2015年の終わりにあたり・・
何ごとにも始まりがあれば、終わりは必ずと言っていいほどある。教会も始まりがあれば、終わりがある。教会だから永続するなどと思ってはならない。世にある教会が消滅してしまう例は、いくらでもある。戦後のバプテストの教会でも、そうなってしまったいくつかの教会があることを残念ではあるが痛みをおぼえつつ想い起こす。
初代教会の時代から続いているとおぼしき教会が、はたしていくつあるだろうか。史跡になっているような教会はあるが、それ以外で、この教会の群れは初代教会から続いていますと言えるような教会はほとんどないだろう。しかし、今、我々の群れが存在しているのは、受け継いできた信仰者たちの働きによることは確かである。
ならば、教会の群れは散り散りになっても、どこかで誰かが福音を語り、それをこれまた誰かが受け入れるといった引き継ぎの作業は絶えることなく続いてきたということだ。主のみ業だ。2015年も私たちは、イエス・キリストの福音について語り続けた。十字架におかかりになったこのお方が、キリストであると伝えた。
そして、その宣教によって、救いに与った方々もおられた。教会という建物は消滅しても、また、群れそのものも散り散りになったとしても、誰かによって福音は語り続けられていく。それが、私であったり、あなたであったり。そして、2016年もまた、同じように、私たちは、種まきの作業を行い続け、収穫のときを待つ。収穫の主に祈りつつ。
平良 師