平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2003年7月20日 私は最も祝福されたのだ

2006年11月09日 13時24分32秒 | Weblog
  私は最も祝福されたのだ

アメリカのある神学校の壁に次のような詩が掲げられているという。
 「大事を成そうとして/力を与えてほしいと神に求めたのに/慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった/より偉大なことができるように健康を求めたのに/よりよきことができるようにと病弱を与えられた/幸せになろうとして富を求めたのに/賢明であるようにと貧困を授かった/世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに/神の前にひざまずくようにと弱さを授かった/人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに/あらゆることを喜べるようにと/命を授かった/求めたものは一つとして/与えられなかったが/願いはすべて聞き届けられた/神の意にそわぬ者であるにもかかわらず/心の中の言い表せない祈りは/すべてかなえられた/私はあらゆる人の中で/最も豊かに祝福されたのだ」。

 私の知っているキリスト者に、「自分は一番神様に愛されている」と言い切られる方がいる。この方は、小さい頃から苦労され、一生懸命生きて来られた方で、神様に尽くすことだけが、生きがいであり、この世的には幸せと思える材料はこれといってなさそうに見えるのである。

 いったい何をもって、そう言われるのか、初めはわからなかった。しかし、一度、ゆっくりと彼女の人生に起こったいろいろな出来事をうかがったことがあった。そして、私は十分納得した。「私は最も祝福されたのだ」これは、誰もがいつかはたどりつきたい思いである。


平良 牧師

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