宮島にそびえる、標高535メートルの山を弥山(みせん)という。
【問題】
弥山を開基したと伝えらるのは誰でしょう?
1.空海(くうかい) 2.最澄(さいちょう) 3.平清盛(たいらのきよもり) 4.親鸞(しんらん)
【ヒント】
日本三筆のひとりで、「○○にも筆の誤り」といわれる人。
宮島検定は2009(平成21)年11月29日(日)実施です。
【正解】
1.空海(弘法大師)
【解説】
弥山という名は、山の形が須弥山(しゅみせん。仏教の世界観で中心にそびえる山)に似ているという説や、「御山」(おやま、みやま)と呼んでいたのが「弥山」となったという説などがある。
厳島神の起源は、弥山を主峰とするこの島自体に神霊が宿るとした、原始山岳信仰に由来するといわれる。
「宮島の真価は弥山の頂上からの眺めにあり」(伊藤博文)
弥山山頂からは、360度の大パノラマが広がっていて、瀬戸内海の島々や対岸の廿日市市、広島市まで見渡すことができる。
弥山山頂までは、紅葉谷駅からロープウエイに乗るか、麓(ふもと)から登山道で登る。
ロープウエイは、循環式と交走式の2種類の方式で運行しているので、途中の榧谷(かやたに)駅で乗り換えて獅子岩谷駅に着く。
そこから徒歩約30分で山頂を目指す。
このロープウエイからは、島の林相や広島湾に浮かぶ島々が一望できる。
2009年5月で開業50周年。
登山道は、以下の4つのコースがある。
○紅葉谷(もみじだに)コース
○大聖院(だいしょういん)コース
○大元(おおもと)コース
○奥の院コース
以下、弥山の諸堂を紹介する。
大聖院、大元、奥の院の3つの登山道の合流点にあったのが仁王門。
1991(平成3)年に台風19号で倒壊し、その後再建したが、2004(平成16)年の台風18号で再び倒壊した。
現在は仁王門の跡だけが残されている。
江戸時代、未の刻(みのこく。午前2時)以降の仁王門から上へは登ってはいけないとされた。
そこから歩いていくと、弥山本堂に着く。
本堂裏にある求聞持堂(ぐもんじどう)は806(大同元)年、弘法大師が求聞持修法(虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に100日間100万遍の真言を唱える修法)を行った。
弘法大師が求聞持法の修行をしたという阿波の大龍嶽(たいりゅうだけ)、土佐の室戸崎と並んで、真言密教の日本三大道場のひとつとされる。
弥山の鐘楼(しょうろう)には、平宗盛(たいらのむねもり。平清盛の三男)が寄進したといわれる大梵鐘(ぼんしょう)が釣られていた。
これは現在、本堂に安置されている。
本堂の側には錫杖の梅(しゃくじょうのうめ)があり、裏側を下ったところに曼荼羅岩(まんだらいわ)がある。
本堂のすぐ前に、不消霊火堂(きえずのれいかどう)がある。
堂内には大きな釜がつるされ、弘法大師開山以来、1200年消えたことがないと伝えられる火が今も燃え続け、この火で沸かした霊水は万病に効くと言われる。
1901(明治34)年に操業を始めた八幡製鉄所の溶鉱炉の種火や、広島市の平和記念公園の「平和の灯」の元火にもなった。
また、こんなところでも役に立っている。
宮島の霊火堂、恋人の聖地に 中国新聞
米テロ犠牲者よ安らかに 宮島で万燈会 中国新聞
霊火堂の右側の石段の上にあるのが三鬼堂(さんきどう)。
もともと三鬼堂だったものが明治初期に御山神社(みやまじんじゃ)となったので、ここに新たにお堂を建てて三鬼堂とした。
御山神社は、霊火堂から仁王門方面へ下がる途中にあり、平清盛が厳島神社本社を建てたときに奥の宮として建てたものといわれる。
そのため、祀られている神も厳島神社と同じ。
ここも1991(平成3)年に台風19号で全壊したが再建された。
三鬼堂の先に観音堂と文殊堂(もんじゅどう)がある。
観音堂は安産の、文殊堂は学業成就の神として信仰されている。
さらに登っていくと、弥山山頂に着く。
山頂には茶屋があり、その上には展望台もある。
逆の方向から下りていくと干満岩(かんまんいわ)があり、大日堂(だいにちどう)がある。
これは1376(永和2)年に建立された弥山御堂神護寺(じんごじ)と考えられ、1599(慶長4)年、毛利輝元によって再建された。
弥山の七不思議というのがあるので、以下に紹介する。
錫杖の梅(しゃくじょうのうめ)
本堂のすぐ西の脇にある八重咲きの紅梅。
弘法大師が弥山に登ったときに使った杖(つえ)が根をはり、梅の木になったという。
弥山に不吉な兆しが起きる年は咲かないともいわれる。
不消の火(きえずのひ)
弘法大師の開山以来、今日まで途絶えることなく燃え続けているという霊火。
曼荼羅岩(まんだらいわ)
弥山本堂の南側の下方にある巨大な岩。
「三世諸仏天照大神宮正八幡三所三千七百余神…」という文字や梵字が刻まれ、弘法大師の筆と伝えられる。
現在は立入禁止。
干満岩(かんまんいわ)
弥山山頂から大日堂に向かって下りる西側の道を少し下ったところにある巨岩。
側面にあいた直径10cm程の穴に溜まった水が潮の満ち引きに合わせ上下するといわれる。
時雨桜(しぐれざくら)
晴天の日でも時雨のように露が落ち、地面は通り雨が過ぎ去ったように濡れる不思議な桜。
江戸時代の『厳島図会』に記されているといわれるが、現在は伐採され、切り株だけが残っている。
龍燈の杉(りゅうとうのすぎ)
旧正月の夜の海に現れる謎の灯りを龍燈といい、この杉が生えているところから最もよく見えるたという。
今は枯れ、陰陽岩付近に根株らしきものが残っている。
拍子木の音(ひょうしぎのおと)
未明の丑刻(うしのこく。午前2時ごろ)を過ぎると、弥山山頂や厳島神社の裏山から拍子木の音が聞こえる。
弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に5,000以上あるといわれる。
今日は弥山について勉強させてもらいました。
以前、弥山に登ったときは、不勉強で不消霊火堂くらいしか見てなかった。
今度は、いろいろ見て回ろうと思うとります。
今日も勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。
【問題】
弥山を開基したと伝えらるのは誰でしょう?
1.空海(くうかい) 2.最澄(さいちょう) 3.平清盛(たいらのきよもり) 4.親鸞(しんらん)
【ヒント】
日本三筆のひとりで、「○○にも筆の誤り」といわれる人。
宮島検定は2009(平成21)年11月29日(日)実施です。
【正解】
1.空海(弘法大師)
【解説】
弥山という名は、山の形が須弥山(しゅみせん。仏教の世界観で中心にそびえる山)に似ているという説や、「御山」(おやま、みやま)と呼んでいたのが「弥山」となったという説などがある。
厳島神の起源は、弥山を主峰とするこの島自体に神霊が宿るとした、原始山岳信仰に由来するといわれる。
「宮島の真価は弥山の頂上からの眺めにあり」(伊藤博文)
弥山山頂からは、360度の大パノラマが広がっていて、瀬戸内海の島々や対岸の廿日市市、広島市まで見渡すことができる。
弥山山頂までは、紅葉谷駅からロープウエイに乗るか、麓(ふもと)から登山道で登る。
ロープウエイは、循環式と交走式の2種類の方式で運行しているので、途中の榧谷(かやたに)駅で乗り換えて獅子岩谷駅に着く。
そこから徒歩約30分で山頂を目指す。
このロープウエイからは、島の林相や広島湾に浮かぶ島々が一望できる。
2009年5月で開業50周年。
登山道は、以下の4つのコースがある。
○紅葉谷(もみじだに)コース
○大聖院(だいしょういん)コース
○大元(おおもと)コース
○奥の院コース
以下、弥山の諸堂を紹介する。
大聖院、大元、奥の院の3つの登山道の合流点にあったのが仁王門。
1991(平成3)年に台風19号で倒壊し、その後再建したが、2004(平成16)年の台風18号で再び倒壊した。
現在は仁王門の跡だけが残されている。
江戸時代、未の刻(みのこく。午前2時)以降の仁王門から上へは登ってはいけないとされた。
そこから歩いていくと、弥山本堂に着く。
本堂裏にある求聞持堂(ぐもんじどう)は806(大同元)年、弘法大師が求聞持修法(虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に100日間100万遍の真言を唱える修法)を行った。
弘法大師が求聞持法の修行をしたという阿波の大龍嶽(たいりゅうだけ)、土佐の室戸崎と並んで、真言密教の日本三大道場のひとつとされる。
弥山の鐘楼(しょうろう)には、平宗盛(たいらのむねもり。平清盛の三男)が寄進したといわれる大梵鐘(ぼんしょう)が釣られていた。
これは現在、本堂に安置されている。
本堂の側には錫杖の梅(しゃくじょうのうめ)があり、裏側を下ったところに曼荼羅岩(まんだらいわ)がある。
本堂のすぐ前に、不消霊火堂(きえずのれいかどう)がある。
堂内には大きな釜がつるされ、弘法大師開山以来、1200年消えたことがないと伝えられる火が今も燃え続け、この火で沸かした霊水は万病に効くと言われる。
1901(明治34)年に操業を始めた八幡製鉄所の溶鉱炉の種火や、広島市の平和記念公園の「平和の灯」の元火にもなった。
また、こんなところでも役に立っている。
宮島の霊火堂、恋人の聖地に 中国新聞
米テロ犠牲者よ安らかに 宮島で万燈会 中国新聞
霊火堂の右側の石段の上にあるのが三鬼堂(さんきどう)。
もともと三鬼堂だったものが明治初期に御山神社(みやまじんじゃ)となったので、ここに新たにお堂を建てて三鬼堂とした。
御山神社は、霊火堂から仁王門方面へ下がる途中にあり、平清盛が厳島神社本社を建てたときに奥の宮として建てたものといわれる。
そのため、祀られている神も厳島神社と同じ。
ここも1991(平成3)年に台風19号で全壊したが再建された。
三鬼堂の先に観音堂と文殊堂(もんじゅどう)がある。
観音堂は安産の、文殊堂は学業成就の神として信仰されている。
さらに登っていくと、弥山山頂に着く。
山頂には茶屋があり、その上には展望台もある。
逆の方向から下りていくと干満岩(かんまんいわ)があり、大日堂(だいにちどう)がある。
これは1376(永和2)年に建立された弥山御堂神護寺(じんごじ)と考えられ、1599(慶長4)年、毛利輝元によって再建された。
弥山の七不思議というのがあるので、以下に紹介する。
錫杖の梅(しゃくじょうのうめ)
本堂のすぐ西の脇にある八重咲きの紅梅。
弘法大師が弥山に登ったときに使った杖(つえ)が根をはり、梅の木になったという。
弥山に不吉な兆しが起きる年は咲かないともいわれる。
不消の火(きえずのひ)
弘法大師の開山以来、今日まで途絶えることなく燃え続けているという霊火。
曼荼羅岩(まんだらいわ)
弥山本堂の南側の下方にある巨大な岩。
「三世諸仏天照大神宮正八幡三所三千七百余神…」という文字や梵字が刻まれ、弘法大師の筆と伝えられる。
現在は立入禁止。
干満岩(かんまんいわ)
弥山山頂から大日堂に向かって下りる西側の道を少し下ったところにある巨岩。
側面にあいた直径10cm程の穴に溜まった水が潮の満ち引きに合わせ上下するといわれる。
時雨桜(しぐれざくら)
晴天の日でも時雨のように露が落ち、地面は通り雨が過ぎ去ったように濡れる不思議な桜。
江戸時代の『厳島図会』に記されているといわれるが、現在は伐採され、切り株だけが残っている。
龍燈の杉(りゅうとうのすぎ)
旧正月の夜の海に現れる謎の灯りを龍燈といい、この杉が生えているところから最もよく見えるたという。
今は枯れ、陰陽岩付近に根株らしきものが残っている。
拍子木の音(ひょうしぎのおと)
未明の丑刻(うしのこく。午前2時ごろ)を過ぎると、弥山山頂や厳島神社の裏山から拍子木の音が聞こえる。
弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に5,000以上あるといわれる。
今日は弥山について勉強させてもらいました。
以前、弥山に登ったときは、不勉強で不消霊火堂くらいしか見てなかった。
今度は、いろいろ見て回ろうと思うとります。
今日も勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。
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