平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2003年7月6日 山芋掘り

2006年11月07日 12時49分39秒 | Weblog
     山芋掘り

 平良憲誠牧師がまだ神学生だったころ、私は彼に「もう君には教えることはない」と言ったことがある。それは神学の学びにおいてではなく、山芋掘りにおいてであった。
 平良牧師は、『干隈から西新へ・想起と展望』(西南学院大学神学部移転記念誌、2001年)の中で、次のように書いておられる。「校内の敷地に山芋が自生していて、時々これを掘ってバザーで売っていたのだが、この指導をしていたのが青野先生だった。私が掘った山芋が、先の先まできれいに掘られているのを見て、偉く感心なさって、そう言われたのだった」。
 いやあ、あの時平良牧師が掘った山芋は、実に見事なものだった。山芋堀りをしようと呼びかけたら、子供の使うスコップを持ってきた神学生がいたが、自生している山芋(自然薯)は、そんなものでは到底掘れない。大きなシャベルでもダメだ。約1メートル30センチほどの重い鉄の棒の先に、鋭い刃が垂直についている専用の鍬を使わなくてはならない。この鍬が地中に埋もれてしまって見えなくなるくらいまで掘らなければならないからである。
 だから、この山芋堀りの作業は、忍耐と、そして山芋を傷つけないように掘る細心の配慮とを必要とする。私は山芋を福音の中心をなすザッヘ(事柄そのもの)に見立てて、それを傷つけずに取り出すことを聖書学の作業になぞらえているのだが、同じことは牧会にもあてはまると思う。平良牧師の牧会者としての姿勢を見ていると、あの時の山芋掘りの姿がダブってくる。


青野 師

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