「昨日は、山本理子(やまもと りこ)さんの展示会を見に行ってきたんじゃ」
「山本理子さんいうたら、去年の夏、切り絵の展示会を旧日本銀行広島支店でされた方かいね?」
「ほうじゃの。「月と海と太陽の神話」というタイトルでの」
↓「月と海と太陽の神話」についての関連記事は、こちら↓
月と海と太陽の神話 旧日本銀行広島支店
「今回も神話をタイトルにしとってんじゃね」
「前回は、「天の岩戸(あまのいわと)」の話じゃったんよ」
「スサノオの悪行(あくぎょう)に傷ついたアマテラスが天の岩戸の中に引きこもる、という話よね」
「今回は、そのスサノオとアマテラスの父親にあたるイザナギと、その妻・イザナミの話なんじゃ」
イザナギ
イザナミ
「山本さんの切り絵は、額(がく)の中に飾ってあるというのじゃのうて、空間を使って見せるという切り絵なんじゃの」
「このイザナギとイザナミは、光のあたり方のせいかもしれんけど、人間の姿をした神様というよりは、異形(いぎょう)の神という感じがするね」
「実はの、十二支(じゅうにし)の動物から構成されとるそうじゃ」
「十二支いうたら、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)か…。どれがどの動物にあたるんかね?」
「それは、展示会場で山本さんに聞いてみんさい」
「ところで、『余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話』というタイトルは、どっからきとるんかいね?」
「むかしの日本の歴史書に、『古事記(こじき)』という書物があったことは知っとるかいの?」
「『古事記』『日本書紀』くらいは知っとるよね」
「その『古事記』は今年、2012年(平成24年)で編纂(へんさん)されてから1300年になるんじゃ」
「あぁ、知っとるよ。島根県では、昨日から「神話博しまね」を開催しとってじゃね」
↓神話博しまねについては、こちら↓
【神話博しまね】よみがえる はじまりの物語
「ほいで、「余れる処 合わぬ所」と『古事記』とは、どういう関係があるんかいね?」
「『古事記』の中に、こういうくだりがあるんじゃ」
イザナギがイザナミに、「あなたの体はどんなふうにできていますか」と尋ねた。
イザナミは「私の体は完成しましたが、塞(ふさ)がらない裂け目が一か所あります」と答えた。
するとイザナギが「私の体も完成したが、よけいな突起が一か所ある。だから、私の体の突起したものを、あなたの体の裂け目に差し入れて塞ぎ、国生みをしようと思う。国を作りたいがどうだろうか」と誘うと、イザナミは「それはいいですわね」と賛成した。
(角川書店編『ビギナーズ・クラシックス 古事記』角川文庫 2002年8月)
「イザナミ(女性)の「裂け目」が「余れる処」で、イザナギ(男性)の「突起」が「合わぬ所」というわけじゃね」
「このあとイザナギとイザナミが交わって、四国や九州、本州やそのほかの島々を生む、いわゆる国生みが行われるんじゃの」
このやり取りの後、国生みが始まります。
この部分が私は好きなんですよ。
自分だけでは出来ない、足りないものをお互いのもっているモノで補うから新しいモノが生まれる。
凄い文章ですよね。
神様なのに1人じゃ出来ないから手を貸してくれって言うわけです。
(展示会のチラシより)
「確かに。神様なのに自分1人じゃできん、いうて言うんじゃもんね」
「実は、イザナギとイザナミの国生みは、最初はうまくいかんかったんよ。その時、2人はどうしたかというと、天つ神(あまつかみ)、つまり天上界(てんじょうかい)の神様のところへ相談に行くんじゃ」
「えっ、そうじゃったん!?」
「しかも、相談を受けた天つ神さえも占いをして、イザナギとイザナミに返事をされとってんよ」
「神様とはいえ、完全じゃないということじゃね」
キリスト教などの一神教では、全能の神に分からないことなどはない。
ところが日本神話の神々は、分からないことはあると認めるのである。
(新直子『古事記編さん1300年 3』中国新聞 2012年7月14日)
「そういや、今回は詩と切り絵のコラボじゃったいうて聞いたけど?」
「よこたよしきさんという男性の方が詩を書かれとっての、それも展示してあったんじゃ」
「これに詩がかいてあるん?」
「これは何の形をしとるんかね?」
「紙がカールしとるけぇ分かりづらいじゃろうが、水滴の形なんじゃと」
「水滴!? なぜに水滴をしとるんかね?」
「さっき、イザナギとイザナミが国生みをした話をしたが、その国生みをした場所が、オノゴロ島(じま)という島じゃったんよ」
この二神(にしん。筆者注:イザナギとイザナミのこと)は天と地の間に架かる天(あま)の浮橋(うきはし)に立って、天(あめ)の沼矛(ぬぼこ)を地上にさしおろし、かきまわした。
海水をコオロコオロとかき鳴らして、引き上げる時に、矛の先から滴(したた)る潮が積もり固まって島となった。
これが、潮がおのずから凝(こ)り固まってできたというオノゴロ島である。
(角川書店編『ビギナーズ・クラシックス 古事記』角川文庫 2002年8月)
「なるほど。矛から滴り落ちる水滴をイメージされとってんじゃね」
「そこに、男性(イザナギ)と女性(イザナミ)をイメージした詩が書かれてあるんじゃ」
「へぇ。キーワードとなる文字に色を塗っとってんじゃね」
「これは色を塗っとるんじゃのうて、文字を切り抜いた後ろの壁に色紙を当てて、そこの文字の色を変えられとってんよ」
「へぇ。こういう表現もありなんじゃね」
「よこたさんが書かれた詩は、全部で84もあるそうじゃ」
「84も! すごいねぇ。たとえば、どんな詩を展示しとってんかね?」
1人が雨でも
1人が晴れなら
2人は虹をつくることができる
砂時計を返してみる
あなたの時間が入ってくる
カタチが同じということは
もともと一つだったということ
それが物語のはじまり
「ええ詩じゃね。よこたさんって、詩人なん?」
「いや。ふだんは絵を描かれとってんじゃが、今回は山本さんからの依頼で詩を書かれたそうじゃ」
「へぇぇ…。この詩だけでも見に行ってみたいね」
「余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話」
■会期/2012年(平成24年)7月19日(木)~24日(火)
■日時/10時~18時
(最終日のみ15時まで)
■場所/ギャラリーヨコタ
↓ギャラリーヨコタについては、こちら↓
ギャラリーヨコタ 広島の画材・額縁・絵画教室の店
↓山本理子さんについては、こちら↓
Riko
「今日は、ギャラリーヨコタで開かれている山本理子の展示会「余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「山本理子さんいうたら、去年の夏、切り絵の展示会を旧日本銀行広島支店でされた方かいね?」
「ほうじゃの。「月と海と太陽の神話」というタイトルでの」
↓「月と海と太陽の神話」についての関連記事は、こちら↓
月と海と太陽の神話 旧日本銀行広島支店
「今回も神話をタイトルにしとってんじゃね」
「前回は、「天の岩戸(あまのいわと)」の話じゃったんよ」
「スサノオの悪行(あくぎょう)に傷ついたアマテラスが天の岩戸の中に引きこもる、という話よね」
「今回は、そのスサノオとアマテラスの父親にあたるイザナギと、その妻・イザナミの話なんじゃ」
イザナギ
イザナミ
「山本さんの切り絵は、額(がく)の中に飾ってあるというのじゃのうて、空間を使って見せるという切り絵なんじゃの」
「このイザナギとイザナミは、光のあたり方のせいかもしれんけど、人間の姿をした神様というよりは、異形(いぎょう)の神という感じがするね」
「実はの、十二支(じゅうにし)の動物から構成されとるそうじゃ」
「十二支いうたら、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)か…。どれがどの動物にあたるんかね?」
「それは、展示会場で山本さんに聞いてみんさい」
「ところで、『余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話』というタイトルは、どっからきとるんかいね?」
「むかしの日本の歴史書に、『古事記(こじき)』という書物があったことは知っとるかいの?」
「『古事記』『日本書紀』くらいは知っとるよね」
「その『古事記』は今年、2012年(平成24年)で編纂(へんさん)されてから1300年になるんじゃ」
「あぁ、知っとるよ。島根県では、昨日から「神話博しまね」を開催しとってじゃね」
↓神話博しまねについては、こちら↓
【神話博しまね】よみがえる はじまりの物語
「ほいで、「余れる処 合わぬ所」と『古事記』とは、どういう関係があるんかいね?」
「『古事記』の中に、こういうくだりがあるんじゃ」
イザナギがイザナミに、「あなたの体はどんなふうにできていますか」と尋ねた。
イザナミは「私の体は完成しましたが、塞(ふさ)がらない裂け目が一か所あります」と答えた。
するとイザナギが「私の体も完成したが、よけいな突起が一か所ある。だから、私の体の突起したものを、あなたの体の裂け目に差し入れて塞ぎ、国生みをしようと思う。国を作りたいがどうだろうか」と誘うと、イザナミは「それはいいですわね」と賛成した。
(角川書店編『ビギナーズ・クラシックス 古事記』角川文庫 2002年8月)
「イザナミ(女性)の「裂け目」が「余れる処」で、イザナギ(男性)の「突起」が「合わぬ所」というわけじゃね」
「このあとイザナギとイザナミが交わって、四国や九州、本州やそのほかの島々を生む、いわゆる国生みが行われるんじゃの」
このやり取りの後、国生みが始まります。
この部分が私は好きなんですよ。
自分だけでは出来ない、足りないものをお互いのもっているモノで補うから新しいモノが生まれる。
凄い文章ですよね。
神様なのに1人じゃ出来ないから手を貸してくれって言うわけです。
(展示会のチラシより)
「確かに。神様なのに自分1人じゃできん、いうて言うんじゃもんね」
「実は、イザナギとイザナミの国生みは、最初はうまくいかんかったんよ。その時、2人はどうしたかというと、天つ神(あまつかみ)、つまり天上界(てんじょうかい)の神様のところへ相談に行くんじゃ」
「えっ、そうじゃったん!?」
「しかも、相談を受けた天つ神さえも占いをして、イザナギとイザナミに返事をされとってんよ」
「神様とはいえ、完全じゃないということじゃね」
キリスト教などの一神教では、全能の神に分からないことなどはない。
ところが日本神話の神々は、分からないことはあると認めるのである。
(新直子『古事記編さん1300年 3』中国新聞 2012年7月14日)
「そういや、今回は詩と切り絵のコラボじゃったいうて聞いたけど?」
「よこたよしきさんという男性の方が詩を書かれとっての、それも展示してあったんじゃ」
「これに詩がかいてあるん?」
「これは何の形をしとるんかね?」
「紙がカールしとるけぇ分かりづらいじゃろうが、水滴の形なんじゃと」
「水滴!? なぜに水滴をしとるんかね?」
「さっき、イザナギとイザナミが国生みをした話をしたが、その国生みをした場所が、オノゴロ島(じま)という島じゃったんよ」
この二神(にしん。筆者注:イザナギとイザナミのこと)は天と地の間に架かる天(あま)の浮橋(うきはし)に立って、天(あめ)の沼矛(ぬぼこ)を地上にさしおろし、かきまわした。
海水をコオロコオロとかき鳴らして、引き上げる時に、矛の先から滴(したた)る潮が積もり固まって島となった。
これが、潮がおのずから凝(こ)り固まってできたというオノゴロ島である。
(角川書店編『ビギナーズ・クラシックス 古事記』角川文庫 2002年8月)
「なるほど。矛から滴り落ちる水滴をイメージされとってんじゃね」
「そこに、男性(イザナギ)と女性(イザナミ)をイメージした詩が書かれてあるんじゃ」
「へぇ。キーワードとなる文字に色を塗っとってんじゃね」
「これは色を塗っとるんじゃのうて、文字を切り抜いた後ろの壁に色紙を当てて、そこの文字の色を変えられとってんよ」
「へぇ。こういう表現もありなんじゃね」
「よこたさんが書かれた詩は、全部で84もあるそうじゃ」
「84も! すごいねぇ。たとえば、どんな詩を展示しとってんかね?」
1人が雨でも
1人が晴れなら
2人は虹をつくることができる
砂時計を返してみる
あなたの時間が入ってくる
カタチが同じということは
もともと一つだったということ
それが物語のはじまり
「ええ詩じゃね。よこたさんって、詩人なん?」
「いや。ふだんは絵を描かれとってんじゃが、今回は山本さんからの依頼で詩を書かれたそうじゃ」
「へぇぇ…。この詩だけでも見に行ってみたいね」
「余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話」
■会期/2012年(平成24年)7月19日(木)~24日(火)
■日時/10時~18時
(最終日のみ15時まで)
■場所/ギャラリーヨコタ
↓ギャラリーヨコタについては、こちら↓
ギャラリーヨコタ 広島の画材・額縁・絵画教室の店
↓山本理子さんについては、こちら↓
Riko
「今日は、ギャラリーヨコタで開かれている山本理子の展示会「余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」