キリストの教会には誰もが招かれている
人を殴るなどというのは、したことがないというと嘘になる。かっとなって、手が出たことはある。中学生のときに、遊びで友人とボクシングをしたことがある。
グローブをはめて見よう見まねでやってみたが、これは勇気のいるスポーツだと思った。まず、人を殴るということを冷静に行うわけだが、そのようなことなど、普通の精神状態でできるのだろうか。それとも、試合のときには、相手への憎しみを自分なりにかりたててやっているのだろうか。ボクシングは、かなりのハングリー精神が必要だと言われるが、おそらくそうなのだろう。
このたびの、アマチュアボクシング協会の会長の辞任騒ぎがあったが、すごみのある親分といった印象を受けた。彼が、どのような不正を働いたかの真実はこれからだろうが、本人は、自分は何も悪いことはしていないと言う。しかし、実際、これまでその筋の人々(反社会的人々や団体)との付き合いもあったというので、それだけでも、会長職アウトということをテレビの出演者たちは言っていた。
それでは、我々はどうか。こうした方々が教会に来た場合、これらの方々は出入りお断りと言えるだろうか。安らぎと癒しを求めて来る方々が多いのが教会だから、そうした方々を守る意味でもお断りせねばならないと考える人もいるだろう。しかし、キリストの教会で、それは言えない。イエス様の当時の振る舞いを考えると、とても言えない。教会には誰もが招かれている。
平良 師