した1986年に胴上げ投手となる。

豪快なフォームから投げ込む剛速球と、
常に真剣勝負のプレースタイルで
「炎のストッパー」と呼ばれファンに愛された。





【大野 豊(おおの ゆたか)】



軟式出身のドラフト外入団ながら、
江夏からの徹底指導で才能開花。

江夏移籍後の守護神として君臨。

1991年には14試合連続セーブの日本記録を樹立し、
胴上げ投手になった。

先発に抑えに八面六臂の活躍を見せながら、
43歳まで現役を貫き、通算148勝138セーブを記録した。





【佐々岡 真司(ささおか しんじ)】



2年目の1991年に17勝を挙げる大活躍でリーグ優勝に貢献。

シーズンMVP、沢村賞などタイトルを総なめにした。

ベテランになると巧みな投球術でリリーフとしても投手陣を支えた。

江夏に次ぐ史上2人目の先発100勝100セーブの快挙を成し遂げた
平成期を代表するカープのエース。





【小林 誠二(こばやし せいじ)】



高卒1年目から1軍登板を果たしたが、
肩を故障してサイドスローに転向。

西武へのトレードをきっかけにパームボールに磨きをかけ、
リリーフとしてパ・リーグ制覇に貢献。

1984年にカープ復帰後も守護神として55試合に登板。

9セーブを挙げてチームを日本一に導いた。














JR広島駅東側には、いわゆる「開かずの踏切」と呼ばれる

荒神(こうじん)踏切がある。

ここを越えて、カープロードはさらに続いていくんじゃ。





訪問日:2016年2月28日





今日は、カープロードのリリーフ投手として活躍した往年の名選手

紹介させてもらいました。

次回は緒方監督と、黒田・新井・廣瀬・石原の4選手を紹介する予定じゃ。



ほいじゃあ、またの。
コメント
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