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天橋立・舞鶴 電車でのアクセス

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画像は、路線を簡素化した図。

京都府北部の天橋立や舞鶴にレンタカーで行くのは遠いので、電車で行く場合のアクセスを紹介します。

天橋立に行く場合
・特急はしだて・まいづる利用
もっとも簡単なのはJRの特急はしだてに乗れば、乗り換えなしで行けます。
しかし天橋立駅は本来JRの駅ではなくローカル線の丹後鉄道の駅なので、特急はしだては乗り入れしています。
さらに特急はしだては特急まいづると前後で連結して特急はしだて・まいづるとして京都を出発。
途中の綾部駅で切り離し、前の特急はしだては直進して先の福知山駅から丹後鉄道に乗り入れ。
宮津駅でスイッチバックして天橋立駅に向かいます。
片や綾部駅で切り離した特急まいづるはスイッチバックして東舞鶴駅に向かいますが、5駅しかないです。

しかしこれで解決ではありません。
特急はしだて・まいづるは8:30頃発、10:30頃発、12:30頃発、14:30頃発・・・と2時間毎しかありません。
この間の時間に出発する場合は、特急きのさきを利用します。

・特急きのさき利用
しかし特急きのさきはそのままでは城崎温泉に行くので、福知山駅で丹後鉄道に乗り換える必要があります。
福知山駅の後方(京都側)の階段で、3階のホームから2階の丹後鉄道の乗り換え口に向かいます。
ここで乗車券と特急券(自由席でOK)を購入します。
この特急きのさきの時間に合わせて丹後鉄道が、たんごリレー特急を組んでくれています。
しかしここでも問題があり、乗り換えのチェックが人力なので結構時間がかかります。
その場でチケットを買う(特に指定席)の場合は、たんごリレー特急に間に合わないことも起きるそうです。
1番待ち時間なく行けるのは、京都のみどりの窓口で京都~天橋立の乗車券と特急きのさきの特急指定席およびたんごリレー特急の特急指定席券を買ってくことです(指定席券なら丹後鉄道のの特急券がみどりの窓口で購入できます)。

そして天橋立に行ってから舞鶴に行く場合は、丹後鉄道の宮舞線で40分ぐらいで行けます。

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日本基督教団 鴨東教会

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写真は、教会の外観。

日本基督教団 鴨東(おうとう)教会の礼拝堂は昭和9年に建てられており、設計には大倉三郎が関わっています。

アクセス
叡電の茶山・京都芸術大学駅の2番出口から踏切を渡って線路沿いに右に進みます。
約140mで最初の2車線の交差点を左折します。
そして約230m直進した左手に鴨東教会があります。

1922年に田中野神町に田中講義所が設置されたのが起源です。 
昭和9年に聖堂が建てられ、昭和10年に鴨東幼稚園が開園しています。
日曜日の礼拝は10:30からですが、それ以外はイベント時を除き幼稚園があるので一般の教会のように常には入れません。

表門を入ると正面に礼拝堂の建物があり、そのまま右手に園舎と連続しています。
なので門を入って右手は園庭が拡がっています。

外観はシンプルなモダニズムで、各所にあるアート小窓が底辺以外の2辺が外に凸に湾曲しています。

玄関から中に入ります。
右手に礼拝堂、右手前に2階への階段、右手奥の廊下は園舎へと続いています。
礼拝堂内部に入ると内陣の下がり壁は小窓と同じような2辺が外に凸に湾曲したアーチ状。
左手奥にはオルガン室になっています。
天井は白く台形状になっています。
振り返った入口上方の壁にはキリストのレリーフが飾られています。

階段で2階へ。
途中ターンする踊り場には正面に2つ、左右に1つずつのアート小窓が至近距離で観られます。
そして2階には手前に板の間の次の間、奥には8畳の床の間、床脇がある本間があります。
礼拝堂の建物の2階は和室なんですね。

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丹波教会 園部聖堂

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写真は、聖堂の外観。

丹波教会 園部聖堂は南丹市園部にあるカトリック教会で、戦後ウィリアム・二ーリーが京都府下に建てた4つ目の教会です。

アクセス
自動車
京都縦貫道の園部ICで降りて、府道19号線へ右折します。
約1km先の最初の大きな交差点を左折します。
さらに約1km先の高架に上がっていく手前の交差点を右折します。
直進し橋を渡り、妙光寺の突き当りを左折。
右折したすぐ先の左手に教会の駐車場があります。

電車
JR園部駅の西口から出て、前の大きな道を右折します。
約500m進み高架をくぐり、橋を渡る前の左折路へ入ります。
約300m先の右手にカトリック教会の石碑があるので、そこを右折します。
この道の突き当りに教会があります。

敷地内は芝生の庭園で、左手に伝道館(昭和25年築)、その右に司祭館(昭和26年築)、左手奥に聖堂(昭和28年築)があります。
ウィリアム・二ーリーが高野、西陣、伏見に続き京都府下に造った4つ目の教会です(5つ目は山科)。

聖堂のファサード(正面)は3連の半円アーチと大きな窓があり、側壁はスタッコ仕上げ。
屋根ははじめスペイン瓦でしたが、昭和48年にカラーべストに変更しています。
こちらの次に造られた山科教会と酷似しています。
聖堂の左手奥に鐘楼があります。

内部に入りますが、ミサなどのイベント時でないと通常は施錠されています。
屋根は台形状で内部は柱が2列でラチス状に組まれている新興木構造だそうです。
これも山科教会と同じです。
内陣正面にモザイクの壁画があり、昭和40年頃に造られたそうです。

かつては第3週と第4週の日曜日にミサをされていましたが、2024年の4月以降は閉鎖が決まりました。
今後の保存や管理については検討中とのことでした。

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カトリック高野教会

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写真は、教会の外観。

カトリック高野教会の司祭館は昭和15年に、聖堂と伝道館はウィリアム・ニーリーの設計で昭和23年に建設されました。

アクセス
大まかには東大路通と北大路通の交差点が高野で、この西側の北小路通沿いにあります。
市バスでは高木町が最寄で、バス停の約80m東の南側にあります。

北大路通沿いの表門を入ると、正面奥に司祭館。
右手前に聖堂、右手の奥に平屋の伝道館があります。

司祭館と伝道館は腰にタイルを貼り外壁をスタッコ仕上げのスパニッシュ風の建物です。

聖堂の外観は木造、外壁をスタッコ仕上げでスペイン瓦で屋根を葺いたスパニッシュ風。
北西側には尖塔状の鐘楼がありロマネスク風。
東側のファサードはエントランスにドリス式オーダーの円柱を2本立て、左右対称です。

聖堂内部は通常から17:00までは開いています。
広い空間に会衆席、奥に内陣(祭壇)が配されています。
逆に入口側の2階は本来は楽廊(楽奏席)でしたが、今は畳を敷き母子礼拝室になっているそうです。
天井はトラス構造がむき出しで、頬杖部分に装飾が施されています。
左右の窓にはクロスの配色をしたステンドグラスが入っています。

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日下部大助家住宅

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写真は、周山街道からの外観。

日下部大助家(くさかべだいすけけじゅうたく)は小野郷の庄屋の邸宅です。
主屋や蔵は明治、新座敷は大正時代のもので京都市登録有形文化財です。

アクセス
仁和寺の前を通過しきぬかけの道を西へ進み、福王子の交差点を右折して周山街道(国道162号線)を北上します。
神護寺、高山寺の前を通過し、さらに北上します。
福王子から約15㎞、岩戸落葉神社への分岐の少し先の左手に日下部大助家があります。
奥の茅葺の家が式部家です。
JRバスなら周山行きにて小野上ノ町で下車し、少し戻るとあります。

通常公開はしておられませんが、2024/5/18 まいまい京都の「建築史家と小野郷お屋敷めぐり!通常非公開・2つの1大邸宅を拝見 」で内部を拝見しました。

周山街道沿いに表門があり、中央に主屋、左手前に米蔵、左奥に二十四畳蔵、右手前に旧六畳蔵、右奥に中蔵があります。
表門を入ると前庭があり、右手前に主屋の座敷棟の式台、正面に主屋の居住棟、左奥に前述の二十四畳蔵、左手前に米蔵があります。
主屋は手前に座敷棟、奥に居住棟が雁行状にあり、その間を玄関棟がつないでいます。

主屋にはまず左手の居住棟から入ります。
手前は土間で板の間の上のおくどさんが5基あります。
さらに奥が12.5畳のだいどこで、居住部のリビングです。
天井はトラス構造の梁がむき出しです。
だいどこの右手に進むと玄関棟です。
4畳の内玄関、左手(奥側)に6畳の次の間があります。
さらにまっすぐ進むと、座敷棟の6畳の本玄関。
左手(奥側)に8畳の応接間、8畳の中の間、10畳の旧奥と3間並んでいます。
各部屋の釘隠しは扇や文様名をすべて違いますし、各欄間も幾何学的に細かな細工がされていました。
旧奥には左から床脇、床の間と付書院があり、襖、天袋や地袋には源氏物語の扇面が貼られていました。

この3間の左手には庭園があります。
元は池に水があったようですが、今は苔むした石組みが残っています。

座敷棟の左手奥に連続して、大正時代に新座敷が増築されました。
新座敷は3間で、中央は10畳、最奥は4畳半の仏間です(手前の次の間は非公開)。
10畳間には琵琶棚、床の間や付書院がありますが、旧奥のよりはくだけた感じ。
琵琶棚の地板は樟の1枚板で、金閣寺の天井板を取った木のものだそうです。
仏間は茶室の様な数寄屋。
化粧屋根と竿縁天井で、吹き寄せも見られます。
床の間と床脇の地板は連続した1枚板で、床柱は瘤が多い銘木を使っています。

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日下部式部家住宅

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写真は、主屋の外観。

日下部式部家住宅(くさかべしきぶけじゅうたく)は朝廷の供御人の住宅です。
江戸時代のもので、京都市指定有形文化財です。

アクセス
仁和寺の前を通過しきぬかけの道を西へ進み、福王子の交差点を右折して周山街道(国道162号線)を北上します。
神護寺、高山寺の前を通過し、さらに北上します。
福王子から約15㎞、岩戸落葉神社への分岐の少し先の左手に日下部式部家があります。
手前の蔵が複数ある大きな家が大助家です。
JRバスなら周山行きにて小野上ノ町で下車し、少し戻るとあります。

通常公開はしておられませんが、2024/5/18 まいまい京都の「建築史家と小野郷お屋敷めぐり!通常非公開・2つの1大邸宅を拝見」で内部を拝見しました。

周山街道から石段を上がり表門をくぐると、正面が茅葺の主屋の右側面になります。
左手に進み、表側にまわります。
現在の周山街道は明治後期に付け替えられており、元は南側を走っていました。
よってこの主屋は今の周山街道には背面を向けていますが、当時は街道側に向いていました。
主屋の前には前庭があり、右手に土間の玄関、その左に式台の玄関、左手は上の座敷になります。
土間の玄関を入ると大まかに左手に田の字型に部屋があります。
向って右手前が囲炉裏のある板の間、右手奥が6畳+4畳のなんど(プライベートスペース)、左手前は下の間、左手奥が上の間です。

土間の奥には一段高い板の間に5基のおくどさんがあり、突き当りには斜めの杉板の流しがあります。
また土間と板の間の上には注連縄で結界を張れるように、四隅と中点に穴の開いた木が設えてあります。

下の間は式台を入ったところで、四方の長押に槍掛 があります。
上の間には付書院がありますが、明かり取りのため障子と唐草模様の欄間があります。
付書院の右手の襖を開けると、饗応用に丸炉(がんろ)が設けられています。

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雲ヶ畑 高雲寺・惟喬神社

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写真は、大般若会の高雲寺 本堂。

鴨川源流の雲ヶ畑に文徳天皇の第1皇子惟喬(これたか)親王が皇位を継げず隠棲していました。
その地に親王ゆかりの高雲寺と惟喬神社があります。
 
アクセス
上賀茂神社の前の道をひたすら北上します。
府道61号線を北上すると、途中で“貴船”と書いた大きめの右の道と、細い正面の道に分かれますが、迷わず細い正面の道に進みます。
このあたりから対面通行1車線です。
途中で集落があります。
上賀茂神社前から約10㎞の北区役所 雲ケ畑出張所の前の階段の上に高雲寺があります。
階段を右クランクで登った突き当り右手に本堂があります。

さらに府道61号線を直進し将越橋は渡らずに直進します。
やがて途中の道でも案内が数回見える“洛雲荘”という川床料理屋が現れます
この左手に道があるのでここに入ります。
入ってすぐ右手に惟喬神社があります。

惟喬親王は文徳天皇の第1皇子でしたが、母が紀氏でした。
第4皇子の惟仁親王は母が藤原氏だったため、清和天皇になりました。

高雲寺
臨済宗寺院で惟高親王が閑居した高雲の宮址と伝えられ、落飾後高雲寺にしたと云われています。
通常本堂は閉まっています。
大般若会
1/11と6/11の14:00から大般若経(惟高般若(これたかはんにゃ))六百巻を転読する法要があります。
本堂に入ると手前に6畳の礼の間、左手奥に庫裏、6畳間の奥に8畳の室中の間、さらに奥に6畳の檀那の間があります。
礼の間の棚に鎌倉時代の大般若経が保管されており、室中の間左の内陣には本尊の薬師如来像と日光月光像、右手には惟喬親王の位牌がお祀りされています。
6畳の檀那の間の左の脇壇には左から釈迦如来像、阿弥陀如来像(山越如来像)、近隣の廃寺になった浄土宗寺院から来た法然上人像と善導大師像に板仏がお祀りされています。
法要は礼の間に女性が、檀那の間に男性が座り、大般若経が10巻ずつ入った木箱が2つずつ前に置かれています。

14:05からお参りが始まり、14:15から合図で20巻分を転読、14:25からお焼香が回ってきて、14:45頃にお参りは終わります。

祭神は惟喬親王です。
惟喬親王の徳を永遠に奉祀するために臣下や村人たちが創建したといわれています。
拾遺都名所図絵によると、親王が寵愛していた雌鳥がこの地で病死したためこの地に創建したそうです。

石段を登り鳥居をくぐると、手前に拝殿、さらに石段の上に本殿があります。

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2025 2/7の拝観報告2 最終(亀岡がんこ楽々荘 関西洋館ノスタルジー よみうりカルチャー)

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写真は、離れ 浮舟の広間。

京都府立鳥羽高等学校を出て、車で亀岡へ。
13:00頃にやって来たのが、亀岡がんこ楽々荘です。
午後からはよみうりカルチャーの関西洋館ノスタルジーでした。

現地の直で来たので、亀岡駅集合でやって来る本隊を待ちました。
参加費は食事付きなので7,600円。
参加者は20名ほどで、アマ会からはMZさん、hytさんとfrippertronicusさんが来ておられました。

13:30頃に到着し、まずはお食事。
食事は主屋の大広間でした。

        
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写真は、ツアーのランチ。

お食事後は館内見学。
洋館ノスタルジーなので、まずは洋館から。
この辺りは通常お食事に来ても拝見させてくれます。
今回は川島先生の解説付きですが。

そして主屋の和館も。
主屋の奥の部屋の床脇を今回しっかり拝見しましたが、一部が丸みを帯びたカーブ状になっており女性的。
奥様のお部屋だったのかな。

お庭にも出ますが、その際に今まで拝見したことがなかった離れを川島先生にリクエストしたら、その場の交渉で見せてくださいましたww
以前よりお庭から見ていたので、初めて内部を拝見できてよかったです。
これだけでも来た甲斐がありました。

15:00頃に終了し、この日は帰宅しました。

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2025 1/26のおやつ報告4 最終(茶寮 宝泉)

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写真は、手前側の座敷。

河道屋 養老を出て、車で東大路通→北大路通と進みます。
12:30頃にやって来たのが、茶寮 宝泉です。
別に平安神宮周辺なら車で行くこともなかったのですが、朝から車で出たのは最初からここが予定にあったからです。

お店は昼を過ぎたばかりなので、それほどお客さんは多くはなかったです。
手前の6畳間に通されました。

        
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写真は、大納言あずきぜんざい 1,250円。

昨年は4/6に来て、わらびもちを戴きました。
今回はおぜんざい。

老松と決定的に違うのはおぜんざいの汁。
老松のは小豆が溶け出してトロトロ(お汁粉状)でしたが、宝泉のは透明でほんのりと甘みが。
小豆もしっかり目の食感。
宝泉の方が上品で大人し目。
”和食”の雰囲気さえ漂う感じですね。
甘党の僕的には老松ですが、好みが分かれると思います。

でもお餅の加減はどちらも甲乙つけがたい美味しさでしたね。

こちらも十分満足しました。

13:00頃にこちらを出て車で帰宅。
千秋楽は土俵の進行がいつもより1時間ほど早いのですが、十分十両土俵入りには間に合いました。

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2025 1/13の拝観報告2 最終(丹波七福神めぐり 新春ハイキング 後編)

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写真は、東光寺の本堂(左)と前庭(右)。

丹波七福神めぐり 新春ハイキングの後編です。
まだ2つ目ですね。
愛宕神社を出て、さらに北へ。
森の中の道を歩きます。
すると七谷川に出てきます。
この橋を渡って再びの「けもの道」!
Google mapにない道ですw
すると3つ目の蔵宝寺、大黒天です。
こちらはお堂の開扉はなかったですが、御朱印は置いてありました。

そして府道25号線に出て11:45、千歳町公民館で持参のランチタイムです。
12:20には出発。
坂を上って4つ目の金光寺、弁財天です。
こちらもお堂の開扉はなし。

そしてこの先もけもの道でショートカット。
ポコッと開けた道に出てきて、坂を上って見晴らしのいい5つ目の耕雲寺、恵比須天です。
こちらは本堂が開扉され、御朱印もありました。

北上方向に坂を下りて、13:20に出雲大神宮へ。
丹波の一宮です。
ここで30分の休憩タイム。
13:50に出発し、6つ目の極楽寺、寿老人には14:15頃に到着しました。
御住職が在宅なら収蔵庫の重文 十一面観音立像を開扉して下さるのですが、生憎今年はご不在でした。

そして府道25号線から最後は右の山を登って、最後7つ目の東光寺、福禄寿でした。
こちらも本堂は開扉してありました。
14:4頃に終了。

2/3ぐらいの方は地元民なので、ここから徒歩で帰宅されました。
遠方組は最寄りの千代川駅に行くのに、小口バス停で15:21発のバスまで待ちました。
その前のバス、13:00発ってw

最終的に千代川駅15:59発のJRでこの日は帰宅しました。
もちろん帰りのバスの中からスマホで相撲中継観てましたwww 

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2025 1/13の拝観報告1(丹波七福神めぐり 新春ハイキング 前編)

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写真は、神応寺の本堂内陣。

3連休の最終日。
成人の日です。

この日も8:00過ぎに自宅を出て、地下鉄で二条駅へ。
二条駅の志津屋でカツサンドなどのランチを買って持参します。

JR嵯峨野線に乗り、9:00過ぎにやってきたのが亀岡駅です。
この日は亀岡市の丹波七福神めぐり 新春ハイキングがありました。
亀岡市内にある丹波七福神めぐりを亀岡のガイドの方々のツアーで歩きます。
予約不要で亀岡駅北口に9:30までに集合。
参加費は500円でした。

実は昨年のこの記事が翌日に京都新聞に載りました。
以前から丹波七福神めぐりに行きたかったのですが、1人では・・・というか、団体なら団体特典もあるだろうということで今回約1年間待って参加しましたw

参加者は45名にスタッフが10名ほど。
アマ会のざしきわらこさんもおられました。

9:30に体操をしてから(笑)出発。
最初の神応寺まで3.5kmあります。
一応正式ルートがあるそうで、しかもそれが舗装してない「けもの道」みたいなの通るんですよね。
マジでビビりましたw
最短距離ではあるみたいですが。
閉店したへき亭の前も通りました。

そして1つ目の神応寺は毘沙門天。
スタンプラリーもあるのでハンコを押します。
本堂裏には石仏庭園もあるのでそちらも。
そして本堂の扉が開いていました。
多分普段は開いていない感じでした。
これが僕のいう「団体特典」ですw

2つ目は近くて養仙寺で布袋尊。
こちらは単体で1度来ています。
前庭が広いからでしょうね。
こちらも本堂が開いていました。

そしてこの山の上が愛宕神社
ここで11:00頃。
本殿が重文。 
以前も来ましたが、その際は社務所が閉まっていました。
今回は開いていたので由緒書きを戴けました。
これも団体特典でしょうか。

長くなるので前編はここまで。
続きは明日に。

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2025 1/11の拝観報告3 最終(高雲寺 大般若会)

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写真は、本堂内陣。

13:20頃に石段を登ってやってきたのが、高雲寺です。
惟喬親王が隠棲した宮がここにあり、後にお寺になりました。
普段はお堂も雨戸が閉まっていますが、この日は本堂が開扉され大般若会が行われます。
地元の方に聞くと鎌倉時代の般若経が60巻あり、それを1/11と6/11に30巻ずつ転読するそうです。
転読しますが実質はお経が痛まないように空気を通すのが第1目的のようですw
13:00頃からお堂を開け始め、13:20頃にはお経も2巻(20冊)ずつ座布団の前に並んでいました。
内陣に向かって右手(奥側)が男性エリア、左手(手前側)が女性エリアと決まっています。
僕以外にも惟喬親王を調べているという女性も2人来ておられ、外部者は3名。
地元の方が続々と集まって来られると、「若い方も来られててうれしいね。転読やってちょうだいよ」と温かく迎えてくださいました。

法要の流れは和尚さんが登場され、
14:05~14:15頃までまずは読経を聞きながらお参り。
14:15~14:25 転読。90度くらいのいい距離感で開くと重力できれいにお経がめくれ落ちていきます。
5冊目ぐらいでコツをつかみましたw
14:25~14:35 お焼香。お焼香の箱を回して行います。
14:35~14:45 再度読経で終了。

この後は地元の集会が15時頃からあったので、その前に失礼しました。
しかし法要前も法要後もしばらく内陣、脇壇やお経をじっくり見せて説明までして下さいました。

あるかどうかの確証もない段階からのチャレンジでしたが、最高の形で終わりましたw
この日はこれで帰宅しました。

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2025 1/11の拝観報告2(惟喬神社・福蔵院・嚴島神社)

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写真は、惟喬神社の本殿と拝殿。


さて東本願寺周辺のコインパーキングから車で堀川通を北上します。
上賀茂神社の脇を抜けて、雲ヶ畑へ。
11:00頃に到着。
この日は恐らく1/11にあるであろう某法要に、確証はないもののきてみました。
地域のブログを見ると、昨年は1/11の木曜日に開催しておられました。
さらに検索すると2017年も1/11に開催。
日付が一致するのと、平日開催もあるので、もうこれは日付開催だろうと。

11:00頃、現地に行ってみると何の動きもなし。
んっ?
やらかしたか・・・
と思ったところ、地元の方が通りかかられました。
そして「今日って法要ありますか?」と伺うと、「2時からね」と。
あるにはあってよかった。
それに参加させて頂きたい旨をお話しすると「私はいいけど、総代さんに確認した方がいいね」ってことで、総代さん宅を教えてくださいました。
そして総代さんの許可取りもOKでした!

まだ3時間もあるので、まずは惟喬神社へ。
55代文徳天皇の第1皇子ですが母が紀氏だたっため、藤原氏外戚の第4皇子惟仁親王(清和天皇)に皇位が移りました。
そして隠棲したのがこの雲ヶ畑だったのです。

惟喬神社から車で戻ってくる途中に福蔵院や嚴島神社もあり駒札が立っていたので、その都度停まってお参りしました。

そして12:00頃に戻ってきました。
ここで事前にコンビニで購入してきたお昼を食べて(こうなることも予想していたので)、あとはスマホでYou tubeを観ていました(野球系と相撲系が多いです)w

13:20頃になって動きが出てきたので、いよいよお参りに向かいます。

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2024 12/29の拝観報告8 最終(亀岡 保津第5区会議所)

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写真は、旧亀山城内の新御殿を移築した会議所。

園部教会を出て、八木西ICへ。
次は亀岡ICで降ります。

サンガスタジアムを超えてさらに北西の住宅街へ。
14:30頃にやって来たのが、保津第5区会議所です。
こちらは外観のみです。

この会議所は旧亀山城の新御殿を移築したものです。
本来新御殿は5間あり、そのうちの3の間、4の間と5の間がこちらにあります。
ちなみに2の間と1の間亀岡の真福寺穴太寺のすぐ南)にあります。

たまにイベントで使われたりもするみたいなので、またチャンスを伺いたいですw

この日はこれで帰宅しています。

           
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写真は、奥京都の御朱印 10種類。

最後に帰宅してから奥京都の御朱印を全部並べてみました。
年内に揃えてスッキリしました。

京都市内在住でこの時期にコンプリートは早い方じゃないでしょうかw

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2024 12/29の拝観報告7(丹波教会 園部聖堂)

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写真は、聖堂内部。

あやべ温泉を出て、京都縦貫道に戻ってきます。
京丹波わちICから乗り、園部ICへ。

13:30頃にやって来たのが、丹波教会 園部聖堂です。
ウィリアム・二ーリーが京都府下に造った4つ目の教会です。
ちなみにこの次に造ったのが、山科教会です。

事前にwebで検索すると、いつもは閉まっているそう。
サイアク次のミサの情報ぐらいは得られるだろうと思い、まずは行ってみました。
そしたらですよ。
たまたま京都新聞の方が取材に来られており入れました!
こういう引きは強いですw

また詳細は今後の本編で掲載しますが、教会の外観や内部も山科教会と酷似しています。
共に新興木造構造ですし。

ただ気になる情報が。
こちら今後閉鎖が決まっているんです。
4/5の復活の主日のミサを最後に閉鎖し、今後どうするかをこれから検討されるそうです。
そもそも先にこの園部教会がありましたが、その後亀岡に教会が出来ました。
亀岡教会の方が便利だし、園部教会は古くて補修が必要になるがコストが高くなるし。
サイアクは取り潰しですが、そうならないように南丹市と協議しているそうです。
なんとか残してほしいものです。

14:00 頃にこちらを出て、次へと向かいました。

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