第2291号 27.04.06(月)
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択言の躬に在ることある罔し。『礼記』
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君子は常に敬い慎んでいて、不適当なことはいわないように気をつける。284
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【コメント】大変良い言葉だと思います。かくありたいものです。
只今、午後三時半です。枕崎までお墓詣りに行ってきました。どしゃぶりでした。
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『大学味講』(第128回)
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(六) このことに関して、最後に取り上げたいことは、日本国民が戦争によって失った数々の中で、最大なるものは、国民生活の基準としての「止まるべき至善を喪失した」ことであります。戦前には教育勅語を始め、風俗なり、習慣なり、生活の基準になるものがあって、国民道徳の規範(至善)として、それに止まっていたのですが、戦後はそれを失い、ただ各人が勝手放題に自分の欲する所を主張し、要求し合うことを以て民主主義である、とするようになってきたのですが、これは敗戦による損害の中の最大の損害ではないでしょうか。孔子の言を以てこれを評せば「人を以てして鳥に如かざるべけんや」となるでありましょう。
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ここのくだりを書いて溜飲がさがりました。私は『教育勅語』を明治神宮から100冊購入し、関係者に贈呈したことがあります。20年前のことです。国民が、国を愛し、人々を愛し、仕事を愛し、外国の人々と仲良くすることが、何が悪いのでしょう。
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『論語』(第228)
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子曰はく、法語の言は能く従うことなからんや。之を改むるを貴しと為す。巽与(そんよ)の言は能く説ぶことなからんや。之を繹ぬるを貴しと為す。説んで驛ねず、従って改めずんば、吾之を如何ともすることなきのみ。
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孔子が言うには、真正面からの忠告は、イヤといえぬから、ハイとはいうだろうが、ハイと言っただけではだめで、其忠告をいれて過ちを改めるのが貴いのである。遠回しの忠告は、耳あたりがよいから、喜ぶではあろうが、其の意の在る処をくみ取るのが、尊いのである。ハイと言っただけで改めず、喜んだだけで意味がわからないというようなことでは、わしも何とも手のつけようがない。
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『農士道』(第108回)
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而してその事は一歩を進めて農村経営に於いても然りである。中庸にも「文武の政は布きて方策に在り、其人存すれば則ち其政挙がり、其人亡ければ則ち其政息む、」といって居るが、是実に人を本とせる東洋的な徳治政治の原則を明示したものである。
農村生活は本の生活である。かるが故に農村に於いては、制度組織よりもその中心になる人物を重んぜねばならぬ。早い話が優良農村というものを観ても、必ず中心人物がある。故に農村を振興させるものは極限すれば、農会でもない、役場でもない、学校でもない。唯だ生きた人物である。其の生きた人物が産業組合長になって居る村では、産業組合中心の経営が行われて居る。
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百人一首
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春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 【周防内侍】67
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択言の躬に在ることある罔し。『礼記』
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君子は常に敬い慎んでいて、不適当なことはいわないように気をつける。284
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【コメント】大変良い言葉だと思います。かくありたいものです。
只今、午後三時半です。枕崎までお墓詣りに行ってきました。どしゃぶりでした。
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『大学味講』(第128回)
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(六) このことに関して、最後に取り上げたいことは、日本国民が戦争によって失った数々の中で、最大なるものは、国民生活の基準としての「止まるべき至善を喪失した」ことであります。戦前には教育勅語を始め、風俗なり、習慣なり、生活の基準になるものがあって、国民道徳の規範(至善)として、それに止まっていたのですが、戦後はそれを失い、ただ各人が勝手放題に自分の欲する所を主張し、要求し合うことを以て民主主義である、とするようになってきたのですが、これは敗戦による損害の中の最大の損害ではないでしょうか。孔子の言を以てこれを評せば「人を以てして鳥に如かざるべけんや」となるでありましょう。
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ここのくだりを書いて溜飲がさがりました。私は『教育勅語』を明治神宮から100冊購入し、関係者に贈呈したことがあります。20年前のことです。国民が、国を愛し、人々を愛し、仕事を愛し、外国の人々と仲良くすることが、何が悪いのでしょう。
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『論語』(第228)
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子曰はく、法語の言は能く従うことなからんや。之を改むるを貴しと為す。巽与(そんよ)の言は能く説ぶことなからんや。之を繹ぬるを貴しと為す。説んで驛ねず、従って改めずんば、吾之を如何ともすることなきのみ。
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孔子が言うには、真正面からの忠告は、イヤといえぬから、ハイとはいうだろうが、ハイと言っただけではだめで、其忠告をいれて過ちを改めるのが貴いのである。遠回しの忠告は、耳あたりがよいから、喜ぶではあろうが、其の意の在る処をくみ取るのが、尊いのである。ハイと言っただけで改めず、喜んだだけで意味がわからないというようなことでは、わしも何とも手のつけようがない。
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『農士道』(第108回)
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而してその事は一歩を進めて農村経営に於いても然りである。中庸にも「文武の政は布きて方策に在り、其人存すれば則ち其政挙がり、其人亡ければ則ち其政息む、」といって居るが、是実に人を本とせる東洋的な徳治政治の原則を明示したものである。
農村生活は本の生活である。かるが故に農村に於いては、制度組織よりもその中心になる人物を重んぜねばならぬ。早い話が優良農村というものを観ても、必ず中心人物がある。故に農村を振興させるものは極限すれば、農会でもない、役場でもない、学校でもない。唯だ生きた人物である。其の生きた人物が産業組合長になって居る村では、産業組合中心の経営が行われて居る。
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百人一首
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春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 【周防内侍】67