味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

宗子は維れ城。

2015-04-02 09:54:33 | ブログ
第2287号 27.04.02(木)
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宗子は維れ城。『詩経』 
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 国王が徳を懐いてその位にあれば国家は安泰であり、その国王の総領も一国の城のように安泰だ。186
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 【コメント】日本の陛下は国王ではありませんが、一般の我々が知る限りでの立ち居振る舞いは、「徳を懐いて」いるように思われます。
 あるご婦人が皇后さまのお姿をテレビで拝見し、品格・気品が素晴らしいと絶賛されました。それぞれの国に、その国を代表する方々がおられますが、日本の皇室ほど素晴らしい存在はないのではないでしょうか。

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『大学味講』(第124回)
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 第八節   止 ま る 所 
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 木でも草でも、その所に定着してそこはじめて生長するものであるように、人間も「止まる」ことがなければ、本当の生活も、生長もなく、随って安心立命はありません。このことについて大学では次のように述べておのます。
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 詩に云く、邦畿千里、惟れ民の止まる所と。詩に云く、緍蛮たる黄鳥も丘隅に止まると。子曰く、止まるに於て、其の止まる所を知る。人を以てして鳥に如かざるべけんやと。
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 邦畿千里=中国の古代の制度で、天子の都のある所の千里四方を「畿」といって、最もよく治まっている所である。それにならってわが国でも、京都の近くの地域を「近畿」といったのである。
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『論語』(第224)
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 子曰はく、之に語げて惰(おこた)らざる者は、其れ回なるか。
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 孔子が言うには、道を告げれば、心に悟り力め行って怠ることのない者はただ顔回だけであろう.
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『農士道』(第104回)
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 かくの如く農村の生活は其の衣食住すべてを通じて、単に物の体裁の美醜や、調度の便否といふ點に於ては都会の生活に遠く及ばないであろうけれども、其の一つ一つには皆「心」が籠ってゐる、-----従って同じ物でも其れに意義があり、趣があり、感激があるという點に於いて別個の生活価値が存するものである。
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 それを従来農村生活に於いてかかる點に気付かず唯物の世界に於て物の標準によって都市生活のそれと比較し、徒に商工都市物件の羅列を以て農村文化の向上と即断し、安価なるコンクリート模造建築と、殺風景な十銭食堂的共同炊事場の設置と、而して都会の葬儀屋に依頼してやる葬式の如き簡易化とを以て農村生活の改善と狂喜するようなことは、實に農村生活に此の尊き精神的要素の存在することを忘れたものではあるまいか。

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百人一首
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今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
 人づてならで いふよしもがな 【左京太夫道雅】63