通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

宮島言葉のいろいろ その13 「はまる」

2012年07月21日 | 広島弁
「宮島の町屋通りに飾ってある「宮島言葉のいろいろ」を紹介するこのシリーズ」

「第13回目の今日は「はまる」じゃ」




はまる…おごる・散財する
(撮影日:2012年1月4日)




「「はまる」は、「おごる・散財する」という意味じゃね」

『MNN新・広島弁教室』では、次のような使用例が紹介されとりますが…」



このジュースは、わしがはまちゃろう!(=このジュースは、私がおごってあげよう!)



「「はまる」という言葉は、使うことがない言葉じゃね」

「聞くこともない言葉じゃのう」

「お父さんも、たまにはうちに「はまって」欲しいもんじゃね」

「ばかじゃのう。おまえの婚約指輪を買うのに、「はまった」こともあるんじゃけぇの」

「「婚約指輪は給料の3か月分」とTVのCMで言いよったけど、実は1.5か月分くらいじゃったじゃん」

「あれは1970年代、ダイヤモンドで有名なデビアス社が指輪の販売を促進するために作ったキャッチフレーズじゃそうな。TVだけじゃのうて、映画館のCMでも流されとったのう」

「1970年代いうたら、40年近く前のキャッチフレーズになるんか」

「結婚した当時から数えても、20年前のキャッチフレーズになるんじゃの」

「いや~、それでも「給料の3か月分」は欲しいもんじゃね」

「ばかじゃのう。わしの1年間の給料が400万円とすると、給料の3か月分は100万円になるんで!」

「100万円の婚約指輪か!! えぇねぇ、夢のようじゃねぇ…」

「おぉ! お前の目ン玉が今、指輪のように光り輝いとるでぇ!!」

「まてよ!? よう考えたら、指輪に100万円もかけるなら、新婚生活に必要なものを買(こ)うたほうが、絶対にえぇよね」



1970年代と違って、現状初婚の男性の平均年齢は30歳、
その平均給与が430万円程度ですから給料の3ヶ月分となると100万円の指輪を購入しなければいけない計算になります。
このような高額な指輪を購入するよりは他に生活に必要なものを購入したいというところが本音でしょうか。

「給料3ヶ月分の婚約指輪を買う人っているの? [マーケティングを学ぶ]2006年01月16日」All About






↓デビアス社については、こちら↓

デビアス ジュエリー





【今日の宮島言葉】

はまる

意味/おごる・散財する






↓宮島言葉のいろいろについての関連記事は、こちら↓

宮島言葉のいろいろ その12 「ぶち」

宮島言葉のいろいろ その11 「ほいじゃけん」

宮島言葉のいろいろ その10 「ほぼろをうる」






「今日は、「宮島言葉のいろいろ」で「はまる(おごる・散財する)」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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天神川ウォーク(その2)

2012年07月19日 | 見て歩き
「今日は、天神川から源流の尾長天満宮までを歩く、天神川ウォークの2回目じゃね」

「前回は、広島市南区の新大州橋を出発したあと、天神川駅を通って、矢賀新町第2踏切まで来たんじゃが…」




矢賀新町第2踏切





「ここから先の川の流れが、ちょっとわからんのじゃ」

「うーん。困ったねぇ…。もとは川が流れたとったんじゃけぇ、今でも何か跡が残っとるはずじゃないんかね?」

「道路と線路はあるんじゃが、川が流れとったような跡も見あたらんのじゃ」

「そういや、天神川駅のところの看板に「我羅我羅橋(がらがらばし)」のことが書かれとったじゃん」

「おぉ、書いてあったのう。えーっと、何が書いてあったかというと…」



我羅我羅橋

天神川は昔、古川と合流して、二葉の里から矢賀村に流れていました。
かつての西国街道にかけられたのがこの橋です。
名前の由来は、がら竹という小竹を束にして作った竹橋だったためとも、橋を渡るときガラガラ音がしたためともいわれています。







「天神川は我羅我羅橋あたりを流れとったんじゃけぇ、ここにつながる道を探せばええんじゃない?」

「ほうか! お前、なかなか冴えとるのう」

「いんやぁ、それほどでもないけどね」

「えぇと、我羅我羅橋につながっとる道といえば…」

「広電バスの曙営業所の横にある細い道がそうじゃね」

「そこからたどっていくと…、ここか!?」







「うん。この道で合(お)うとると思うよ」

「矢賀新町第2踏切から、西(広島駅方向)へ300メートルくらい行ったところじゃの。この道に沿って北西の方向へ進むと…」











「曙営業所の停留所に出たね」

「横断歩道を渡って、さらに北西の方向へ進むと…」











「おぉ! ここじゃ、ここじゃ!」

「この道の向こうに、かつての我羅我羅橋があったんよね」



我羅我羅橋

左の道は、江戸時代初期に整備されたかつての西国街道である。
ここに、古川という川が太田川を分流し明星院前を経て矢賀村へと流れていたため、この橋が架けられたといわれている。
橋の名前の由来は、がら竹という小竹を束にして作った竹橋だったためとも、橋を渡るときガラガラ音がしたためともいわれている。
橋の長さは9尺(2.7m)、幅は3間(5.5m)。その後板橋となり、明治23年(1890)石橋、昭和45年(1970)頃に現在のコンクリート橋になった。
享保2年(1717)頃、橋のたもとに茶所が建ち参勤交代の途中、諸大名が立ち寄って賑わったが、寛政8年(1796)岩鼻の麓に移されたという。
下って、明治42年(1909)荒神市場と同時に、青物市場ができ、再び賑わった。




我羅我羅橋の石柱


我羅我羅橋の案内板






「ようやく我羅我羅橋まで来たね」











「あれ、あれれ…?」

「なんか、道というか川の流れが右に曲がっとるような感じがするじゃろ?」

「これが川を埋め立てた跡とすると、天神川は右(東)から来たことになるよね」

「天神川の源流の尾長天満宮は、ここから北西の方向にあるけぇの」

「えぇ!? ということは、また天神川を見失のうてしもうたんかね?」

「左(西)に進んでも分からんようになるだけじゃけぇ、とりあえず右(東)に進んでみるとするか…」





訪問日:2012年6月17日





↓尾長天満宮の関連記事は、こちら↓

天神川ウォーク(その1)

尾長天満宮 広島市東区

尾長天満宮と平清盛






「今日は、天神川ウォークということで、矢賀新町第2踏切から我羅我羅橋あたりまでを歩いてみました」

「さてさて、尾長天満宮に無事、たどり着くことができるかいの?」

「も1回ありますけぇ、おつきあいくださいね」

「ほいじゃあ、またの」
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宮島言葉のいろいろ その12 「ぶち」

2012年07月17日 | 広島弁
「宮島の町屋通りに飾ってある「宮島言葉のいろいろ」を紹介するこのシリーズ」

「第12回目の今日は「ぶち」じゃ」




ぶち…とても・すごく
(撮影日:2012年1月4日)




「「ぶち」は、「とても・すごく」という意味じゃね」

「例えば、疲れたときには「ぶちえらいのう(=とってもしんどい)」と言うよの」

「「今回のテストは、ぶち難しかったねぇ(=今回のテストは、すごく難しかったね)」とかね」

「最近は、「ばり」という言葉も使うようになったよのう」

「子どものころはよう(=よく)使いよったけど、大人になって使う回数が減っとる言葉かね」



「「ぶち」といえば、さくまあきらじゃのう」

「誰ね? さくまあきらって?」

「さくま氏は、伝説の雑誌『月刊OUT(アウト)』に載っとった「さくま学園」で、「ぶちぶちぶち」を連発されとったんじゃ。「わしゃ総理じゃよ」という言葉も残されとるがの」

「そんな雑誌、うちゃ知らんよね!」

「ほいじゃ、ゲーム「桃太郎電鉄」シリーズの監督をされるお方といえば、わかるかの?」

「そのむかし、ファミコンの時代じゃけど、「桃太郎電鉄」はやったことがあるよ。へぇ。「桃太郎電鉄」の監督をされとってんじゃ」



↓さくまあきについては、こちら↓

さくまあきらのホームページ



↓『月刊OUT』については、こちら↓

「月刊OUT」ウィキペディア

OUTSITE




↓「桃太郎電鉄」については、こちら↓

桃太郎電鉄 公式サイト





「「ぶち」といえばもう一人、出渕裕(いづぶち ゆたか)を忘れちゃいけんのう」

「また、わけのわからん人の名前を出してくる!」

「出渕氏といえば、「ブチメカ」という言葉があるくらい、有名なお方なんで」

「なんね、その「ブチメカ」いうのは?」

「出渕氏は、ロボットアニメ『闘将ダイモス』(1979年)以来、毎回主役に倒される敵ロボットのデザインを担当されとったんじゃ。以来、誰が名付けたか、氏のデザインするロボットは「ブチメカ」と呼ばれるようになったんよ」

「出渕さんは、うちにもわかるような仕事をされとってんないんかね?」

「最近では、アニメ版『宇宙戦艦ヤマト2199』の総監督を担当されとってんじゃ」

「『宇宙戦艦ヤマト2199』!?」

「あの『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク作品なんじゃ」

「ヤマトといえば、おととし、実写版の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』が公開されたばっかりじゃん」

「2009年(平成21年)には『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』も公開されとるしの」

「ところで、『宇宙戦艦ヤマト2199』って、どんな内容なん?」

「38年前の1974年(昭和49年)にテレビで放送された、第1作目の『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク作品になるんじゃ」



↓出渕裕については、こちら↓

「出渕裕」ウィキペディア



↓『宇宙戦艦ヤマト2199』については、こちら↓

宇宙戦艦ヤマト2199





↓宇宙戦艦ヤマトについての関連記事は、こちら↓

西崎義展と宇宙戦艦ヤマト

夕日に眠る 戦艦大和






【今日の宮島言葉】

ぶち

意味/とても・すごく

例文/「ぶち痛い(=とっても痛い)」



参考文献:
廿日市市商工会議所『宮島本 改訂版 宮島検定テキスト』2008年
『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年






↓宮島言葉のいろいろについての関連記事は、こちら↓

宮島言葉のいろいろ その11 「ほいじゃけん」

宮島言葉のいろいろ その10 「ほぼろをうる」

宮島言葉のいろいろ その9 「みてみいや」






「今日は、「宮島言葉のいろいろ」で「ぶち(とても・すごく)」について話をさせてもらいました」

「今回は余談が多くてすまんかった。ほいじゃあ、またの」
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天神川ウォーク(その1)

2012年07月15日 | 見て歩き
「天神川(てんじんがわ)ウォーク?」

「この間、広島市東区山根町(やまねちょう)にある尾長天満宮に、天神川の源流があるという話をしたのは覚えとるじゃろ?」

「覚えとるよ」




天満宮水源地石碑
(撮影日/2012年1月2日)




「ほいじゃけぇ、尾長天満宮から天神川をたどって歩くことにしたんよ」

「なるほど。それで天神川ウォークか。……そういや、この間も尾長天満宮から天神川に添って歩いてみるいうて言いよらんかった?」

「ほうなんよ。実は、尾長天満宮から出発したのはええんじゃが、すぐにわからんようになってしもうたんよ。ほいじゃけぇ今回は、逆に天神川から尾長天満宮まで遡(さかのぼ)っていくことにしたんじゃ」

「ところで、天神川はどこに向かって流れとるんかいね?」

「JRの天神川駅の近くじゃと思うんよ」

「そうか。天神川という駅の名前は、この川からつけられた名前じゃったよね」

「ウィキペディアで調べてみたら、こんなことが書いてあったんじゃ」



支流

天神川(天神川駅の駅名の由来となる川。現在は暗渠)

(「府中大川」ウィキペディア)




「なるほど。天神川は、府中大川(ふちゅうおおかわ)に流れとるんじゃね」

「その府中大川は、広島市南区の大州(おおず)で猿猴川(えんこうがわ)と合流しとるんじゃ。府中大川の上流にある榎川(えのきがわ)には、わしの母校・府中小学校や、えの宮なんかもあるんじゃがの」

「ということは、天神川ウォークは府中大川のどのあたりから出発するんかね?」

「府中大川が猿猴川と合流する所から、少し上流に行った新大州橋をスタート地点にしてみたんじゃ」




新大州橋から上流(北側)を見る



「ええっと、尾長天満宮はここから北西の方向にあるけぇ…」

「たぶん、ここから流れてきているのが天神川じゃないかと思うんじゃが」







「ということで、天神川ウォークをスタートしようかの。新大州橋から西側(広島駅方面)に向かって進むんじゃ」

「ここから天神川に添って、尾長天満宮へ向かうんじゃね」

「新大州橋西詰には広島高速2号線が走っとるんじゃの」




広島高速2号線 大州出入口



「横断歩道を渡ったあとに右に曲がって、広島高速2号線を右手に見ながら、天神川駅に向かって歩いていくんじゃ」

「ここは道が狭いですけぇ、気をつけてくださいね」












「のんびりとした感じじゃね。この鳥はどういう名前の鳥なんかね?」

「知らん」

「なんじゃそりゃ」

「この道の左側には大州ポンプ場があるんじゃ」











「この道に添って行くと、天神川駅に着くんじゃね」




天神川駅 南側(広島方面のりば)



天神川駅 北側(西条・呉方面のりば)




「天神川駅は2004年(平成16年)、キリンビール広島工場の跡地に建てられたダイヤモンドシティ・ソレイユの開業に合わせて作られた駅じゃ」

「天神川駅ができたときは、「天神川? なんね、その名前は?」って思うたもんね」

「天神川なんて名前、知らんかったもんの」

「ねぇ」

「ウィキペディアによると、天神川駅という名前は一般公募でつけられたもので、第1位は「安芸府中」じゃったそうな」



↓天神川駅については、こちら↓

「天神川駅」ウィキペディア





「天神川駅の北側に看板が立てられとったのう」







「この看板には、天神川の由来が書かれてあるんじゃね」



天神川の由来

天神川は、広島の歴史を見続けてきた緑豊かな二葉山と尾長山を水源とし、かつては尾長天満宮から府中大川までの3kmをそそぐ清らかな小川でした。
人々の生活に自然の恵みを育んでいた小川も、都市化の進展につれて「どぶ川」となり、ついには川のほとんどが埋め立てられてしまいました。
現在では天満川の姿は見られなくなりましたが、源流の尾長天満宮からは今も美しい水が湧き出しており、江戸時代、西国街道として賑わった道筋に架けられた「我羅我羅橋」の跡を示す石柱や案内板がそのなごりを留めています。







「尾長天満宮から府中大川までは、だいたい3キロメートルくらいあるんじゃね」

「今は川のほとんどが埋め立てられてしもうて、暗渠(あんきょ)になってしもうとるんじゃの」

「二葉山と尾長山が出てきたけど、尾長小学校、二葉中学校はうちの母校じゃけぇね」

「我羅我羅橋(がらがらばし)のあたりも流れとったんじゃの」

「この看板には天神川の地図も出とりますけぇ、チェックしときましょう」

「この道を、西側(広島駅方面)に歩いていくんじゃ」









「のんびりと歩いてみたい道じゃね」

「左手には広島機関区もあるんじゃ」







↓広島機関区については、こちら↓

「広島機関区」ウィキペディア





「右手には新幹線の高架も見えるんじゃ」









「ここをまっすぐ進むと、トンネルがあるじゃん。ここを通ると、マツダスタジアムに行くことができるんよね」

「ここは別名、「蛇トンネル」とも呼ばれとるそうじゃ」

「えぇ、そんな名前で呼ばれとるん?」







↓蛇トンネルについては、こちら↓

「怪奇、蛇トンネル」広島市ホームページ





「話がそれたね。天神川の話にもどろうか」

「矢賀新町第2踏切まで戻ると川があって…」






矢賀新町第2踏切



「踏切を渡った左側にも川があるんよ」









「とりあえず、今日はここまでにしとこうかの」

「川といいながら、半分以上は川の見えんところを歩いとったね」

「今の天神川は暗渠(埋め立てられている)になっとるけぇ、仕方がないよのう」





訪問日:2012年6月17日





↓尾長天満宮の関連記事は、こちら↓

尾長天満宮 広島市東区

尾長天満宮と平清盛






「今日は、天神川ウォークということで、新大州橋から矢賀新町第2踏切までを歩いてみました」

「次回は、天神川を見失う話じゃ」

「川じゃのうて暗渠(埋め立て)になっとるけぇ、たどって行くのが、なかなか難しいよね」

「ほいじゃあ、またの」
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尾長天満宮 広島市東区

2012年07月04日 | 広島の話題
「先日は、「尾長天満宮(おながてんまんぐう)と平清盛」ということで話をしたんじゃが、今日は尾長天満宮の話をしてみようかの」



尾長天満宮
天神さん

学問・書道の神として古くから崇敬された菅原道真が、九州太宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せ、この山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられました。
やがて、かつて京都において浅野長晟(あさのながあきら)の連歌(れんが)の相手をした松尾忠正(熱心な菅公の信者)が広島を訪れ、寛永17年(1640年)、民家に近い山の麓、道真由来の場所に社殿を建立したて菅神を祀りました。
その後、享保年間(1720年頃)、今の場所に社殿を再建したようです。
現在の本殿は、饒津神社(にぎつじんじゃ)にあった招魂社(明治時代の建物)を昭和12年に移したものです。

(尾長天満宮入口にある看板より)



尾長天満宮
(以下、撮影日が記載されていないものは、2012年6月7日撮影)



尾長天満宮 随身門の屋根瓦






「天満宮だけあって、梅の紋が使われとるのう」

「菅原道真には「飛梅伝説」があるくらいじゃけぇ、梅と関係が深いんよね」

「福岡の太宰府天満宮は「梅花」、京都北野天満宮は「梅星」、ほいで、東京の湯島天神は「梅鉢」の紋を使うとられるんじゃ」



↓飛梅伝説については、こちら↓

「飛梅伝説」太宰府市文化ふれあい館ホームページ





「「尾長山の麓に船を寄せ」ということは、このあたりはそのむかし海じゃったというわけじゃね?」

「江戸時代より前、旧広島市内のほとんどが海じゃったんよ。大ざっぱに言うと、大芝水門あたりから南がそうじゃの」

「ほうか。今の黄金山(おうごんざん)は、仁保島(にほじま)と呼ばれる島じゃったんよね」

「白島(はくしま)は箱島(はこしま)、江波山(えばやま)は江波島(えばじま)、ほいで比治山(ひじやま)は日地島(ひじしま)と呼ばれる、海に浮かぶ島じゃったそうじゃ」

「そのころの広島の海はどんなんじゃったんじゃろうか。一度、見てみたいね」

「ここでは省略されとるんじゃが、菅原道真が立ち寄った後に建てられた祠が、平清盛の手で再建されたと伝えられとるんじゃ」

「道真由来の場所に社殿を建立した浅野長晟といえば、広島藩浅野家の初代藩主じゃね」

「「現在の本殿は昭和12年、饒津神社の招魂社を移したもの」とあるのは、1926年(大正15年)の風水害で社殿が流されてしまったからなんじゃ」

「ということは、原爆にも遭(おう)とるわけじゃね」

「尾長天満宮は、爆心地から北東に約2.6キロの位置にあるんじゃが、社殿は爆風で倒れたものの、焼失は免(まぬが)れたんよ」

「2005年(平成17年)には、広島市の被爆建物保存・継承事業の補助を受けて保存工事を行っとってんじゃね」

「先日紹介した「平清盛 社殿建立の地 看板」のすぐとなりには、「天満宮水源地」という石碑もあるんよ」







天満宮水源地への案内板



天満宮水源地石碑
(撮影日/2012年1月2日)



天満宮水源地石碑(右)と、平清盛社殿建立の地の看板(左)



道真公腰掛石






「水源地ということは、ここから川が流れているということ?」

「この川から名前をとった駅ができたじゃろ? イオンモール広島府中の近くに…」

「え? 天神川駅のこと?」

「そうなんよ」

「なるほど。菅原道真のことを天神様と呼んだりするよね」

「天神川は、尾長天満宮を源として天神川駅あたりにむけて流れてとるんよ。今は暗渠(あんきょ)になっとって、その上に道路や歩道になっとるんじゃがの」

「へぇ…」

「最後に紹介するのが、狛犬じゃ」

「あぁ、神主さんに教えてもらったいうて、お父さんがうれしそうに話をしよったね」

「ここの阿形(あぎょう)の狛犬はオスで、吽形(うんぎょう)の狛犬がメスなんよ」




阿形の狛犬
(以下、撮影日/2010年1月3日)



吽形の狛犬






「阿吽(あうん)といえば、「阿吽の呼吸」という言葉があるね」

「「阿(あ)」は口を開いて最初に出す音、「吽(うん)」は口を閉じて出す最後の音になるんよ。そんなところから、宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされとるんじゃ。そのむかし、NHK教育テレビでジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』を放送した時は、「オーム」と表現されとったがの」

「なんか難しい話になったけど…、要は頭に角が生えとる方がメスなんよね」

「女性には角があるけぇ、結婚式の時に角隠し(つのかくし)をかぶるよのう」

「そのむかし、『うちの女房にゃ髭(ひげ)がある』という歌もあったよね」




吽形の狛犬のアップ



「オスの方は、股間にアレがついとるいうわけなんじゃ」




阿形の狛犬のアップ





↓尾長天満宮については、こちら↓

「尾長天満宮」ウィキペディア




↓尾長天満宮についての関連記事は、こちら↓

尾長天満宮(おながてんまんぐう)と平清盛

二葉山山麓 七福神めぐり






「今日は、広島市東区にある尾長天満宮について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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