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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

直にして温、寛にして栗。

2016-11-19 09:35:40 | ブログ
第2881号 28.11.19(土)
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帝曰く、「夔(き)、汝に樂を典(つかさど)り、冑子(ちうし)を教ふるを命ず。直にして温、寛にして栗、剛にして虐(そこな)ふ無く、簡にして傲(おご)る無かれ。『書経』
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 帝は夔に命じていった。「夔よ、汝に音楽を典り、若者に教えることを命ずる。人の徳は正直でしかも温和であり、寛弘(心ひろやか)でしかも荘栗(きびしい)であり、剛毅でしかも他人を虐げることがなく、大まかでしかも他人に傲ぶらないようでなければならぬ。
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 【コメント】この『書経』の言葉は堯典の終わりに出てくる言葉です。十数年前、荘内を訪問したとき、旅館で一次会、二次会が終り、三次会で小野寺先生と徹夜でお話したことがありました。
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 お話を承り乍ら、小野寺先生の人物像は『書経』が訓戒するこの言葉どおりだな、と感慨深くお話を承りました。身体を鍛え、学問を修め、何処の誰にも引けをとらず、自信たっぷりであるからこそ、西郷先生同様、聖賢・英雄として年下の私共に下から下からお話が出来るのだな、と思ったものでした。
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 詩吟道の師匠・竹下一雄先生も小野寺先生同様でしたが、小野寺先生とは異なったように思われます。
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 鹿児島に帰ってから、各師範たちに、私から観察した小野寺先生の聖賢・英雄たる人物像を詳細にお話したのが昨日のように回想されます。そこに行くとパフォーマンスで『南洲翁遺訓』を学んでいると思える人々もいるやに聞いています。
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 時は移り今日では、荘内南洲会理事長・水野先生、常務理事・阿曾先生が、聖賢となり、私共を導いてくれているので衷心から感謝している次第です。
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 荘内と薩摩では遠い距離ですが、私は日本空手道少林流円心会道場建設以来、荘内の先生方が目の前にいるという気持ちで毎日を過ごし『南洲翁遺訓』を唱えています。
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 私の空手道教室に来る子供たちには、聖賢という人物の美しさを子供の次元でわかりやすく、何回も何回も説明しています。そういう聖賢・英雄伝を聞いた子供たちは、永い人生で道を誤ることはないと確信いたします。
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 今日、土曜日は優李さんの知り合いの方を2人程連れてくるとのことでした。思うに日本国再生のためには、『南洲翁遺訓』でなければならないと思っています。
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 『南洲翁遺訓』は西郷隆盛の人物像を人々に紹介して、国家日本が少しでもよくなるようにとの教えということですが、竹下先生は、それは違うのだよ、と何時も私にお話してくれたものでした。
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 これは西郷隆盛という人物を通じて、荘内の処世訓と荘内精神を教えているのですと、目に涙を浮べて話してくれたものでした。竹下先生は、荘内を12回訪問したとお聞きしたものです。
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 毎週木曜日に空手道教室を開いている北麓公民館(清渓学舎)は、昔から青年たちの学び舎であったのでした。その清渓学舎で17年間修行している田上さんの成長ぶりを、来年二月には荘内南洲会の先生方にご紹介したいと考えます。
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 田上青年は、入門当時、拳を握ることも、まともな会話もできなかったのでした。その方が17年経過した今日、見事な空手道演武を表現できるようになったのです。それは荘内精神を説いた『南洲翁遺訓』のお蔭だと感謝しています。

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『臥牛菅実秀』(第416回)
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 また重田鉄也の記録に、
    和田助弥(光観)氏は天下に志もあり、君公を世に立て申さんとの考えの深かりし人なり。赤沢源弥氏、菅先生に向い、   伯緝(和田の字)もついに餓死したというものでありますと申せし由、これ助弥氏の病死のときのことなり。これ鳥海氏、   側に居りて聞きたることなり。
という一節がある。

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   ※鳥海氏。良邦、通称銀次郎「南洲翁遺訓並翁と荘内藩」の著者、「臥牛先生遺教」にこの人の聞書   が収録されている。
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 和田光観が、この世を去ったのは、忠篤、忠宝が鶴岡に帰ってから二十年近く経った明治三十一年のことであるが、この記録の底に流れているものは、忠篤、忠宝の中央における活躍が閉ざされてしまったことと深い関連があるように思われてならない。
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