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鐡道遭難者追弔塔

2018年12月22日 | 広島の話題
広島の水害碑(その2)

広島市安芸区中野 専念寺境内

大正15年9月、豪雨のため広島市内各地で災害が起こる

山陽本線の安芸中野駅~海田市駅間で、特急列車が脱線転覆した

客車は木造から鋼製へ






『水害碑が伝えるひろしまの記憶 -過去が教えてくれること-』(広島市危機管理室 2018年1月)に、広島市安芸区中野にある専念寺の境内に「鐡道遭難者追弔塔」があると紹介してあったので、見に行った。





↓「水害碑が伝えるひろしまの記憶 -過去が教えてくれること-」については、こちら↓

「水害碑が伝えるひろしまの記憶 -過去が教えてくれること-」広島市














専念寺の境内には、台座の上に釣り鐘を伏せ、その上に仏像が祀ってある。

釣り鐘には「鐡道遭難者追弔塔」とあり、裏には事故当時の様子が刻んであった。





鐡道遭難者追弔塔

大雨降洪水 至鉄路破列 車覆咄嗟之 間出未曾有
之悲惨事死 者三十六人 傷者亦不少 乃収屍當寺
誦経焉實大 正十五年九 月二十三日 拂暁也有志
者相謀建塔 供養以表追 悼之意

   専念寺十四世 静雄誌






これをわしなりに訳してみると…、



大雨のため洪水が起こり、線路が壊れ列車が転覆した。

未曾有(みぞう。=今まで一度もなかったこと)の悲惨な事故で、死者は36名、負傷者も少なからず(=たくさん)いた。

死者はお寺に収容して、経を読んで供養した。

事故が起こったのは。大正15年(1926年)9月23日の払曉(ふつぎょう。=明け方)のこと。

その後、有志が相談して供養のための追弔塔を建て、追悼の意をあらわした。



この碑に刻んである「追弔(ついちょう)」とは、「死者の生前をしのび、その霊をとむらう」という意味があるそうじゃ。



これに続いて、死んだ方の名前も刻んであり、そこには、外国人と女性の方の名前もあったのう。





事故の状況について調べてみると…。



この年、大正15年9月、広島市内では豪雨による災害が各地で起こった。



9月11日の未明、鉄道事故が起こった畑賀川(はたががわ)流域で土石流が発生。

死者35人、行方不明者1人。

畑賀小学校には被災者100人が避難した。

近隣市町村からの応援が約2万5千人、当時広島市にあった陸軍第5師団の工兵隊約600人で復旧工事にあたったという。



それから間もない9月23日の未明、豪雨によって畑賀川の堤防が決壊。

安芸中野駅から海田市駅の間にあって、畑賀川の上をまたぐ山陽本線の橋梁のレールは浮き上がっていた。

そこを東京発下関行き下り特急第列車が通り、機関車と客車6両が脱線・転覆(てんぷく。=列車がひっくりかえること)。

死者34名、負傷者39名という被害を出した。





この時の事故については、ウィキペディアでも「山陽本線特急列車脱線事故」とひとつの項目を立ててある。

それだけ大きな影響があった事故だったんじゃの。

この事故で木造の客車がひどく壊れ、被害を大きくしたこともあって、翌昭和2年(1927年)度から新しく造る車両は鋼製に切り替えといわれる。





↓山陽本線特急列車脱線事故については、こちら↓

「山陽本線特急列車脱線事故」ウィキペディア





↓大正15年9月、豪雨のために広島市内各地で起こった災害については、こちら↓

「大正15年9月広島豪雨災害」ウィキペディア





…以下、余談。



この鐡道遭難者追弔塔が建てられたのは、昭和2年。

事故が起こったのが大正15年で、碑が建てられたのが翌年の昭和2年。

昭和元年はどうなったの? と思う方がおられるかもしれん。



大正15年12月25日、大正天皇が崩御(ほうぎょ。=天皇が亡くなられる)され、その日のうちに「昭和」と改元。

つまり、昭和元年は、12月25日から31日まで、一週間しかなかったというわけなんじゃ。



その昭和も、昭和64年(1989年)1月7日に昭和天皇が崩御。

その日のうちに今上天皇(きんじょうてんのう。=在位中の天皇)が即位され、「平成」と改元した。

というわけで、昭和64年も一週間しかなかったというわけなんじゃの。



来年、2019年4月30日に平成天皇が退位され、翌5月1日に今の皇太子が新しい天皇として即位されることになっとる。

気になるのは次の元号じゃが、これについてはひとつだけお願いしたい。

「平成」と書かれた額縁を手に新しい元号を発表した、あのおまぬけな会見だけはやめてほしい。

あれから30年たった。

もっとスマートな新しい元号の発表を期待したいのう。





↓平成・新元号発表については、こちら↓

「昭和64年1月7日・新元号平成」YouTube





訪問日:2018年11月4日





【参考文献】

広島市文化財団広島市郷土資料館編『大正時代の広島』2007年






今日は、専念寺境内にある鐡道遭難者追弔塔と、事故の状況について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。

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