通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

弘住神社から教蓮寺まで ぶらり中郡道(その5)

2015年05月18日 | 見て歩き
中郡道

ビーダマン

長谷山教蓮寺





戦国時代末期、毛利輝元は天正17年(1589)広島城築城にあたり、吉田郡山城から広島まで、人の往来や資材の運搬に適した平坦で最短距離の路を在地領主に命じて普請しました。

この路が中郡道(なかごおりどう)です。

(『中郡古道散策地図』より)








前回は、弘住神社(こうすみじんじゃ)を紹介したんじゃけど…」

「今回は、その弘住神社から口田南の街をちんたら歩いて、長谷山教蓮寺(ちょうこくざん きょうれんじ)までを紹介してみようかの」







「弘住神社の西側にはJR芸備線が走っとって、その上には県道37号 広島三次(みよし)線の高架が見えるんじゃ」

「よい子の皆さん! 踏切のないところで線路を渡ってはいけません!!」







「矢口川(やぐちがわ)水門が見える。ここから左に曲がって県道37号を渡り、山沿いの道を進む」













「このロボットは?」

「石材店の店頭に飾ってあった、ビーダマンというキャラクターじゃ」

「ビーダマン?」

「わしゃよう知らんけぇ、これ以上は聞かんでくれ」







「おぉ、ウルトラマン!」

「…に見えるが、まがい物じゃ」

「そういわれりゃ、なんとなく違うよね」







「…などと言いながらちんたら歩いていくと、教蓮寺に着く」







「入り口にある松の樹」







「同じく、入り口にある法照燈。これは「1908年(明治41年)3月建立」と刻んであったのう」







「中に入って、これが本堂」







「「長谷山」と書いて、「ちょうこくざん」と読ませるんじゃね」

「長谷山教蓮寺は、もとは戸坂(へさか)村の長谷山にあったのが、寛永18年(1641年)、今の場所に移転したそうじゃ」

「1641年いうたら…、今から374年前か」

「ほいで、もともとは真言宗のお寺じゃったのが、延徳3年(1491年)に浄土真宗に改宗したそうじゃ」

「1491年いうたら…、今から524年前。すごい歴史のあるお寺さんじゃね」







「浄土真宗じゃけぇ、親鸞聖人の像も飾ってあるよ」







「子どものころのしんらんさまも飾ってあったのう」







「お寺の隣にあった、水色の建物(画面中央)もええ味出しとった」





【参考HP】

「ふるさと口田(口田の神社・仏閣・お地蔵さん)」広島市立口田小学校





訪問日:2015年4月29日






「今日は、中郡道にある弘住神社から教蓮寺までを紹介させてもらいました」

次回は、新宮神社(しんぐうじんじゃ)を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする