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2024 2/3の拝観報告(京まちや平安宮 第34期同志社女子大学主催町家講座)

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写真は、1階の広間。

お誕生日の土曜日ですw
この日は昼前に僕の誕生日を予約したから受け取りに行ってくれと妻に言われ外出w
お昼は泉仙の仕出しでお祝いでしたが、長男は学校、次男は部活でいないというw
まあええわw

妻と仕出しを戴いて、13:00過ぎに1人で徒歩で出かけました。
13:30にやって来たのが、山中油店の前にある京まちや平安宮。
山中油店が所有されている町屋です。
この日は事前予約した同志社女子大学主催町家講座が14:00からありました。
現地での聴講は10名でしたが、ZOOMで参加されている方も多そうでした。

今回は「古都・鎌倉における人と自然のかかわり」でした。
鎌倉の地形や環境を歴史を遡って追いかける感じのお話。
面白かったのは、1つ目が大昔鎌倉は縄文海進で今の鶴岡八幡宮やその東側、そして南西部の砂丘部分以外は海面下だったこと。

2つ目は山は昔は松林だったのが二次遷移で照葉壽林に変わってしまったこと。
つまり松は日光が入らないと成長しないのですが、昔はみんなが薪を切りに来ていたので「いい感じで日が差して松が育って」いた。
しかし薪を取りに来なくなった結果、地面まで火が差さなくなったので松が成長しなくなり、日差し長くても育つカシやシイに変わてしまったということ(これは京都の東山も同じ)。
3つ目は関東大震災の際にも地震発生から約20分後に6~7mの津波がきたこと。
4つ目は過去の鎌倉の地震の記録を紐解くと、約200年に大地震の記録がある。しかし1300年辺りの次が江戸時代の1700年と400年空いている。
そしてどうやらこの間の1500年あたりにも大きな地震があったのではないか、またその際に鎌倉大仏の大仏殿が津波で流されたんじゃないかというお話。
それを参照すると昨年が関東大震災から100年なんで、あと100年後辺りが要注意なのかもしれませんが、我々はカンケーなさそうですねw

町屋の中は1階しか拝見出来ませんでしたが、お話が十分興味深かったです。

16時頃にこちらを出て、帰宅しました。

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山﨑家住宅(旧井上家)

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写真は、外観。

山﨑家(旧井上家)は嵯峨野の大覚寺の西側にある江戸中期の庄屋住宅で、京都市の指定登録文化財です。

アクセス
大覚寺の門前に向かって左手に進みます。
まっすぐに約220m進むと左手が畑になります。
この右手の大きな茅葺の建物が山﨑家住宅(旧井上家)です。

通常は非公開ですが、2023/3/15 NHKカルチャーでの「おくどさん ~かまど文化からみる京都のくらし~で、内部にお邪魔しました。

表門を入ると正面に茅葺の主屋があります。
主屋は正面が台所で、左側が家屋部分です。
また右手には米蔵があり、左手には家屋部分の前庭がありますが、ここも土塀で囲まれているので、大外の土塀と近い距離で二重の土塀があるのが特徴的です。
中の土塀を入ると主屋の家屋部分で、その左手には西蔵があります。
外観や内部はきれいにされました。
また西蔵と主屋の間から裏手に回ると北蔵があり、こちらも内部をきれいにして宿泊出来るようになっているそうです。

さて主屋に入ります。
まず玄関間があり、その奥が台所の土間です。
土間には7つの焚口を持つおくどさんとその前に長者火があります。
現存する長者火は非常に珍しいです。
天井には明かり取りの窓がありますが、煙を逃すためではありません。
煙は屋根の茅に含ませることで、虫退治をしたり劣化を防止する作用があるので、敢えて屋根の茅に染み込ませるのだそうです。


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