カープロード
JR広島駅南口からマツダスタジアムまで
往年の名選手(リリーフ投手)紹介
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e2/d467c5a39fa7d6531d5265b5ae31eb97.jpg)
JR広島駅南口から
マツダスタジアム(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)まで
800メートル、徒歩約10分の「カープロード」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/c0/8e64a46b7e585d91244f9df1ff463ae6.jpg)
前回は、マツダスタジアムの球場紹介をしました。
今回は、リリーフ投手として活躍した
往年の名選手を紹介をしてみようと思います。
■宮本幸信
■江夏 豊
■津田恒実
■大野 豊
■佐々岡 真司
■小林 誠二
【宮本幸信(みやもと ゆきのぶ)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/94/e5bd940cdc29ccd7c5bbf74514f38c7b.jpg)
阪急ブレーブスからトレードで入団した1975年。
判定に激昂して球審に飛び蹴りをして、
「キックの宮」の異名をとったリリーフエース。
同じく退場劇で退団となったルーツ監督とともに
弱小チームを熱い闘志を注入し、
自身も10勝10セーブを挙げ初優勝に大きく貢献した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/7f/b76bdd8e0f4bf2b52cce43872362d5a2.jpg)
【江夏 豊(えなつ ゆたか)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ae/be112aa997c7712a3d658407e376a05a.jpg)
阪神、南海と渡り歩き、野村克也監督とともに
日本球界にリリーフというポジションを確立させた左腕。
打者の心理を読み、緩急をつけた投球で
カープを2年連続日本一に導いた。
特に1979年の日本シリーズ最終戦での熱投は、
「江夏の21球」として今も語り継がれている。
【津田恒実(つだ つねみ)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/25/5c9d1732c4042532ec0733eab728e3cd.jpg)
ドラフト1位で入団した1982年は先発として11勝し、
球団初の新人王に輝いた。
その後、故障に悩まされたが、
リリーフとして復活した1986年に胴上げ投手となる。
豪快なフォームから投げ込む剛速球と、
常に真剣勝負のプレースタイルで
「炎のストッパー」と呼ばれファンに愛された。
【大野 豊(おおの ゆたか)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/06/8adbdb7bd478ce42e7b91b8426d318a3.jpg)
軟式出身のドラフト外入団ながら、
江夏からの徹底指導で才能開花。
江夏移籍後の守護神として君臨。
1991年には14試合連続セーブの日本記録を樹立し、
胴上げ投手になった。
先発に抑えに八面六臂の活躍を見せながら、
43歳まで現役を貫き、通算148勝138セーブを記録した。
【佐々岡 真司(ささおか しんじ)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/df/db40b55a39489536223c9352d6a7b8cc.jpg)
2年目の1991年に17勝を挙げる大活躍でリーグ優勝に貢献。
シーズンMVP、沢村賞などタイトルを総なめにした。
ベテランになると巧みな投球術でリリーフとしても投手陣を支えた。
江夏に次ぐ史上2人目の先発100勝100セーブの快挙を成し遂げた
平成期を代表するカープのエース。
【小林 誠二(こばやし せいじ)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/76/095f82e286f898065786e1af2a399e08.jpg)
高卒1年目から1軍登板を果たしたが、
肩を故障してサイドスローに転向。
西武へのトレードをきっかけにパームボールに磨きをかけ、
リリーフとしてパ・リーグ制覇に貢献。
1984年にカープ復帰後も守護神として55試合に登板。
9セーブを挙げてチームを日本一に導いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/4e/c09117164a43561e9d0f4bf866a224d6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/76/25a899e9bc22f155ba56e02031d8fe6f.jpg)
JR広島駅東側には、いわゆる「開かずの踏切」と呼ばれる
荒神(こうじん)踏切がある。
ここを越えて、カープロードはさらに続いていくんじゃ。
訪問日:2016年2月28日
今日は、カープロードのリリーフ投手として活躍した往年の名選手
紹介させてもらいました。
次回は緒方監督と、黒田・新井・廣瀬・石原の4選手を紹介する予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。
JR広島駅南口からマツダスタジアムまで
往年の名選手(リリーフ投手)紹介
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e2/d467c5a39fa7d6531d5265b5ae31eb97.jpg)
JR広島駅南口から
マツダスタジアム(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)まで
800メートル、徒歩約10分の「カープロード」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/c0/8e64a46b7e585d91244f9df1ff463ae6.jpg)
前回は、マツダスタジアムの球場紹介をしました。
今回は、リリーフ投手として活躍した
往年の名選手を紹介をしてみようと思います。
■宮本幸信
■江夏 豊
■津田恒実
■大野 豊
■佐々岡 真司
■小林 誠二
【宮本幸信(みやもと ゆきのぶ)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/94/e5bd940cdc29ccd7c5bbf74514f38c7b.jpg)
阪急ブレーブスからトレードで入団した1975年。
判定に激昂して球審に飛び蹴りをして、
「キックの宮」の異名をとったリリーフエース。
同じく退場劇で退団となったルーツ監督とともに
弱小チームを熱い闘志を注入し、
自身も10勝10セーブを挙げ初優勝に大きく貢献した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/7f/b76bdd8e0f4bf2b52cce43872362d5a2.jpg)
【江夏 豊(えなつ ゆたか)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ae/be112aa997c7712a3d658407e376a05a.jpg)
阪神、南海と渡り歩き、野村克也監督とともに
日本球界にリリーフというポジションを確立させた左腕。
打者の心理を読み、緩急をつけた投球で
カープを2年連続日本一に導いた。
特に1979年の日本シリーズ最終戦での熱投は、
「江夏の21球」として今も語り継がれている。
【津田恒実(つだ つねみ)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/25/5c9d1732c4042532ec0733eab728e3cd.jpg)
ドラフト1位で入団した1982年は先発として11勝し、
球団初の新人王に輝いた。
その後、故障に悩まされたが、
リリーフとして復活した1986年に胴上げ投手となる。
豪快なフォームから投げ込む剛速球と、
常に真剣勝負のプレースタイルで
「炎のストッパー」と呼ばれファンに愛された。
【大野 豊(おおの ゆたか)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/06/8adbdb7bd478ce42e7b91b8426d318a3.jpg)
軟式出身のドラフト外入団ながら、
江夏からの徹底指導で才能開花。
江夏移籍後の守護神として君臨。
1991年には14試合連続セーブの日本記録を樹立し、
胴上げ投手になった。
先発に抑えに八面六臂の活躍を見せながら、
43歳まで現役を貫き、通算148勝138セーブを記録した。
【佐々岡 真司(ささおか しんじ)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/df/db40b55a39489536223c9352d6a7b8cc.jpg)
2年目の1991年に17勝を挙げる大活躍でリーグ優勝に貢献。
シーズンMVP、沢村賞などタイトルを総なめにした。
ベテランになると巧みな投球術でリリーフとしても投手陣を支えた。
江夏に次ぐ史上2人目の先発100勝100セーブの快挙を成し遂げた
平成期を代表するカープのエース。
【小林 誠二(こばやし せいじ)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/76/095f82e286f898065786e1af2a399e08.jpg)
高卒1年目から1軍登板を果たしたが、
肩を故障してサイドスローに転向。
西武へのトレードをきっかけにパームボールに磨きをかけ、
リリーフとしてパ・リーグ制覇に貢献。
1984年にカープ復帰後も守護神として55試合に登板。
9セーブを挙げてチームを日本一に導いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/4e/c09117164a43561e9d0f4bf866a224d6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/76/25a899e9bc22f155ba56e02031d8fe6f.jpg)
JR広島駅東側には、いわゆる「開かずの踏切」と呼ばれる
荒神(こうじん)踏切がある。
ここを越えて、カープロードはさらに続いていくんじゃ。
訪問日:2016年2月28日
今日は、カープロードのリリーフ投手として活躍した往年の名選手
紹介させてもらいました。
次回は緒方監督と、黒田・新井・廣瀬・石原の4選手を紹介する予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。