味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

悪を懲らして善を勧む。

2015-04-24 10:08:10 | ブログ
第2308号 27.04.24(金)
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悪を懲らして善を勧む。『左伝』
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 善は行うように奨励し、悪はこれを禁じ懲らす。「勧善懲悪」の出所。255
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 【コメント】書斎から見る空は日本晴れといいたい処ですが、黄砂の関係でしょうか少し霞んでいます。先ほど桜島が4000メートル上空まで噴煙を上げたと報道されました。
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 昨夜の空手道の御稽古も1部、2部大変真面目にお稽古してくださいました。配布したプリントは『論語』八、「君子は重からざれば---」でした。門下生にとにかく漢籍を学びましょうう、と呼びかけています。〈堯・舜を手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ〉とあるように。
 終盤に『論語』一~八までを復習しました。そして『南洲翁遺訓』の序文も。『南洲翁遺訓』の序文を読みながら、菅先生を中心とした先生方は本当に素晴らしい『南洲翁遺訓』を作成してくれたと感謝することしきりです。

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『大学味講』(第145回)
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 (四) ではどうすれば心を正しくすることが出来るか。これに対して大学の著者は「身(こころ)忿懥する所あれば、即ちその正しきを得ず。----」と、次の四つの事を挙げているのであります。
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 (1) 「忿懥する所あれば、即ちその正しきを得ず」と。これはたしかにこの通りで、何かに腹を立ててカッとなり、その怒りが心にこびついていると、何もかにも怒りをぶっつけるようになる。
 孔子も顔回を「怒りを遷さず」といって称(ほ)めているが、よそで誰かと争って怒ってくると、日頃は可愛いがっている猫がニャーンといって出迎えたのに対してまでも、「うるさいッ」といって足でけとばす。これは妻子に対しても同様である。「忿りの焔(ほのお)が身を焼く」というが、忿はたしかに焔の如く燃えさかると、どうにもならなくなるものであります。

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『論語』(第245)
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 郷人の飲酒に、杖者(じょうしゃ)出づれば斯に出づ。郷人の儺(だ)には朝服して阼階(そかい)に立つ。
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 村人の酒盛りのとき、老人が退出すれば孔子も随って退出する。先立つこともなく、後れることもない。村では年長者を尊ぶからである。村人が疫をはらう時は、孔子は朝廷へ出る時の服を着て、玄関に立ってこれを受ける。誠敬を致すためである。
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『農士道』(第124回) 
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 社会には文的態度の者と、質的態度の者とが存在する。而して一時代の生活が或る程度以上に分化発現するに至れば、造化の本質より遊離せる「浮文」の生活に堕する。社会の時勢が已に其処に至ると、遂に其の社会的均衡を破り、やがてその反動として「瀆武」的勢力の跋扈するを常とし、世は不安動揺を生じ来たりて、所謂世紀末的世態を現出するに至る。此の対立的状態の暫く続いた後、新しき「質」の努力によりて改新せられて世は再び新なる「質」に帰り、而して其の「質」より「文」に向って新しき分化進展をなして行くものである。
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百人一首
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ながらへば またこの頃や しのばれむ
 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 【藤原清輔朝臣】84